脱毛記18(完)

(前回のあらすじ=私は宇宙と一体化し、脱毛の終わりを迎えた)

 私は、のろのろと起き上がり、全裸にハイソックスという変態的な格好で立ち上がった。

 とりあえず、パンツ(本来の意味でのアンダーウェアとして)を履き、パンツ(トラウザーズ)を履いたところで人心地ついた。

 やれやれ。下半身丸出しというだけで、どうして人間としての尊厳がここまで失われなければならないのか。そもそも、それ以前に受けていた施術の方が、よほど尊厳を毀損していると思うが、それは「今は医療行為を受けているから裸なのだ」というエクスキューズがあってこそだったのだろう。理由もないのに、全裸+ソックスという格好は許されない。我々はどこまで行っても、社会的な動物なのだ。あるいは、私が少し高すぎる遵法精神を持っているからかもしれない。

 そんな言い訳じみたことを考えながら、手早く服を身につける。下着もシャツもユニクロだ。ちょっと前までは、「ユニクロを買うほど金持ちじゃない」なんてとんがったことを言っていたが、今ではもう、服の大半がユニクロだ。

 さすがに、パンツ(トラウザーズ)はシルエットとウエストサイズの問題があるので、ビームスのストレッチテーパードチノを色違いでそろえているが、それ以外は、靴下に至るまで全てユニクロである。楽だし、同じものがどこでも手に入るというのはやはり大きい。安いし。

 服を着ると、ようやく現生人類になった気がした。何となく、レーザーを当てられた部分が熱っているようにも感じる。毛を剃られたせいで、ダイレクトに服と皮膚が触れる感触が新鮮だ。服の肌触りというものをこれまでいかに意識していなかったのかが良く分かる。その感覚にもすぐ慣れてしまうのだろうが。

 そこで私は、限界効用逓減の法則を思い出した。1杯目のビールはうまいが、2杯目以降にそのうまさは半減していくというヤツである。世の中の色々な所に、資本主義の原則は生きているのだ。宇宙と一体化する法則を見出したはずなのに、服を来た途端に思考が俗っぽくなってしまう。もしかすると、悟りは開けていないのかもしれない。

 身支度を調えると、私はおもむろにクリーム色をカーテンを開けた。外では、看護師がにこやかに出迎えてくれた。「外山」と胸のネームプレートに書いてある。別に出迎えてくれなくて良いのだが、そんなことも言えない。

 さっきまで全裸でレーザーを当てられていた身としては、どういう表情を作るのが正解なのだろうか。学校ではもちろんそんなことは教えてくれない。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言うが、歴史をいくら学んでも、そんなことは分からない。

 とりあえず、曖昧な笑みを浮かべてみる。イメージは、紀元前6世紀に流行ったアルカイックスマイルだ。古代ギリシアの彫刻の流行だが、21世紀のジャパンで使えるとは思わなかった。これは歴史に学んだことになるのだろうか。いまいち分からない。いちいちこんなことを考えてしまうあたりが我ながら面倒くさい。頭の中を流れる思考を止めてほしい。何かしていても、ずっと頭の中でこんなことがグルグル回っていると、いささか疲れる。

 時々、思考が勝手に口から漏れるのは自分でも辟易する。独り言が多い人間は、周囲からどう捉えられているのだろうか。悟りを開いたはずなのに、まだ周囲の目が気になる。つくづく、人間の自意識というのは厄介だ。

 「では、出口までご案内します」と外山さんが言う。一人で入ってきたのだから出口くらい分かるのだが、私は素直にその言葉に従う。別に、彼女も言いたくてそんなことを言っている訳ではないだろう。おそらく、接客マニュアルがあるのだ。

 看護師という高度な専門職も、脱毛クリニックという資本主義の権化みたいな職場に放り込まれると、否応無しに、マックジョブ的な対応を迫られるのだろう。別に不快ではないが、何となくこの国の将来が心配になる。自分も首まで資本主義に浸かっている人間なので、偉そうに批評できる立場でもない。ただ、粛々と出口まで歩を進めるのみである。

 入って来た時とは逆のルートをたどってクリニックの外に出る。ここはビルの2階なので、外に出たところで目に入るのは殺風景な廊下である。突き当たりのトイレの前に、バケツとモップが置かれている。これから清掃の時間なのだろう。ふと、「パーフェクト・デイズ」の一場面が浮かぶ。平山が寝る前に見るモノクロの木漏れ日の映像だ。また、見たい。

「ありがとうございました。次回予約はウェブからできますので、2か月以降でご都合のよろしい日にまたお越し下さい。本日はお越し頂き、ありがとうございました」

外山さんは、ボーッとしている私の目を見てそう言うと、ぺこりと頭を下げた。私もつられて頭を下げる。

「こちらこそ、ありがとうございました。またよろしくお願いします」

 そう言って、私は外山さんに背を向けて、ゆっくりと元来た道を歩き始めた。階段を降りて外に出る。頬をなでる風が柔らかい。視界に鮮やかな色を感じて目をやると、街路樹の根元に小さな黄色い花が見えた。


次の施術は6月である。

(完)

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