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親の介護が始まった日・第三話「驚きと不安」

父が倒れた翌日、私と母は、父が入院している病院に行きました。

行きの車中、父は今どんな状態になのか、もし何か起こってしまっていたら、これからどうしよう…
そんな事が頭をよぎり、車内は無言。
「なる様にしかならないよね…」、その言葉を交わしたのだけは覚えています。

受付で父の居る病棟と病室の番号を教えてもらい、エレベーターに。
言われた階で扉が開くと、目の前にナースステーションがありました。
看護師さんに面会を告げ、病室に向かう。
緊張でこわばった顔の母。
"何が起こってても受け入れるしかない…"、そう覚悟を決めた顔にも思えました。

父の病室前に、個室だった。
カーテンを開けると、こちらに気付く父。
点滴を打ちながら、やや上体を起こしたベットから笑顔を私達に向けました。

「大丈夫なの?」(母)
「うん、大丈夫。」(父)

なんだよぉ〜心配させんなよぉ〜っと心の中で思いながら、母と私はホッとし、緊張から解放され、笑顔で話し始めました。

「怪我したところは痛むの?」(母)
「いや、全然。心配かけたね。」(父)
「いや、ほんとに心配したよ。なんだよ、どうにかなったんじゃないかと思ったよ。」(私)
「ホントよ、心配したんだから。」(母)

思っていた最悪の事態では無い様だ。
本人(父)は、どうやって倒れたのかは覚えていないらしい。
気付いたら病院に居たそうだ。

・・・父はとても真面目な仕事人間で、学歴も優秀だった。誰もが知る日本の最難関の大学の出身。勤めていた職場も皆が知る一流企業だった。しっかりとした役職にも就いていた。めでたく定年迎え、仕事を引退してからは、これといった趣味はないので、地元の自治会の役員を買って出ていた。老後の生活は、もっぱら自治会の仕事と、その飲み会が楽しみな人でした。家族サービスより自治会優先。自治会のイベントや旅行の幹事は喜んで引き受けるのに、家族旅行の計画なんて一回も企画すらしたことはない。はっきり言えば、外面は良い。そんな人でした。しかし、この事態が起こるちょっと前に、父が幹事をした自治会の旅行の会計報告が不十分で、会計担当の自治会の方と言い合いの喧嘩をしてたことがあった。思えばこの頃から、少しづつ正確な計算は出来ない状態になっていたのかも知れない。今回、倒れたのは、その父が生きがいとしていた自治会館からの帰りの途中でした・・・

父と母と私で色々と話していた時、看護師さんから担当医からの説明があるので来て頂けますかと声掛けがあった。母と私は「また後で来るからねぇ~」と病室を出て、別室に通された。

ドアをノックし、担当の医師に挨拶をして、医師が説明を始めた。昨晩の救急の処置室で聞いた同じ診断と、今日は精密な検査もして、急変の可能性はかなり低くなり、本人もしっかりとした応答が出来ているので問題はなさそうだという事だった。私達はハイハイといった感じで軽くうなづいていたが、次の言葉で場の空気は一変する。

「それで、今回の脳梗塞の後遺症で左半身に麻痺が出ていますね。」

「・・・えっ?」

時が止まる・・・。
病室では、全く気付かなかった。普通に会話を交わしていた。

「これからリハビリを行いますが、どの辺までリハビリを行いますか?」

医師は話を続けるが、私達は不意を突かれた様なショックな診断を言い渡され、頭が回らない…。

「・・・どの辺?、・・いやぁ・・・、普通に立てないんですか?」

「まぁ、リハビリでどこまで回復するか・・ですね。」

私達は想定も想像もしていなかった事態に言葉が出ない。しかし、返答しなければと、希望もこめて医師に聞いてみた。

「では・・・、普通の生活に困らない程度に・・・、できますか?・・」

「分かりました。リハビリ頑張りしょう。では、この後、入院に関しての事を担当の看護師から説明してもらうので、このままここでお待ち下さい。では失礼します。」

医師は別室を去り、取り残された母と私は茫然としていた。

「・・そんな感じに見えなかったわよね・・」

「・・うん。」

さっき病室で普通に会話を交わしてきた父を見ていただけに、二人が想定していた"何事もない診断"とは落差が大きかった・・。

「・・・とりあえず、リハビリでどこまで戻るか・・だね。」

「・・大丈夫よ・・・。」

・・・これから、どうなるんだろう・・

ショックと、これからの不安が入り混じる、6年前の12月の寒い日の事でした。


・・・つづく



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