散財記② ジャック・デュラン Paques 506
「一生モノ」と言い訳をして買った数多の品の中から、本当にお気に入りの一品を紹介する散財記。2回目は、ジャック・デュランのPaques 506 だ。
これだけの情報で「ああ、あれね」と分かる方は、かなりのメガネ好きだと思う。Paquesってなんて読むのかさえわからないし。パクエス? 多分違う。(正解はパック。フランス語で復活祭の意味らしい。なぜ、そうなるのか)
万年筆の次にはまったのが、メガネだ。元々、そこまで目は悪くない。右が0.8、左が0.7くらいなので、日常生活には特段支障は無い。それでも加齢に伴ってだんだんと遠くの物がぼやけたり、疲れてくるとピントが合いにくくなるという現象が起きてきた。
それでも見えることは見えるから、自前のレンズで一生懸命ピントを合わせようとするのだが、これがめちゃくちゃ疲れる。筋肉が動かないからピントが合わないのに、その両目の筋肉を無理やり動かしているのだから、無理もない。
というわけで、10年ほど前に、めでたく(?)メガネデビューすることになった。最初に買ったのは、確か東京・新宿伊勢丹のメガネ店だったと思う。今なら考えられないが、飛び込みでその場で作ってもらった。エトロのセルフレームだ。モスグリーンのスクエアタイプ。値段は忘れたが、かなり高かった気がする。だいぶ気に入って長くかけていた。
そして、案の定、メガネにハマった。
繰り返すが、大して目が悪い訳ではない。メガネはファッションアイテムである前に、視力矯正器具である。目が悪い人が結果として何本もメガネを所有するというのが本来だろうが、こちらは裸眼でもそこそこいける口である。なんなら、免許の更新だっていける。(夕方の運転はちょっと怖いけど)。そんな人間がメガネにハマるの理由はファッション一択である。
自らの愚かさを開陳するようで気が進まないが、これまでのメガネ遍歴を思い出してみる。順不同。
① エトロのスクエア。上で紹介したやつね。
② トム・フォードのウェリントン。シングルマンでコリン・ファースがかけていた「TF5178」というタイプだ。これもすごく気に入っている。10年くらい使っているかな。だいぶ、やれてきたけれど、今でも一軍。
コリン・ファースというと、世間では「キングスマン」とか「英国王のスピーチ」のイメージが強いのかもしれないが、私にとってはなんといっても「シングルマン」の大学教授である。パートナーを事故で失った初老のゲイ役を実に見事に演じている。
特にかっこよかったり、大活躍したりする訳ではないのだが、日常のささやかな幸せを大切にしているようで、実によかった。どことなく、「パーフェクト・デイズ」の平山に通じるものがある。シンプルで飾らないかっこよさというのかな。平山の暮らしもミニマリズムの極地みたいで憧れる。役所広司だからかもしれないが。
さて、その映画の中でコリン・ファースがかけていたのが、このTF5178である。太い黒のセルフレームで、ものすごい存在感がある。トム・フォードをかけている人はよく見るが、もう少し細いフレームを使っている人が多い気がする。中田ヒデとか。
トム・フォードのアイウェア(なんとなくラグジュアリーブランドはアイウェア表記の方が馴染む気がする)といえば、T字のアイコンだが、劇中ではその意匠は省略されている。監督がトム・フォード先輩なので、自分のブランドを過剰にアピールしたくなかったのかもしれない。あの世界にはトム・フォードというブランドが存在しないのだ。
ということは、ジェームズ・ボンドもいないのかな。メガネ1本から色々と妄想が膨らむ。散財家は、また夢想家でもある。
③ エナロイドのボストン「NORAH」。これは、サントリーのオランジーナのCMで寅さんを演じたリチャード・ギア先輩がかけていたタイプ。
軽くてかけ心地が良かったのだが、沖縄出張に行った際に失くしてしまった。まだ、メガネをかけることに慣れていなかったので、つけたり外したりしているうちにどこかに行ってしまった。惜しいことをした。車の中で失くすというのはどういう状況なのだろうか。今でもあのレンタカーの中に転がっているのではないかと、ふとした時に思い出す。
④ 999・9のハーフリム。シルバーのメタルフレームで、北海道勤務だった時に、狸小路の富士メガネで買った。以来、レンズを入れたり手入れをしたりするのは必ず富士メガネと決めている。
最初は、レンズに薄くグレーを入れていたのだが、あまり評判が良くなかったので、現在は透明なレンズに付け替えている。かけ心地は抜群なのだが、あまり似合っていないらしく、周囲からは「冷たそう」だの「怖い」だの散々な言われ様で、だんだんと登板機会が減ってきた。仕事に使うには一番良さそうなのだが、いかんせんキャラにあっていないではどうしようもない。
冷たそうなキレモノって憧れるんだけど、どうしてもそっち側に行かない。「銀河英雄伝説」で一番好きなのはロイエンタールなんだけど、実際はミッターマイヤーに近いというかね。身長込みで。疾風ヴォルフも大好きなのですが。奥さん素敵だし。
⑤ 999・9の細めのウェリントン。セルフレームのブラック。今まで主張が強いフレームばかり買ってきたので、「どこにでも使える一本を(私から買ってください)」と勧められて購入した。買ったのはおなじみの富士メガネ。展示販売会に招待されたので、ホイホイと行って、しっかり買って帰ってきた。
