流れもの

“反権力、反メディア、反SNS”を旗印に、声の大きい人々を疑い、価値観の多様性を認めた…

流れもの

“反権力、反メディア、反SNS”を旗印に、声の大きい人々を疑い、価値観の多様性を認めたうえでの寛容な個人主義と議会制民主主義に替わる民主制を包含した社会の実現を目指す渡世人の戯言。

最近の記事

メディア抜きの生活を考える

 既存メディアと断絶したうえで、健康で文化的な生活を営むことは可能だろうか、をテーマに本稿を進めていきたい。情報化社会が本格化するまで、森羅万象に関する一次情報はすべて新聞やテレビなどの記事や番組を通じて知り得てきた。パソコンの普及でインターネットが身近なツールになると、市井の人々はポータルサイトや企業のホームページから直接情報が得られるようになり、既存メディアを介する必要がなくなった。例えば、ニュースや天気予報、交通情報などはポータルサイトですぐに見られるし、テレビの番組表

    • 愚民社会は止められるか

       誰もが情報の発信者になれるという社会は、本当に理想郷なのだろうか。それは究極の民主主義社会に見えて、実は究極の愚民社会になるのではないか。(佐野眞一著『あんぽん 孫正義伝』)  インターネットの普及とSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による情報発信は、それらを利用する人々にとって総合的な思考力と判断力が鍛えられる人生修養の場であるはずなのだが、実際には相手の顔が見えないのをいいことに、発信者自身と相容れないものに対する攻撃性を強め、多様化する価値観を共有し合

      • 服部桜とネットとの親和性

         服部桜という四股名の大相撲力士がいる。二〇一五年九州場所に番付が載って以来、一場所も勝ち越せないどころか、通算勝ち星は三勝(百九十戦)、勝率は一分六厘(ともに二〇年春場所終了時点)と、天文学的な数字を更新し続けているほど能力と運に恵まれていない。江戸時代から約四百年続く大相撲の歴史において、これほどまで弱い力士は存在しなかったはずで、その特異性から電子掲示板やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では負け続けても土俵に上がる服部桜が嘲笑の対象になり、彼の取組見たさ

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