その16 小説家になりたい人へ 著作権エージェント夢野律子がお手伝いします
【下読みさんは、こういう序盤だと最後まで読みません】
次に落とす基準は冒頭がやたら長く、日記のような物語性がない日常描写が長い作品は落とす。とくに主役に事件が起きずに、「朝ごはんを食べてバスに乗って学校に通って」みたいな月日が流れるだけの作品は落とす。
推理小説では「3ページ以内に事件を起こせ」とよく聞くが、それ以外は3ページ以内に興味を惹かせる何かがない作品は落としてもいい。日常描写だけで起伏がないのは落としてもいい。目覚まし時計から目が覚めて始まる作品は駄作が多い。
後にすごい事件が起きようが、読者への配慮が「丁寧な日常描写」だと思っているのは駄作である。好きなアイドルの日常はそれだけで絵になるが、99.9%以上の読者は初見である。
美人の日常風景を盗み見るストーカーが主人公なら話は別だが、「美人」という単語だけでも、それは事件だ。
「文豪や人気エッセイストは日常風景だけでも面白いけど、知名度で売っている面があるから許されるのよ」
一人称表記の場合、主人公が長い演説しているのも落とす。とくに説教臭い内容だったら落とす。政治批判するテロリストが主役ならともかく。
「大学の論文のような内容だったらノンフィクションの賞に送れってな話。それすらも分かっていない応募者がいる」
次に落とすべき作品は歴史系に多い、知識披露。説明に偏りが多いのは落としていい。物語が進行しない話は落としていい。「戦国時代を説明するには、弥生時代から話をしたほうが理解されやすい」と耳にするが、歴史系に丁寧な時代描写は上から視線に感じる。
読みたいのは情報ではなくて小説である。
「作者の親切描写に下読みがそれだと、不親切じゃないですか?」
「これは作家に言われて納得したんだけど、読者の脳内を引っ張ってくれば説明はいらないのよ。時代小説だったら、序盤に『徳川綱吉の時代の元禄何年』てな一行があれば、住民や風景が想像できるでしょ」
特に幕末や戦国時代は何度もテレビドラマ化されている。
「んー。もう少し説明がほしいですね」
「もっと噛み砕いて言えば『女の裸』。真っ白なキャンパスに裸婦画を書いても何も伝わらないけど、冠を被せれば『お姫様がヌードになっている』と勝手に物語が生まれる」
直美は「あー」と納得の声を出した。律子は少しだけほくそ笑んで続けた。「裸婦画の背景にベッドを描けば裸のマハだし、馬に乗せればゴディバのチョコが完成よ」
と得意げに言ったら直美の首が少しだけ傾いた。己が知識披露をしていたことを少し恥じた。彼女を下読みの達人にするのが目的である。
ブレないように、カツオ入りおにぎりを食べて気持ちを整理した。
「歴史系で読まなくても分かるのと、落としていい作品もある。日本人が全く出ない歴史小説。特に三国志の応募は多い。三国志なんて作家の知名度で売れているようなものだから、三国志を書きたければ『卑弥呼の視点で描いた三国志』みたいに書かないと。出版社は商品になるものを求めているからね」
仮に大学時代にアメリカの歴史を専攻して「ゴールドラッシュ時代が面白い」と感じたなら、ジョン万次郎を絡ませろ、てな話。チェザーレ・ボルジアの劇的な生涯を書いたって、日本に全く影響がない人物だ。無名な新人が書いて買われるわけがない。
欧州の歴史が好きで小説を出したいのなら、慶長遣欧使節をテーマにした作品を出して実績を作るべし。
「覚えました。『日本人が出ない歴史小説は落とせ』ですね」
「ラノベだったら全然ありだけど、オリオン文学賞ではカテゴリーエラーだから」
歴史小説のパラ読みの際は歴史事実の羅列ばかりなのは落としていい。事実の羅列なら学術書を読めばいい。戦国時代や幕末で有名な人物が主役なのも落としていい。
「単なる織田信長の話だったら、有名な歴史作家の名義のほうが売れる。信長を出すなら敵として出す。『信長に屈指なかった大名』てなタイトルだったら、面白そうでしょ?」
