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パーマカルチャーを学びに行ったら一周回って大事なところに戻ってきた@アジア学院

2022年2月、パーマカルチャー入門合宿に参加したので、備忘録として。
だいぶ長くなってしまった。

パーマカルチャーってなんだ?

パーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法です。

パーマカルチャーセンタージャパン

うーん、わかるようでわからない、つかみどころのなさ。
もともと家庭菜園をやっていたこともあり、パーマカルチャーに対しては農的な要素が強い印象だった。畑のうえに鶏を飼い、畑から出た生ごみや虫を鶏が食べ、鶏糞が雨で畑に流れ、作物が豊かに育つ循環&合理性といった感じ。

だけど、どうやらそれだけではないらしい、もっと大きなデザインの話なんだとグリーンズの仕事を通じて知り始めた。

グリーンズは「いかしあうつながりあふれるしあわせな社会」をタグラインに、パーマカルチャーの原則をベースにした組織づくりや事業づくりに取り組んでいる。

私はグリーンズに携わり始めて1年半ほど経つけれど、会員特典の「いかしあうデザインカード」はパーマカルチャーど真ん中だし、日々のミーティングのなかでもごく自然にパーマカルチャーの原則を取り入れて議論が行われている。

実践者の方を取材させてもらうことも多々あって、断片的な知識や経験が増える一方、そろそろ全体像を1から学びたい機運が高まっていたところ、グリーンズの寄付会員であるUNITEDの松村さんから今回の案内がきたのでほぼノールックで友人を誘い参加を決めた。

アジア学院へ


事前のzoom顔合わせ(…は仕事で参加できずアーカイブで視聴)でSDGsの話と歴史の文脈でアカデミックな入りをしていたのも意外だったが、「多様性」「持続性」に重きをおいているからこそのアプローチだとのちに理解することになる。

合宿会場となったのは那須塩原の学校法人アジア学院

「アジアやアフリカの人々を招いて、持続可能な農業の指導者を育成する学校」というのは一側面でしかなく、パーマカルチャーの実践地であり、エコビレッジでもあり、様々なアイデンティティをもつ人々がともに生きるコミュニティでもある。

通常なら国内外のいろいろな地域から農業とリーダーシップを学ぶ学生が集まり、それこそ日本なのに日本ではないような雰囲気だそうだが、この2年は感染症の影響でほとんど学生の受け入れができていない。
それでもアメリカやインド、ガーナなどから来ている職員やボランティアの方が多く、英語も飛び交う。
衣食住が学内で完結するため、スタッフも学生もほとんど学院から出ずに生活をおくれることから、「ここは日本じゃないね」と形容されるほど。

一方で地域社会に溶け込んでおり、家畜の餌の原料としてホエーや米粉などの産業廃棄物や廃棄野菜を地域の各所からもらったり、東日本震災で建物がすべて倒壊してしまい存続の危機に陥った際には、すぐに「ここから出ていかないで」と電話が掛かってきたとか。

そんなアジア学院のセミナーハウスに到着し、初日は松村さんから、パーマカルチャーの起こりや12の原則、オーストラリアでのケーススタディを通じてパーマカルチャーの概要を受講。

一番今の自分にとって大事だった要素は

Creatively use and respond to change

「コントロールできないスケールのシステムに、創造力で対応する」という12個めの原則。

産業革命以降のながれとして欧州のように科学技術で自然を制圧していく考え方にシフトしていき、自然・災害やウィルスをコントロールできるという前提のもとで自然を管理しようとする方針を取り続けることに疑問を感じてきた。(東日本大震災や今回の新型コロナウィルスのように社会の転換点がいくつもあるにもかかわらず)

先日とあるパーマカルチャーデザイナーの方にこの疑問をぶつけてみたところ、「コントロールすることはできるよ」と言われた。それはたとえば人口密度の高い都市から地方に分散して住むことであり、私の思っている「制圧」のコントロールとはまったく違ったものだった。自然の摂理を観察してそれにそった選択をとるしなやかな対応を「コントロール」と呼ぶこと自体が、目から鱗でこの原則もタイムリーだったから、とても大事な原則に思えた。

アジア学院のパーマカルチャーデザイン

膨大な情報量に触れてパーマカルチャーの幅広さをあらためて認識したあとは、感じることにフォーカスしてアジア学院の施設内を見学。

飼育している家畜の話を聞き、彼らの食べる餌やぼかし、堆肥のつくりかたを聞き、有機農業をいとなむ畑や油の圧搾機、メタンガスのタンクなどを見学。施設内のパーマカルチャー的配置もふくめて、全体のデザインとシステムを見せてもらった。

アジア学院で飼育されている鶏たち。ほかにもヤギや豚が飼育されている。
鶏のエサ。おから・酒蔵から精米時にでた米粉・魚屋から引き取った魚などを発酵させて作る
  • 豚は半年に一度お産をして一度に10~20匹の子豚を産むが、3匹くらいは生まれるときに死んでしまっていること、

