人には、「嫌なことがあった時に一緒に居たい」と思う人が必要

そもそも、子どもが養育者を必要とするのはなぜなのだろうか。親が離れると泣き、親を追い求めるような行動をするのはなぜなのだろうか。それは、養育者の事が“好き”だからなのか、それとも衣食住を提供してくれるからなのか、もっと根本的に、生命の安全を保障する個体と離れることに不安を感じるからだろうか。

人は、不安や緊張が高まる時に他者に“くっつく”ことで安心を得ようとする生物学的な仕組みをもっている。そのため、乳幼児期の子どもは目の前の養育者がどんな人であれ、養育者に“くっつく”ことを求め、“くっつく”だけで安心し、泣きやむ事も多い。親が離れると泣き、親とくっつくと泣き止むのは、そうした生物学的な仕組みが作用しているのだ。

一方、養育者の不在や虐待などの環境があることにより、“くっつく”ことにより安心が得られないままになると、不安や不満を抱えたままの状況が続き、子どもと養育者(他者)との結びつきが強化されず後の発達に大きな影響を与えるといわれる。

乳幼児は、不安や不満(お腹がすいた、寒い、眠い、おむつが気持ち悪い)を泣くことで表現するが、これは親からの、世話をするという行動を引き出す。親からの世話を引き出すことに成功した赤ちゃんは、自分の不安や不満が他者によって解消されることを体験し、泣くことで(他者を呼び寄せる事で)安全や安心を得る事ができると確信する。さらに成長し、動けるようになった子供の場合、不安を感じた時に養育者の元へ駆け寄ることで安心を得ようとする。子どもは、養育者にくっつき抱きしめてもらうだけで不安が減り、安心できることを知る。

この体験は大人になってからの対人関係にも影響を与える。子供の頃にどれぐらい養育者に安心させてもらうことができたかが、大人になってからの他者への信頼感に大きく影響するといわれている。他者にくっつくことで安心できたという体験を一貫して得られることが、私たちの安定した対人関係を持つ基盤を作っているのである。

人には、生きるために他者にくっつこうとするシステムがあらかじめ備わっている。

この行動システムは、愛着=アタッチメントと呼ばれている。*愛着は愛情と誤解されることも多いが、全く異なる視点であることを留めておかなければならない。

アタッチメントの対象は、発達により異なってくる。出生直後は対象を定めないアタッチメント信号が発信され、生後数カ月になると、日常的に世話をしている養育者への信号が強化される。幼少期には、日常的に関わることの多い人との関係を維持するようになり、児童期以降は養育者以外ともアタッチメントが形成されていく。

思春期までは、基本的な主なアタッチメント対象は親であるが、それ以降はパートナー、結婚相手などより重要な他者に移行していく。が、幼児期にアタッチメントに問題があると、思春期以降の他者とのアタッチメント形成に困難が出てくるといわれている。

「困った時に頼りたい人、素直に頼れる人」は誰かと考えたときに思い浮かぶ人は誰だろうか。嫌なことがあった時に一緒に居たい人たちは誰なのか?

その時に思い浮かぶ人は、あなたのアタッチメント対象、つまり安全な場所になっていると考える事ができる。嫌な事や悲しいことが合って逃げ込みたくなる相手が居る事は重要である。精神的な安定にもつながり、ストレス負荷の高い状況でもなんとかやっていける力をもらうことができる。

しかし、すべての人がそいういった対象を持てるわけではない。幼少期の養育者との関係性が影響することもあれば、周囲の環境に恵まれなかった場合もある。また、アタッチメント対象と呼ばれる他者は、一緒に居たい人、好きな人、一緒にいたら楽しい人と一致しないこともあるし、ただの遊び仲間、愚痴を言い合う関係とは異なる。

やはり最も重要なのは、初期のアタッチメントがどのようなものであったかということだろう。しかし、アタッチメントの対象は何も親じゃなくてもいい。親がダメでも(例えば虐待ケース)、温かく迎え、不安な時は抱きしめてくれ、不満を一緒に解決してくれる人が側にいて応答してくれればアタッチメントの問題はなんとかできるといわれている。幼児期の養育者とは難しかったとしても、安心を与えてくれる他者と出会えれば良いのだ。

人がいればとりあえず子どもは育つ。が、アタッチメントの視点では、ただ居るだけではなく、困った時に一緒に居て安心させてあげる人でなければならないといえる。

ちなみに、恋人が完熟したアタッチメント対象になるまでには、平均2年かかるらしい。同性の親友の場合は5年5か月だそうだ(Fraley,1997)。一緒にいて楽しい、好き、ということを越えて、安定した関係(ここでは成熟したアタッチメント対象というが)になるには2年はかかるということは、どんなに好きでいても、本当の意味でその人が安心な場所(専門用語では安全基地という)になるには時間がかかるということになる。2年の節目は、結婚を考えたり、むしろ倦怠期がきて別れやすくなったりする分岐点になることが多いよう。相手が自分にとってどんな存在か、おおよその結論が出るのがこの時期なのかもしれない。
生物学的に、人は人から安心を得るようになっていることを考えると、人には、「嫌なことがあった時に一緒に居たい」と思う人が必要なのだといえる。*どうしたら作れるのかはまだ別の課題




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