確かに、プロが言う通り、使いやすい。かけ心地も顔馴染みも良く、安定して使える。かけるだけで、顔から信頼感が滲み出てくる。ただ、ただである。今度は良い人っぽすぎて、本来の自分とかけ離れていく感じがしてきた。別に冷たくないからと言って、じゃあ温かい人柄かと言うと、必ずしもそんなことはない。そうなると、新しいフレームを探す旅に出たくなるのが人情である。主に散財家としてのだが。
⑥ オークリーのラッチ。趣味のジョギングの時に使うサングラスを求めて購入。ラッチはボストンタイプがオリジナルのようだが、あえてウェリントンタイプを選択した。
それまでは、レイバンのウェイファーラーを使っていたのだが、個体差によるモノなのか、はたまた顔の作りのせいなのか、あまりしっくりこなかった。そもそも、ジョギングとかボルダリングとかをする時にかけるサングラスではないこともあって、オークリーの購入に至った。
ラッチでオークリー製品は4代目である。長野県に勤務していた20年ほど前に、スノボ用にサングラスを買ったのが初代。これは、斜面で転倒して紛失した。惜しいことをした。つくづく惜しいことばかりしている。2代目は、同じく軽井沢で買ったモデル。気に入っていたのだが、こちらは顔に合わなかった。そんなのばっかりである。
余談だが、若い頃というのは、まだ「自分」というものが確立されていないためか、ファッションにしろ、ライフスタイルにしろ、憧れの有名人のそれを模倣する傾向が高い。
「わだばゴッホになる!!!」って言って、本当に「世界のムナカタ」になった棟方志功や、「ジョン・レノンになりてぇ!!!」とマンチェスター訛りで叫んでそのまま世界的ロックバンドになったオアシスのリアム・ギャラガーみたいな成功例もあるが、多くは残念な結果に終わる。もちろん、私もその残念な生き物たちの一例である。図鑑に載るレベルだと思う。
そんな失敗を経て、「サングラスは自分の顔に合っていなければかけなくなる」という人生の鉄則を学んだ私は、今度こそ顔にあうサングラスを見つけたのであった。製品名は忘れたが、これは素晴らしい品だった。顔にピッタリと合って、走っても飛んでも全くズレない。3代目にしてようやくオークリー本来の性能を発揮してくれた一本であった。小笠原諸島で漁船に乗った時には、その安定間が大変役立った。残念ながら廃盤になってしまったが、今でも思い出す一本だ。
そして、サングラス4代目として、ラッチが登場する。これは、もう、ずっと使っている。5~6年は余裕で使っている。ジョギングからサイクリングからサッカーのコーチから通勤まで、ほとんどありとあらゆる日常生活でかけている。何がいいってずれないのだ。夏場にめちゃくちゃ汗をかいても、全くずれない。顔に合うサングラスがここまで気持ち良いものとは知らなった。もちろん、汗は気持ち悪いので、小まめに拭いている。
現在は、度付きのグリーンレンズを入れている。だいぶボロボロになってきたが、それも含めて大切な品である。5代目を買うとしたら、またラッチになると思う。今度は、ボストンタイプにして、調光レンズを入れようかな。夜のジョギングの時にかけるサングラスが無いので。こうやって散財マンは散財していくのである。マリオカートでコインを撒き散らしている気分である。貯めておけば色々はかどるのにと思わないでもない。
⑦ オークリーのトラジェクトリー。衝動買いした一本。前述のように、昼夜兼用で使えるサングラス兼メガネが欲しくて購入した。結構、楽しく使っていたのだが、運動で使っていたので、いつの間にか落としたか何かでフレームが欠けてしまった。あまり使っていなかったので、ちょっとショックである。
早めに直さなければと思っているのだが、あまり使用機会が多くなかったためかちょっと躊躇している。仕事でもプライベートでも使える一本なので、今度、富士メガネに行くことがあったら、修理の相談をしてみようと思う。
こちらも余談だが、新しいものを買うのはものすごく迷うのに、修理費となると湯水のように使ってしまうのが恐ろしい。また別項で書こうと思うが、靴とか鞄とか、もはや修理価格で本体の値段を超えているのではないかと思うことがある。
時計もそうかもしれない。時計は時計で全然使っていない高級時計があるので、そちらも気がかりではある。やはり、良いものを維持するにはお金がかかるのだとつくづく思う。
機械式時計なんて、買って終わりではダメで、定期的にオーバーホールに出してやらないといけない。しばらくサボっているから、今度出したら20万円くらいはかかりそうだ。アップルウオッチしか使っていないので、何の意味もない出費なのだが、思い出もあるので、売る訳にもいかない。困ったことである。
⑧ ビームスの「男はつらいよ」コラボモデル。メガネの聖地・岐阜県鯖江市の職人の手による一品。私の理想とする人物は、村上春樹、野村君市、そして車寅次郎である。春樹のような文章を書き、君市のように英語を話し、寅さんのように自由に生きたいと考えている。そんな寅さんとビームスがコラボしたメガネは、ファンとしてはどうしても買わなければならないのだ!