  • 6回で母子ともに出産リスクが高まってくるので母豚は3年ほどで出荷されること

  • 一般的に豚はたったの6ヶ月で100キロまで生育したのち肉にされること

  • 鶏はさらに短く1ヶ月半で出荷されること

  • 産卵と排泄をおなじ器官で行うため、毎日卵を生むことはそれだけ卵が詰まって命を落とすリスクがあること

  • そして家畜のアニマルウェルフェアを尊重するにも行政指導に従わざるを得ない部分もあるなど、
    知っていることもあれば知らないこともあり、その営みのうえに生かされている重みを感じた。

ベジタリアンからまたお肉を食べるようになった人が半分以上いたので、「お肉を食べること」について、それぞれの経験と考え方の変化を聞けたことはものすごく意味があった。私自身一時期、肉が食べられない時期があったので、食べることの喜びと感謝、そしてこれまで生きてきたなかでたくさんの命のうえに成り立っている自分のことを存分に生かすことの大切さを認識したし、地球上の生き物の6割が家畜だと知っていただけに、家畜産業のいびつさもあらためて感じた。

夜は、豚肉とオーガニックの野菜でシンプルなスパイスカレーをつくっていただいた。

チームごとに作ったスパイスカレー。材料は同じなのにインド出身の職員Veroさんが作ったものは一番カレーだった。

インドにまで行っておきながら、ふだんはポテトチップスすら箸で食べたいタイプなのだが、この日は手で食べることになり、食べることへの意識が普段とちょっと違うような感じがした。

フードライフワーク

合宿2日目は、朝7時から薪割り体験をしたあと、「フードライフワーク」とよばれる作業体験。

今回は鶏糞のぼかしの切り返しに、鶏のエサの切り返し。これがとにかくハードワーク。

山になったものをスコップでひたすら切り崩していくと発酵した湯気がすごくて視界がなくなるほど。

あだちシティコンポストというプロジェクトを運営しているため、切り返し作業はやり慣れているほうだけど重さが全然違うし、毎日切り返しをすると聞いて信じられなかった。

けれど発酵させることによって保存性が高くなったり、堆肥としての品質があがるので欠かせないだいじな作業。アジア学院は規模が大きいので、これだけのことを同じようにやろうとすると大変だけど、自分の欲しい暮らしを描いてからデザインしていけば、身の丈にあったやり方があるのがパーマカルチャー。

朝から一仕事終えて、食堂にいくと歌とお祈りの時間があり、今日ここにあることと命や食べ物への感謝を捧げてみんなで食事をとる。使われている食材はもちろん、アジア学院で育ったお米や小麦、野菜にお肉。

さっき自分が作っていたぼかしと餌から、それを栄養にして育った野菜と鶏が産んだゆで卵をいただき、またキッチンから出た生ごみを鶏が食べ、糞をして生きる一連の循環のサイクルのなかに自分もいて、たしかに生かされているということが本当に実感できたのがうれしかった。

夕食は丸鶏のサムゲタンで、自分たちで切り分けていただいたのだけど、それにも感謝しながら食べることでいつもより一層味わうことができた。

丸鶏のスープ。とても美味しかった


文化と人の多様性・多面性

那須で2世のオーロヴィリアンに会ったのも驚き。
(※南インドにある世界最大のエコビレッジ・オーロヴィル。宗教や国籍をこえて35か国、3000人近い人々が住んでいる都市。ここに住むことをコミュニティから承認された人のことをオーロヴィリアンと呼ぶ。私は2020年の年末に滞在していた)

オーロヴィルの全景模型。もとは赤土の大地に木を植えて作られたジャングルの中の村。

彼女は生い立ちがグローバルで、インドやベンガル、カンボジアなどを家族で転々とし、日本にやってきた、まさにアイデンティティが多面的な人だった。

まったく何も知らない人にパーマカルチャーを伝えるとき何を一番大切にしている?」という質問に、「相手がどう考えているのか質問する」「話してみて伝え方やアプローチを考える」と答えていたのがとてもいいなと感じた。

ともすると親に反発して違う生き方を選びそうなのに、ご両親の思想や仕事の影響を色濃く受けていたので、どんな教育方針だったのか聞いてみたら、「子どもの頃から語学面で頼られて仕事を手伝っていて、できないことを頼る大切さと人の役に立つことの喜びを知っていた」「何事も楽しそうに取り組んでいるのを見て育った」と仰られていたのも素敵だった。

傾聴と共通点をさがすワーク


今回の合宿では、それぞれが「自分事の問い」を持って参加することになっていて「持続可能な食」「人と自分のトランジションの促し方」「白黒つけない間のありかた」などパーマカルチャーに限らない問いをそれぞれが持ち寄っていた。

「自分事の問い」をテーマに、モモワークを行いペアの共通項をプレゼン。(みんなさらっとできるのがすごい)

モモワークとは
否定も肯定もせず、共感や褒めたりもせず、自分にマイクを向けずに相手の話を引き出し聞きつづけるワーク。ミヒャエルエンデのモモに住人が話をしたくなる聞き上手さに擬えて「モモワーク」と呼んでいる、なおさん命名。

