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毎日noteは、発信したい気持ちとつまらんプライドとのバトル

毎日書くのってこんな難しかったかな

毎日noteを続けると言ったはいいけれど、ちょうど一週間にしてPCの前でウンウン唸るようになってしまいました。
書くことがないわけではなく、ネタはあるが書いても面白くないな…のループに嵌ってしまいました。

この「面白い」の判断を自分でし始めると、執筆のペースを重視する身としてはなかなか危険だと思います。

自分で自分の面白さが分かればこんなに苦しくない

私は中学生ぐらいまで、毎日PCに向かって何かしらを書いていました。

具体的には、ブログと小説です。

ブログはその日にあった出来事と感想を書いてるだけの、当時のブログとしてはかなり一般的なものでした。
日記はほぼ毎日公開していたような気がしますが、さすがに小説は毎日公開できるようなペースでは書けていませんでした。

「もっと綺麗な言い回しがあるんじゃないかな」
「ここでこの人がこう発言するのは不自然だな」
「設定のブレが出ている気が…」
そもそもこれって面白い?

考え始めると止まりません。
小説投稿サイト(とブログ)に投稿していたため、特段ノルマといったものがなかったのもあり、100字/1日のペースである日も珍しくありませんでした。

自分が書いたものを面白いって自分で正確に判断するのは本当に難しいのですが、
それを分かっていても評価したくなってしまうんです。
だって公開したときにつまらないって思われたくない。批判もされたくない。頭が悪いと思われたくない。みんなに良いと思ってもらいたい。
そんな八方美人な性格と、きっと自分が書いてる文章以上につまらないプライドが、キーボードを叩く手を止めてしまうんですね。

覚悟を持って、気楽に書きたい

日記は毎日書けるのに…プロじゃないんだから日記くらいに気楽に書けばいいのに。
と、当時の私に言ってあげたいですが、それってそのまま今の自分にも返ってくる言葉だなと思います。

多少なりとも整ったものを出さなきゃって、自分で縛り付けることで、もしかしたら書きたい自分の想いを抑えつけてしまっているのかなとも思います。
誰でも気を抜くとめちゃくちゃに炎上しちゃう世の中なんですけど、批判を恐れていたら本当の想いの発信はできないし、生み出すものに価値も生まれないんですよね。炎上しちゃうほど悪いこと言っても良いってわけではないですよ!

覚悟と責任を持って気楽に書くこと。が今の目標です。
(それでも真面目すぎじゃない?って心の中の自分が言っているけれど)

楽しい限りはやるんですけどね

昔はいっぱい書いてて楽しかったなぁと思っていたので、ちょっと思い出して浸ろうかと思っていたら当時も結構苦しかったです。
まあ、ここまで「文章書くのは苦しいヨォ」といった趣旨の話をしてきましたが、思春期に毎日文章を書いていたのは、かなり意義があったと思っています。
大人になってからは、自分の感情を排除した文章を書く方が圧倒的に多いけれど、それでも書くことに慣れているのは大きい。

文章を書くこと自体は苦じゃないし、むしろ楽しいです。
もうちょっとリハビリできたら短篇も書きたい。書くスピードもっと上げないと!

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