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雨日記 #2

彼女は窓を開けた。雨の匂いがする、と彼女はいい、夕方にはまだ少し早すぎる暗い空を眺めた。雨はすぐにやってきた。あわてて洗濯物をとりこむ。

 夕立の凄まじい午後に、その年、ゲリラ豪雨と名づけられた雨が降る。わたしはそのとき火傷した手を氷水につけて外を眺めていた。たらこバタースパゲティを作っている最中、バターを湯煎しようとしてボウルに熱湯を注いだら、誤ってボウルの底に手が触れた。鋭い電気が突き抜けた。これまでの火傷とは違う、鋭い痛みだ。
 わたしはすぐさま氷水を作って手を入れた。まだスパゲティを茹でていないのがせめてもの救いだった。わたしは料理を中断し、氷水の入ったボウルを持ってリビングに行った。
 リビングには古い映画がかかっている。車でよく行った成城石井の隣に、当時ブック・オフがあって、昔の名作映画がVHSで捨て値で売られていたのを買い集めたのだ。そのときに見ていたのがゴダールだったかアントニオーニだったか覚えていない。右手を襲った灼熱感があまりにもすごかったから。
 わたしはパソコンに向かって対処の仕方を調べた。あたり前のことしか書いていない。患部を冷やせ。とっくにやっている。だが灼熱感はおさまらない。どんなに冷やしてもだめだ。外はものすごい雨。機関銃で打ちまくったような雨が降り、雷が鳴り響く。ベランダにまで雨粒が叩きつけられ、窓を打つ。わたしはどうすることもできないままぬるくなった氷水に患部をつける。このままでは治りそうもない。病院にも行きたくない。どうしようかーー。
 キッチンに行き、いちかばちか冷凍庫からボウルに水を張って急遽作った氷を取り出して握りしめた。手が感覚を失うまで、氷が熱く感じるほど握りしめた。数分間ののちにそっと氷から手を離すと、灼熱感は消えていた。みみず腫れのようなものが手のひらに残った。
 包帯を巻いて、たらこバタースパゲティ作りを再開した。出来上がったものはいつものように美味だったと思う。それはわたしの得意な料理だったから。食べ終わったあとで窓を見ると、空は晴天とはほど遠いが雨はもうじき上がろうとしていた。ビデオは終わっていた。古くさいエンドロールが流れていた。その頃はそんな古臭いものだけが、わたしの味方だった。わたしはびしょ濡れのベランダに出て、煙草を吸った。

わたしはあの頃、子供の頃と同じような時間の渦の中にいたのだと思う。時間は流れているけれど、同時に渦を巻き、時の経過が感じられない。自分がいまどこにいて、これからどこに行こうとしているのか、いや、そんなことすら考えもしない、ずっとこの渦の中に抱かれつづけているような、そんな風に感じていた。確実に時はわたしを沖合へと押し流していたのに、わたし一人がそれに気づきもせずに、女神の白い腹にあお向けになり、ひたすら煙草の煙をくゆらせていたのではなかったか。
 それは悪い気分ではなかった。いずれやってくる終わりが来る前に、いまこの時間を貪ろうと決意したわけではないけれど、わたしは精神の栄養をつけるために書物を持って海を漂ううさぎだった。両親のいないこの家とベランダから見えるここがほとんど世界のすべてだった。
 四方を海に囲まれて陸が見渡せないほど遠くまで流されたあとで泳ぐことを余儀無くされたわけだが、それはまだ先の話だ。わたしは思う存分、自由だった。少年の頃のように。

わたしはいま、あの頃と同じように一人で暮らしている。新しい小さな部屋で。今度は自分の稼ぎで、自分の力で、自分の裁量で。もう煙草はやめた。
 仕事には出ないとならず、家事はしなくてはならず、水道代も電気ガス代も税金も支払わなければならない。あの頃よりも自由ではないけれど、あの頃よりもずっと自由だったーー。わたしは海に漂うだけじゃない、自分の手で舵を握り、風を読み、帆をあげて進んでいた。それは悪くない気分だった。

彼女がわたしの洗濯物を畳み終えてクローゼットにしまう。靴下の畳み方は少しちがうけれど、そんなことはどうでもよかった。むしろそれを愛した。好きなようにしてくれるのが嬉しかった。
 ここから新しくはじめたい。時間は相変わらず容赦なくやってくるけれど、二人で向かえば怖くないとわたしは思う。

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