手話を覚えようと思った理由

けっこう古いマンガなんだけど『聲の形』っていう漫画を読んで、手話を覚えたいと思った。
覚えたいと思う理由が、障がい者支援のために……とかしっかり言えたら立派なんだろうけど、覚えようというよりは、色々調べて興味が湧いたって方が近いかもしれない。

というのも、手話(ゆび文字も?)の動作とか言葉の表し方は、漢字や象形文字のように記号的、絵的な要素があること、同じ言葉でも国によって表し方が違うこと(その国の風習なども現れる)に、興味を惹かれた。

何かの文献で「言語のルーツは音楽だった』という研究結果を読んだことがある。
勿論、現代の音楽やドレミの音律ではなく掛け声のようなものだったのだろうけど、言葉や会話、ルーツを辿ると音楽や絵に行き着くことが嬉しくもあり,いつの時代も人はそれら芸術と一緒に生きてきたんだろうなぁと実感した。

それが手話と何が関係あるのかと言うと、今言ったような手話の表し方は、実際の行動や物事の動的な表現が多く使われていて、それはもしかしたら古い時代、それこそ識字能力がほとんど無い時代や言語そのものが存在しない時代にも、コミュニケーションとして使われていたんじゃないかな、と思った。

そうなると昔の人々は、言語でコミュニケーションを取る現代人と、ほとんど変わらないコミュケーションを取っていたのかもしれない。

もっと想像を膨らませると、それは人間に限らず他の生物も、人が理解出来ないだけで同じ生物同士で高度なコミュニケーションを取っているのかもしれない。
カラスなどの野鳥の動きや鳴き声とか、植物の根っこの生え方とか見ると、なんとなくそれは感じ取れるよね。

そういった意味で、書き文字でも声に出す言葉でもない言語、という意味で手話が面白いと思った。
あと僕は声が小さいので、聞こえづらい時に手話で伝えたり、騒音が大きい場所で会話出来たら便利だなぁって思ったけど、お互いが手話を知らないと成り立たせるのは難しいのか。

あとは、自分の心の声や感情を、手で表したらどうなるんだろう?とか、電車の中とか道端とかで手話の独り言?をしてたら、分かる人からどんな返事が返ってくるのかな?とかいろいろ考えてた。

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