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カナリアの十字架


 ヤニューシュ・コルチャック。ポーランドの医師で、ワルシャワでユダヤ人の子どものための孤児院の院長をしていた人。子どもの権利条約の基礎となる概念を作った人。

 ポーランドがナチスドイツに占領されてから、ユダヤ人だったので、コルチャック先生は孤児院の子供たち200人とともにワルシャワゲットー(ユダヤ人の強制居住地域)に住まわされ、極度に制約された環境で子どもたちを守り続けた。

 アウシュヴィッツを代表する絶滅収容所へ子どもたちが送られることになった時、コルチャック先生は残るように命じられたにもかかわらず、また支援者がコルチャックを国外へ脱走させようと提案したにもかかわらず、コルチャック先生は子どもたちと私は行くと言って、子どもたちと一緒に貨物列車に乗ってトレブリンカ絶滅収容所へ向かった。

 そして1942年に子どもたちと共にガス室で命を奪われた。

 コルチャック先生が5歳の頃、可愛がっていたカナリアが死んだ。コルチャック少年は死を悲しんで、埋葬して十字架を建てようとした。
すると教会の人からカナリアは人間ではない、人より劣っているカナリアは神の愛を受けることはできないから、十字架は建ててはならぬと言われた。

 友だちからはユダヤ人が飼っていたカナリアはユダヤ人だから、十字架は与えられないとも言われた。

 コルチャック少年はなぜに同じ命なのに愛すべきカナリアの命は世界の力だと認められないのだと、強く感じたという。

 コルチャック先生が自分も殺されることを知りながら、子どもたちとトレブリンカに向かったこと。

 きっと、十字架さえ与えられないカナリアを見捨てることなどできなかった、その少年の心のままに従ったのだと思う。

 みんな持ってる優しい気持ち
 いつまでも忘れないのがいいよね。


 ポーランドがナチスドイツに占領されてから、ユダヤ人だったので、コルチャック先生は孤児院の子供たち200人とともにワルシャワゲットー(ユダヤ人の強制居住地域)に住まわされ、極度に制約された環境で子どもたちを守り続けた。

 アウシュヴィッツを代表する絶滅収容所へ子どもたちが送られることになった時、コルチャック先生は残るように命じられたにもかかわらず、また支援者がコルチャックを国外へ脱走させようと提案したにもかかわらず、コルチャック先生は子どもたちと私は行くと言って、子どもたちと一緒に貨物列車に乗ってトレブリンカ絶滅収容所へ向かった。

 そして1942年に子どもたちと共にガス室で命を奪われた。

 コルチャック先生が5歳の頃、可愛がっていたカナリアが死んだ。コルチャック少年は死を悲しんで、埋葬して十字架を建てようとした。
すると教会の人からカナリアは人間ではない、人より劣っているカナリアは神の愛を受けることはできないから、十字架は建ててはならぬと言われた。

 友だちからはユダヤ人が飼っていたカナリアはユダヤ人だから、十字架は与えられないとも言われた。

 コルチャック少年はなぜに同じ命なのに愛すべきカナリアの命は世界の力だと認められないのだと、強く感じたという。

 コルチャック先生が自分も殺されることを知りながら、子どもたちとトレブリンカに向かったこと。

 きっと、十字架さえ与えられないカナリアを見捨てることなどできなかった、その少年の心のままに従ったのだと思う。

 みんな持ってる優しい気持ち
 いつまでも忘れないのがいいよね。

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