「あー。浮かびますね。さっき言った裸婦画の説明のように、物語が浮かびますね」
ひねりがない幕末の志士も新選組も落としていい。多くはフィクションの方の焼き直しだ。
「歴史小説に限らず、戦闘シーンが長いのは最後まで読まなくていいから。戦う場面にドラマ性がないって言えばいいかしら? 戦いっていうのは名誉や命をかけるから盛り上がるんであって、戦闘シーンの羅列ばかりなんて酔っぱらいの喧嘩みたいで商品価値がない」
しかし戦闘場面は否定しない。出せるんだったら出したほうがいい。
どこかのゲーム会社の社長が「色んな国でゲームを販売したが、一番好評だったのは人間と人間が戦っているゲームだった」と、人と人との戦いは場面が浮かびやすい。
「戦国や幕末は応募が多いからといって隙間狙いで人気がない南北朝や飛鳥時代は、半分は落としていいかも。鑑真を連れてくる話だったらいいかもしれないけど」
読者が想像しにくいものは落とされる率が高くなる。かといって資料が豊富な第二次世界大戦系は「零戦警察」なようなものが多くて面倒。
祖父が零戦パイロットでその証言や日記に基づいて書いた有名な歴史作家がいたが、本や資料だけしか読まない零戦マニアに攻撃されたこともある。マニアの重箱隅突きで、せっかくの貴重な資料を表に出さない作家もいる。
マニアは自分が知らないことを話されると、見下されたような気分になる不思議な思考回路を持っている。
「次はセックス描写が長い作品も落としていい。悪漢から美人を助けてセックスするのが物語の定番だけど、長いセックスを書きたいな純文学の賞に送れ、ってな話。『ゆうべはお楽しみでしたね』まで短くしろとは言わんが、二ページあれば十分だと思う」
「セックスだったらポルノの賞じゃないですか?」
「ポルノと純文学は似てるようで違うけど芥山賞の歴代作品はセックスが多い。人間の三大欲求をいかにして高尚に描ければ純文学よ」
三島由紀夫の『憂国』なんてエロエロだ。
レシピ本のように調理描写がやたら長いのも落としていい。特殊な料理ならともかく、主人公がカレーを作るだけに20ページも描写している作品にも遭遇したこともある。カレー調理が主人公の人間性やストーリーに絡むのかと思いきや、全く絡んでいなかった。
そういう原稿に出くわすたびに焚書したくなる。
直美の様子をうかがうと、さらに深い眉間のシワが浮かんでいた。
「さっきから聞いていると先輩の選考方法はやっぱり乱暴に思えるんですよね。地下アイドル時代に20社ぐらいオーディションに落ちたけど、21回目の採用で一気に売れた子もいるんで、私はもう少し丁寧に読んでみたいです」
「誰もが最初はそう思うわ。五年に一回ぐらいは『A社で落ちた作品をタイトルだけ変えてB社に応募したら受賞しました』からのベストセラー作品はある。でも下読みの報酬の低さでそんな考えは吹き飛ぶから」
下読みの報酬は出版社によって違うが、前払い定額が多い。時給や月給ではない。自宅で読むので残業申請もできない。真面目に読めば読むほど、時給換算すると減る。故に変な原稿は読まない方が効率良くなる。丁寧な下読みは肉体も精神も摩耗して寿命が縮む。
「極論ですけど、くじ引き感覚で選ぶ人もいるんじゃないんですか?」
「それだと次の仕事に響くから、最低限のことはするわ。でも、使い回しの封筒とか、応募規約が守られていない原稿。略歴に変なのが入っているのはどれもクズだった」
就職面接ではないが、家に帰るまでが就職面接である。面接が終わった後に煙草のポイ捨てを見られたら落とされる。未完成原稿を送られたこともあった。
「あー、分かってきました。アイドルのオーディションだと最初の挨拶の笑顔で半分は決まる、って聞きますし」
