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旅の話.62 パトラ

アテネでスウェーデンを学ぶ

アテネのホテルにて。
同行のアメリカ人姉弟オフラ&アミーが、次の目的地へ向けて出発すると、スウェーデン人の3人と僕が残った。
僕はしばしば彼らの自立した考えや、優しい振る舞いに感銘を受けていた。

当時の僕は、スウェーデンの事を何も知らなかった。
「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストレム監督がスウェーデン人だって事くらいで、北欧だから寒い、くらいの認識だった。彼らと数日一緒に過ごした事で、スウェーデンに興味を持つようになった。

民主主義の成熟度が高いらしく、確かに3人とも常に堂々としていて、自然に誰とでも対等に接する感じだった。男女平等なんて当たり前過ぎて、ホテルの部屋で下着のままうろうろしてもいやらしくならない程だ。日本人の僕だけ成熟度が低く、目のやり場に困っていた。

ある夜、一緒に街を歩いている時にアイスを買い食いした。
そのアイス屋は、ろうあのアルメニア人達が働いていた。
その事に気づいたリナが手話で会話を始めた。
アイス屋のみんなが、すごく嬉しそうに笑顔になって手話での会話を楽しんでいた。その光景がすごく魅力的だった。

スウェーデンと言えば、社会福祉制度が完璧に近いと言われている。
税金がびっくりするほど高いが、その使い道が合理的で正しく、国民の生活を豊かにしているという実感が伴っている為、誰も不満はないそうだ。
高齢者への福祉と、若者への教育、現役世代へのサポートがほぼ均等らしい。若者の多くが海外へ働きに出るし、近隣の国からは来る為、外国語教育も充実していて、みんな4ヶ国語くらいは話せるらしい。

「衣食足りて礼節を知る」って、こう言う事なのかも知れない。
「礼節」で思い出した。昔、合気道をやっていた頃、先生が何度かスウェーデンへ招待されて行き、国王の前で技を披露した事があると話していた。
武道の精神とスウェーデン人のメンタリティは、通じるものがあるのかも。


アテネからパトラへ

フェリーでイタリアへ渡るため、港町パトラを目指す。
ケン坊ことジョセフィンも同じ事を考えていたので、一緒に行く事にした。
リナ&オルフと別れ、電車に5時間乗った。

パトラに着いた。
フェリーのチケットは17000Dr(6500円程)だった。
スーパーで食料を買い、出国手続きをし、乗船するフェリーが来るのを待った。出航予定の20時にようやく現れ、乗客や積荷を降ろし、やっと乗れた。
ハイファから乗ったフェリーとは比べ物にならない程、小さくて狭かった。
救命ボートのある通路しか、空いている場所がなかった。
そこで翌日の17時にイタリアのブリンディシに着くまでを過ごした。
目の前は救命ボートだから、海は見えない。

つづく

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