いや、全くそんなことはないのだが、どうしてもそうなってしまう。まさに、「男はつらいよ」である。(余談だが、このタイトルはジェンダーフリーが進んだら受け入れられなくなってしまうのではないか。「風と共に去りぬ」の例もあるし。文化芸術にポリコレを持ち込むと碌なことにならないと思うのだが)
メガネの話に戻ろう。これは、もし、寅さんが作中でメガネをかけるとしたら、どんなメガネをかけるだろうか、という発想(もしトラ)に基づいて作られた一本である。太めのウェリントンで、寅さんらしく「トラフ柄」で作られている。
現在のメガネの素材は、アセテートというプラスチック系素材が主流だが、寅さんモデルは昔ながらのセルロイドである。セルフレームの語源になった素材で、発色がとにかく美しい。一方で、熱に弱いので、取り扱いには慎重さが求められる。
寅さんモデルはとにかく存在感が抜群だ。太めのウェリントンで、テンプル(耳にかけるツルの部分)も驚くほど太い。裏側には「男はつらいよ」のロゴが入っている。目立たないように、ゴールドで薄く描かれているところも、裏地に凝っていた寅さんを彷彿とさせる。かっこいいよね、寅さん。
こちらも一軍だが、いささか重いので、主に気分転換用になっている。書いているとまたかけたくなってきたな。とても1本では満足できない。メガネ好きの業の深さである。
こうしてみると我ながら恐ろしい散財っぷりである。どう少なく見積もっても、メガネとレンズでそれぞれ5〜7万円はくだらない。それが、少なくとも7〜8本。メガネだけで50万円は使っている計算になる。この手の趣味性の高いモノに関しては、そういう計算をするだけ野暮なのだが。
それにしても、目はどう頑張っても2つしかないのに、こんなにメガネばかり増やしてどうするつもりなのだろうか。本当のお気に入りの1本があれば良いのだけど。
そんなことを思ってたどり着いたのがジャック・デュランのPaquesである。本題に入るまでに約3500文字。メガネデビューしてからは15年ほどの月日が流れている。人間が自分のことを知るのはそのくらいの時間がかかるということなのだろうか。
気を取り直して、件のPaque506 である。ジャック・デュランという人は、フランスのメガネデザイナーでアランミクリとか、スタルクアイズとか、メガネ好きなら必ず知っているブランドで働いたのちに、自らの名前を冠したブランドを立ち上げた人である。
Paques506 は、ジャックデュランの作品(ここまでくるとそう呼んでも良いと思う)の中でも人気の高い一品だ。メガネに何の興味もない方でも、坂本龍一がかけていたモデルと聞けば「ああ、あれね」とイメージできるはずだ。
何を隠そう、私は坂本龍一の大ファンである。どのくらい好きかというと、全くピアノが弾けないくせに、「戦場のメリークリスマス」を弾きたいあまり、大枚をはたいて電子ピアノを購入したくらいである。ちなみに、まだ弾けない。45歳になるまでにはなんとかと思っている。
これは秘密だが、パーティーか何かで良い感じの雰囲気の中で一曲求められて、最初は遠慮するものの、仕方なくと行った感じでピアノに向かい、神がかり的な演奏を披露する日を密かに夢見ている。現世で徳を積み、3回くらい人間に生まれ変われれば、もしかしたらできるかもしれない。
Paquesとの出会いは、歯科矯正で通っていた銀座の歯科クリニックに行く途中にあったとあるメガネ店である。ショーウインドウに何やら見覚えのあるメガネがあり、吸い寄せられるように店内に入ってしまった。紛れもない、「坂本モデル」である。「トーキョートートイズ」という独特の鼈甲柄で、一目見て気に入ってしまった。
ボストンタイプのセルフレームなのだが、フレームが太いためにかなりの存在感がある。リム(レンズ部分)を繋ぐブリッジが特に太く作られている。
表面にはうっすらと細い線が入っており、艶消し仕上げになっているが、裏側はツルツルピカピカに磨き上げられているのも面白い。調べてみると、ピカピカに磨いた上に細かくブラッシングを重ねて、独特の風合いを出しているのだとか。なるほど、奥が深い。
今までの私なら、「見た目が良い→よし、買おう!」という脊椎反射で散財しているところだが、さすがに初老を超えた今では、そこまで思い切った消費行動は取れない。企業が若者をメインターゲットに据える理由はそこにあるのだと実感する。
とりあえず、試してみるだけならタダなので、恐る恐るかけてみる。かなり個性の強いメガネなので、似合う人は相当限られるはずだ。
………おや、なかなか良いんじゃないか!?