「直美ちゃんは見込みがあるからもっと教えてあげるけど、次は残す基準を教えてあげる。『オリオン文学賞』の過去作は、現代劇が3。恋愛が2。推理が2。歴史物が2。SFが1、な割合だから、その割合で一次通過させて。現代劇でも社会派寄りで、恋愛は大学生がメインを多めに。推理はトリックよりもロジック。歴史は戦国が好まれ、SFはしっかり最先端科学を反映させているものね」
推理作品を多く出している高弁社の場合、推理作品は5の割合で一次通過している。
「出版社もレコード会社のようにカラーがあるんですね」
「そう。出版社もレーベルも好みがあるからね。堅物学術書系ばかり出している所から『神様の手違いで死んじゃったけど、異世界転生した先が貴族で各国のお姫様からモテモテ。前世の記憶を元に国家改造したけど、神様から人生やり直さないかと申し出が来たけどもう遅い』みたいな本が出るわけないでしょ」
そう説明したら直美はうんうんとうなずいた。少し前に見せた、よくあるネット小説の梗概を見た時は顔をしかめたのに。
彼女は「タイトルだけは目を通します」というスタンスかな? ならばついでに、
「とにかくタイトルの時点でカテゴリーエラー起こしているのも落としていいから。応募先を間違えているようなタイトルは読まなくてもいいから」
ウェブ小説の台頭で、ウェブ小説をそのまま送る投稿者が増えたとも聞く。下読みもまた、仲人のような嗅覚が必要だ。
もしかして私の嗅覚は下読みで培ったのかもしれない。
他にも細かいことを教えたいことがあるが、枝葉なのでやめた。下読みは名人芸なようなもので、下読みによって見極めの技術が違う。彼女独自の下読み論を発見できれば、代理人として成長できるだろう。
そして律子は両手を組んでテーブルの上に置き、にらみつけるような視線で直美を見据えた。
「で、これは絶対なんだけど下読みをしていることは、SNSで絶対に喋らないで」
「分かりますよ。守秘義務ですよね。地下アイドル時代にストーカー対策をしていたからバッチリです」
直美はウィンクして自信満々に答えたが、律子の表情は変わらなかった。
「それもあるけど、作家志望者には一定数、アニメーション会社に放火するような思考回路がいるから。一方的に逆恨みをし、下読みに復讐を計画するシャレになんない人物がいるから」
これ以上の言葉は必要ない。直美から明るい表情が消え、脂汗を浮かべて無言でうなずいた。
「あくまでも私が見つけた奥義みたいなもんだから金科玉条(きんかぎょくじょう)に扱わなくていいから」
「分かりました」
四文字熟語は大分知るようになってきたか。やはり成長を感じる。
「最後に教えることは『そして』『しかし』『一方』の始まりが多い文章は落としていい。推敲をろくにしていない作品は読まなくていい」
「分かりました」
「じゃ、一週間後ぐらいに曲山書店に行ってらしゃい」
「え? 泊まり込みのようなニュアンスに聞こえたんですけど。先輩の経験談だと段ボール箱が毎月一〇〇箱送られてくるような話でしたけど」
「それはピーク時。他はどうか知らないけど。現在の曲山書店のオリオン文学賞の下読みは本社で行われるの」
昔は下読みの家にダンボール箱が送られてくる。50作品ぐらい送られ、
「出来のいい作品を送ってください」返信用の封筒が入っていた。しかし今のオリエント文学賞は下読みが出版社に通い、場合によっては泊まり込みをして審査をする。原稿はランダムに渡され、最低二人が目を通す。二人が合格点に達すれば、一次選考は通過する。
オリエント文学賞は毎回1500前後の作品が送られ、近年はベストセラーや映画化を連発しているので年を追うごとに応募数が増えている。オリエント文学賞の担当者は効率優先で下読みを出版社に呼ぶスタイルにしたんだろう。
1500の応募から一次通過は100作前後なので、応募原稿の多くはなってないのが多いのだろう。
「それで残す作品には書評を書くのが下読みの最後のお仕事」
「……それが一番大変そうなんですけど」
直美の明るかった顔が曇った。
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