鉄腕アトムで考える来るべき大阪万博
⭐️鉄腕アトムで考える大阪万博⭐️
鉄腕アトムはモノクロアニメの時代では、科学万能の思想だった。
科学の発展が明るい未来を創るという夢と希望があった。
ところが1980年のカラー版アトムでは、科学に対してペシミスティックな視点が生まれた。
科学よりも明るい未来を創るのは人間性であることが全面的なテーマとなった。
1970年の大阪万博ではまだ、第一期のアトムの思想が主題でもおかしくはなかった。
それでも、岡本太郎が科学の進歩がどれだけ人類を蝕んだかを語り、プリミティブへ回帰せよとのメッセージを同時に訴えかけた。
未来への夢と希望と、絶望の淵になる人類という危うい姿勢とテーマの中に1970年の大阪万博は成立していた。
そして1980年、新しいアトムが来た。
科学よりもプリミティヴな人の心が未来を救うことを示した。
そして、手塚治虫は『ガラスの地球を救え!』を書き、『火の鳥』を完成させた。
科学文明が数値と計算で夢を実現する「電気の魔法」であることを我々は知るに至った。
「電気の魔法」を喜ぶのは科学を大衆に消費させる資本家だけであって、電気の魔法は次々と地球を破壊した。
手塚の訴えた「ガラスの地球」は「プラスチックと放射能の天体」となった。
ここへ来て岸田総理は子供たちに来る未来へ「空飛ぶ自動車」の夢を語ろうにも虚しさしか残らない。
今更に大阪万博で「電気の魔法」の夢を見せても、世界中が知っている。
「電気の魔法」はディストピアしか作らないと。
アトムとは原子である。
生命の最小の単位であり、心の最小単位である。
そして、地球を作っていた最小単位である。
その原子を「電気の魔法」にかけた時、われわれは悪魔の火を生んだ。
プロメテウスの誤謬だ。
いま、われわれが必要な万博とは「原子を見つめて原始に帰ること」である。
われわれは「空飛ぶ車」の夢などもう必要とはしない。
それが忌まわしいものだと世界は気づいているのだら。
2本の足で大地を踏みしめる歩みだけで十分なのだ。
「電気の魔法」」を捨てよ。
原始に帰れ。
世界中はそれを知っている。
大阪万博は必要なのか?
ぼくはいらない。
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