雨日記 #3
前夜からの雨はやまず、やまないどころか強く降っていた。前日の祖母の三回忌と祖父の一周忌を一緒に行った法事は、終わったあとで外に出ると一瞬、日がさして目の回るような好天気だった。隣の墓地の一階には樹木葬によって葬られた墓があり、魂の蝶たちがさかんに飛び交っていた。
わたしの魂は雨が降ると二十代の頃の暗黒へと引き戻されるらしい。入った大学では図書館に入り浸った。人との関係を拒絶していたわけではないけれど、なぜか友人も、顔を合わせると挨拶を交わすような人さえできなかった。寂しいと感じていたかどうかを知る感覚も麻痺しているような感じだった。孤独があまりにも親しみを持ってわたしに近づいてきて、わたしは受け入れた。孤独がいつも一緒だったから一人でいるような感じがしなかったのだろうか。孤独に魂を取り込まれていたというのが正確かもしれない。心のうちを見よ、過去へ感情の鎖をつなげ、と言われているようだった。外はいつも薄い靄がかかっているみたいだった。
浪人を経て入った大学にどんな希望も抱いてなかった。そもそも学校というものが好きでなかった。わたしはまわりの友人を見て進学したまでだった。誰もわたしを知らないところに行きたかった。
わたしは出席の必要な授業以外はすぐに帰宅し、YouTubeを見て時間を潰していた気がする。
そんな時期があったのは昔、十三のときに日本に帰国したとき以来だった。中学一年生の二学期から通いだした。わたしは授業が終わるとすぐに帰宅した。
学校から帰るとリビングのソファに寝転んで、母が夕飯の支度をする音を聞きながら、夕方テレビで放送する民放ドラマの再放送を見ていた。特に見たいわけではなかったが、何をするわけでもなく、部活に入るわけでもなく、ただそうして時間が過ぎていた。
あとになって、わたしはそのとき、イノセンスを失ったことに茫然としていたのだ、ということに気づいた。イノセンス。無垢。幼少期。少年期ーー。自由に、めいっぱい羽ばたくことのできた季節が去り、とって代わった思春期の混乱がわたしをとらえた。さらにそれまで親しんできたヨーロッパの小国の自然までなくした。
今度もそんな風だった。目の前には無尽蔵に思える時間が広がっていて、その大きさに圧倒されていた。義務としての学校教育が終わり、なんとなく進んだ大学ですることもなく、やりたいこともなく、なにもなかった。
そうしてわたしは二十歳になった。
それから半年が過ぎた頃、父のパリ赴任が決まり、母も一緒についていくことになった。わたしと兄が残された。
両親は自立のいい機会だと考えたようで、これを機に兄との二人暮らしがはじまった。兄と過ごした記憶はほとんどない。兄は人生の航路を踏み外さずに道を切り開いていつも外に出かけて忙しそうにしていた。
わたしが文学をとらえたのか、文学がわたしをとらえたのか、いまとなってはわからないし、その当時もあやしい。そのせいで人生にはぐれることになったといえるかもしれないが後悔もない。
きっかけがあったわけでもなかった。当時読んだ書物では「八月の光」が深く心に残ったし、大学の図書館に行けば古い世界文学全集のシリーズがひとつも欠けることなく揃っていた。みんなわたしのものだった。誰も文学になんて用がないみたいだった。何か深いものに触れたいと思う気持ちが接近させたのだろうか。この世界には生きるに値するような美しくて深いものがあり、例えば文学の中にそれはあるかもしれないと直観したのだ。
深みにはまるのに時間はかからなかった。気づいたら深い森に踏み込んでいた。地図もなく、同伴者もなく、手に小さな蝋燭の明かりだけを持って。その森がいつしか自分の心となり、いくあてのない日常になることをそのときのわたしはまだ知らない。わたしはただ書物に身を浸していれば満足だった。
ある雨の日、校舎の入口にあるピロティで、その日の授業を終えたわたしは雨を見ながら煙草を吸った。雨は強く降っていた。
カバンの中には何が入っていただろう? オーウェルか、ジュネか、ピンチョンか。
冷たい日だったけれど、心は満たされていたのをよく覚えている。一人だったけれど、わたしには読むべき本があり、自分の生をゆだねてもいいと思えるような本と巡りあうのを待っていた。次に読むカバンの中の本がそうであることを願って。わたしは新しい道を歩きはじめたばかりであり、はじめて自分の足で歩きだしたのだ。
煙草を吸い終わると、わたしは雨の中、家路に向かった。
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