フレームと眉毛の位置が合っているし、何よりも顔との幅がピッタリだ。年齢を重ねてくすんだ肌に、鼈甲柄がよく馴染む。見ているだけでは分からなかったが、リムとテンプルを繋ぐ「智」という部分に角度がつけられていて、かけると立体的な表情になる。これは面白い。
おそらく、もう少し若かったら絶対に似合っていなかったのだろうが、全体的にくたびれた今の感じに実にしっくり来た。そもそも、この手のメガネは若い頃は手に取らなかっただろう。あまりに個性的すぎるし、自意識が邪魔をしてかけられなかっただろう。
その前に、フレームの強さに自分が負けていた気がする。「仕事もできない奴がメガネで目立ってどうするのか」というシンプルな思いもあった。今思えば、別に仕事のできるできないはメガネと何の関係もないし、好きなものを使えば良いと思うのだが、なかなか若い頃には難しかった。今の若い方には、ぜひ自由に生きてほしいと思う。
あいにく所用で急いでいたこともあって、その日の購入は見送ったのだが、後日しっかりフレームだけ購入した。ちょうどその頃、教授が亡くなったこともあって、Paqueは品切れが続いており、予約をしたのだが、手元に届いたのは半年後だった。若い頃はとても待ちきれなかったが、今は半年待ちなんて全然余裕である。
早速、富士メガネでレンズを入れてもらい、以来、毎日かけている。最近では、ジョギング時もこのメガネだ。かなり激しく動いても全くずれない。見た目だけでなく、視力矯正器としての機能も極めて高い。デザインのためのデザインではなく、実用を重視してデザインされたものは美しい。他のメガネの登板機会がほとんど無くなってしまった。
これをかけるようになってから、色々な人からメガネの話題をふられるようになった。多くは、というかほぼ100%が「すごいメガネかけてるね!」という驚きの反応だ。そんな時は、「20年も働いているんだから、メガネくらい好きなものをかけさせてくれよ」と返すことにしている。
まあ、実際そうだよね。氷河期世代として100社以上エントリーして、結局就職先が見つからずに、1年間無職だった身からすると、よくもまあ20年も働いたものだと思う。好きなメガネをかけて仕事するくらい大目に見てほしい。ちゃんと仕事するからさ。
初老になって思うのは、自分で自分のモチベーションを高めていくことの大切さだ。サッカーでいえば、人生の後半7分くらいの時期である。得点は人それぞれだろうが、概ね1ー1か、0−1か、そのくらいではないだろうか。
0−0だとそれはそれで楽しみがありそう。1−0だとなかなか良い人生な気がする。0−2とかだとちょっと辛いけど。そんな後半戦をどう戦っていくのか。外部からモチベーションを上げるのが難しくなってくる頃でもあるので、自分が機嫌良くいられるものは、できるだけ購入して、身につけようと思っている。(目標はミニマリストなのだが、それはそれとして)
実は、もう一本、黒フレームを購入しようかと考えていたのだが、考えているうちに値上がりしてしまった。一気に7000円ほど高くなった。ほとんど6万円である。レンズを入れたら、8万円を軽く超えていく。
それだけあれば、ルンバが買える。モンブランの修理もしなければならないし、なんならオーバーホールをしなければならない機械式時計が2本もある。かねてから狙っていたリングのための貯金も始めた。待てよ、新しい自転車を買う必要もあるぞ。
嗚呼、悩ましい。心は千々に乱れ、脳内国会の議場は喧々諤々の大激論である。なんなら、外まで群衆が溢れ、声高に「アンポハンターイ」とシュプレヒコールを挙げている。
とはいえ、それが散財家にとって、一番心躍る時間なのである。