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旅の話.61 アテネ

偶然同じフェリーに乗り合わせ、最安のデッキ席で3泊を共に過ごした8人で、港町ピレウスから電車に乗ってアテネを目指した。

イスラエル生まれのアメリカ人姉弟、オフラ&アミー
プラハの大学生、ポール&レナ
スウェーデン人カップル、オルフ&リナ
そして、ケン坊ことジョセフィンと、僕。

新しい国に入ると、その国の物価感覚がまだ判らないので、しばらくの間買い物をする時に計算に時間が掛かったり、迷ったりする。
電車代が120Dr(ドラクマ)だった。確か1Dr=0.38円位だったと思う。120Dr=46円程だ。めちゃくちゃ安い。

アテネに着いた。
なんだか彩りが乏しい殺風景な印象だった。
PIGALというホテルにチェックインした。4人部屋なので、2部屋に分かれた。1人1600Dr(600円程)だ。僕はスウェーデン人の3人と同部屋になった。

もう夕方だったけど、オフラ&アミー姉弟と一緒にパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘へ行った。階段を上って、さあ神殿だってところで
「はーい、本日の営業時間は終了ー、もう帰ってー」
と、追い返されてしまった。

翌日、改めて訪れた。
補強だか改修だかの工事をしている為、足場が組まれていた。
周囲にはゴミが積まれ、ただの工事現場のような場所だった。
有名なパルテノン神殿とは言っても、意外と雑に扱われているんだなと思って、ちょっとガッカリした。

近くで食事をしようと、飲食店を見て回ったが、どこも観光地価格で高い。
この辺だと売店のコーラでさえ900Dr(342円)もする。
なんとか安い店を探して、850Drのスパゲッティを食べた。
当時のメモには「エジプトの味がした」と書いてあるが、23年経った今ではそれがどんな味だったのか思い出せない。


バックパッカーの金銭感覚

硬い緩いは人それぞれだと思うけど、大体の人は旅に出る前に一生懸命働いて貯金して、作った旅費を切り崩しながら旅を続けていると思う。
残金が無くなったら、そこで旅は終わる。
だから少しでも切詰められるところは切詰める。
安い宿やレートの良い両替所を探す。

多国籍チームでアテネのホテルに滞在中、プラハの大学生レナから
「お金を貸して欲しい」と相談された事があった。
最初に思ったのは「ふざけんな」だった。
僕の旅人としてのルールに反していたからだ。
相棒のポールに頼めないのか聞くと、ポールももう無いらしい。
元々4人の仲間で旅に出て、先にお金が尽きた2人が先に帰り、残ったのがレナとポールだったそうだ。カップルかと思ったが違った。
「帰りの電車代が足りない」と言うので、一応「いくら足りないの?」と聞いた。「わからないけど、多分40ドルくらい」と言う。

僕は、友人知人の間柄で、お金の貸し借りをする事が嫌いだ。
高校、大学時代に何度かトラブルがあったので、自分で自分のお金の管理ができない人を信用しない主義になった。

『地球の歩き方・チェコ』に書いてあった、スリやサギが多いので注意って頁も、まだ頭に残っていた。

僕がこの旅でプラハへ行くと言っていたので、その時に返すと言う。
本当に困っているなら助けたいと思うけど、もし僕を騙そうとしているのなら絶対に許せない。この時点では判断できないので、翌朝一緒に駅まで行って、本当に必要な額をハッキリさせてから考える事にした。

アテネからプラハまで、1人分なのか2人分なのかわからないけど、400ドルだと言われた。しかし、手持ちの資金で途中のブダペストまで行ける事がわかった。そこから先はヒッチハイクで帰れると言うので、貸さなくてよくなった。ホッとした反面、やはり本当に困って僕に助けを求めてたんだと思うと、疑って申し訳ない気持ちになった。

電車が来て、2人を見送った後、なんだか後ろめたい気持ちが残った。

つづく




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