私たちのペアは二人とも似たようなコミュニケーションのパターンにはまってしまっていて、そうならないために対話をすること、自分や相手の観察や想像、反射せず咀嚼することをキーワードにあげた。

このワークを通じて、性格もバックグラウンドもお互いの問いも違う2人が、深い部分ではおなじ思考と行動パターンを取っていることがわかり、自分たちの未来に向けた指針を決めるところまで行くことがたったの40分で行えた。片方が自己開示して出てきたワードで人との距離のとり方が似ていたから、行動パターンを示し合わせられて、一気に理解が深まった瞬間があった。また、ふたりともNVCのコミュニケーション手法を知識として持っていたことも共通言語として大きかったように思う。

アジア学院も「傾聴」をひとつのリーダーの資質として置いている。
私もいつも初対面の人と対話系のワークをやるときに傾聴と自己開示の大切さを感じる。この話はセーブしておこう…と思うときと、どう受け取られてもいいか、とさらけ出して話せるときの違いは、その人との信頼やこれまでの関係値というよりも、相手の解釈を交えない傾聴の姿勢だなぁというのがこれまでとの比較でよくわかったのもいい気付きだった。

第一印象だけではどんな人かわからない人とも、ストーリーを語り合うなかで共通項が見出だせる力は実はすごいことだし、自信を持っていい。これができるなら、身近な人と対話をあきらめないことだってできるはず!ってとこくらいまでは今回で来られたように思う。

月1でもいいからモモワークのような対話の時間はパートナーなり関係の深い人と取り入れていくのが良さそう。

もうひとつの気付きとして、NVCのワークのようにモヤモヤや気になっていることを紐解いていくと必ずおなじニーズや願いにたどり着くのと同じで、どんな自分ごとの問を設定したとしても(それが的確だと思えないようなもので仮置しても)本音を隠さずに開いていく話し方をすれば、結果として自分のテーマや願いにつながっているという発見がおもしろかった。

人と分かり合うこと、多様性を尊重すること

近頃はかなり居心地よく過ごせているけれど実は、違う価値観の人と出会わなくなってしまっていることの裏返しかもしれない。そんなことをほかのペアの発表から考えさせられた。

多様性を広げていくためにコンフォートゾーンから出ることの大切さ。
同質の人とかかわるばかりでなく、ちがう考えの人とも出会うことも最近の課題だと感じている。

ー パーマカルチャーは多様性を大切にすること。

何をするにしても人とかかわることから始まるし、自分ひとりで生きているのではないこと、いろいろなひとの働きがあって場が作られ、食事もできるし、生かされていること。

ー 自分とつながってから、人とつながること。

それを多様な人の視点から学び合う場の感覚的にも、参加者のことばからも感じ取ることができた。

ペアを組んだ方が私との話のなかで「会社を変えればすべてが解決すると思っていたけどそうじゃないとわかった」と自分なりの気付きを得て、人生のなかで大事な時間になったと言ってくれたのも、学び合い作用しあうことの可能性を感じた。

分かり合えなさの上にある前提で、人との「わかりあえた」感に、共通項ばかりを照らして安心するのも、それぞれが自分の尺度で理解して分かりあったような気になっている部分も少なからずあるはずだから気をつけたいけれど。

結局、パーマカルチャーとはなんなのか

合宿のなかでも「パーマカルチャーは困難な壁をぶっ壊す希望になる」(意訳)というワードが繰り返されていた。

これは本当にそうで、パーマカルチャーの考えが取り入れられた場所をめぐったり、実践されている方が語る「人間がいることによって良くなっていることもある」というメッセージを通して、過去に感じた「人の活動や存在が悪なのでは」「極論人間が滅んだほうがほかの動物たちにとってもいいのでは」と生きることへの否定につながりかねない罪悪感が徐々に解きほぐされてきたし、自分にとっての壁や社会の中にある壁を壊すことができるハンマーがパーマカルチャーなんだろう。

いまは、そう信じて取り組むほうがいいなあと考え方がシフトしてきている。
最後に、松村さんが今回の合宿を振り返って書いたブログから印象的だった部分を引用して終わりにしたい。

「パーマカルチャーデザインはpeople care,自分を含む人間のケアをすることを中心の倫理としている」
「自分の課題が人と共通するものだ、また教える側教えられる側の垣根を越えて自分たちの手で、自分事の課題を解決しうるのだ」

UNITED https://t.co/gm0GoDiArz

結局パーマカルチャーとはなんぞや、というとやっぱり一言で表すことはむずかしいけれど、自分のやってきたこと、そしてこれからやっていくことにつながっていることがわかって、今回その一端をつかむことはできた気がする。

今回の学びや自信を日常に落とし込みたいし、「何とともに生きたいか」、「何とともには生きたくないか」、という問いをもっと深めてみたい。
もっとよく自分をいかして生きていこう。

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