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長いあとがき ~短編小説10週連続公開「MOMENTS」を終えて

どうも。丸山浮草です。
ほんとはもっと早く、この文をUPしようと思ってたんですが、1月末の寒波が来た朝、くしゃみをして階段から転落した際に腰の骨のかたちがすこし変わってしまい、遅くなりました。
すいません。
ここnoteは、文章を書くのが好きな人々の集まる場所でもありますし、今回の短編にいたるまで丸山浮草本人がどうやって、ものを書いてきたのかについてお話ししてみようと思います。

もしかすると参考になることがあるかもしれないし、ないかもしれません。
もうしわけないのですが、しばらくおつきあいいただけたらと思います。
(敬称略になります。すいません)

私は一人っ子で両親は共働き。本さえあればおとなしく静かにしていたので幼いころから絵本や漫画を与えられてきました。どちらかといえばすべてにおいて質素な家なのですが、本だけはいろいろ買ってもらったように思います。
夢見がちで、いつもぼんやりなにかを想像している子どもでした。
少年時代のアイドルは永井豪。KCコミックスの『デビルマン』に衝撃を受け、『宇宙戦艦ヤマト』『未来少年コナン』のアニメに夢中になり、生まれて初めて小遣いで買った文庫本はハヤカワSF文庫の『宇宙船ビーグル号』、テレビの洋画劇場が楽しみで『スター・ウォーズ』も親父に連れられて劇場でちゃんと見た、という感じです。

最初の転機は高校に入学した時です。一年生のクラスに突然先輩がやってきて「君たちも映画を撮りませんか!」というのです。「撮れるんですか?」とビックリして、8ミリ映画の部活に入りました。「ぴあフィルムフェスティバル」に先輩が大島渚の推薦で入賞し、同期も大森一樹推薦で入賞するなど、なかなか異才の集った部活でしたが、私はすごく平凡で、ぼんやりした感じで3年を過ごしました。

やっぱり自分は「お話し」というものが作れないんだなあと痛感し、大学に入学した時に文芸部に見学に行ったのですが、そこでかなり影響を受けることになる友人を見つけたものの、部活自体はなんとなく肌が合わず幽霊部員を貫徹。その友人が、卒業時の部誌に載せてやる、というので作品を提出したときに「お前4年間部費払ってなかったのか…」という事態が発覚したりもしていました。

彼はSくんといい、ふたりとも高橋源一郎が好きだったというのが縁でよく遊びました。彼の部屋に友人たちと集まって酒を飲んだときに、私が途中で寝てしまい、目が覚めるとベッドに縛りつけられていた。なんてこともありました。ガリバーの気持ちがわかって面白かったです。セリーヌバロウズを知ったのも彼からです。当時の私は村上龍村上春樹の作品をよく読んでいました。あと、蓮實重彦栗本慎一郎の著書をよく読みました。さっぱり理解できなかったのですが、言葉のリズムが気持ちよかったのかもしれません。

2度目の転機は大学3年の頃。初めて完成させた小説が『群像』の一次を通過したことです。それは
『身近な町でテロが発生し、様々な奇人・怪人と出会いながら、殺された恋人の死体を苦労して彼女のアパートまで運んだものの、最後は野犬に襲われてその死体が食べられてしまう』
という中編を核に、その町の日常を描いた連作を集めたものです。その小説そのものがテロで精神を破壊された被害者がリハビリで書いたものだった―という、メタ構造になっていたと思います。
これで火がつきまして、だんだん小説を書くことが日常に欠かせないものになっていきました。

印刷デザイン会社でコピーライターとして働きながら創作を行い、3度目の転機が来ます。25~27歳のときに書いた「僕らにとってリアルとはなんだろう、現実から生まれるどんな感情も、かつてテレビを見て抱いた感情(シミュラクラ)とさっぱり変わらないのではないか」みたいなものをテーマにした『テレビあたま』という作品が『文藝賞』の最終候補になります。

担当の方が「これはいいと思います!」というので期待してたのですが「ダメでした!」と、妙にあっさりした電話がきて終わりました。「作品を送ったら読んでもらえますか」と訊いて「なにをそんなに焦ってるんですか」と言われたのは妙に覚えています。
実際に送ったのですが、何の連絡もこなかったので、たぶんよくなかったのでしょう。

選評では江藤淳から「こういうものを書けば頭がいいと思われるのだろう、と思って書いている」みたいな言葉が落選作品全部に送られました。「時代に迎合している」みたいな評もありましたが、けっこう何年かかけて書いていて、その最中に「時代はバーチャル!」みたいなCMがでてきて、漠然と“なんか追いつかれてる?”感があったので、そんなつもりじゃなかったんだけどなあ、といったところです。
そこで、瀬戸内寂聴先生だけが褒めてくれました。自分が創作をやめなかったのは、先生の一言があったからです。
そして、この3度目の転機が呪いになります。

呪いにかかっているので30代は「書いては賞に投稿」をひたすら繰り返します。落選したものを書き直したゾンビのような作品でもおかまいなしです。だんだん「直して投稿するのが生きがい」みたいな感じになっていました。
あんまりよくないですね。そのうちに40歳の大台を迎えてしまい、うーん、これは、なんというか、ちょっと「生き方を間違えた感」というか、自分はなんてダメなんだろう、みたいな感じが日々つのってきて……うん、一回、自分を見つめなおそう! どうやって見つめなおすか! そうだ、そのために小説を書こう! と、よく考えたら
「やっぱり呪いかかってるねえ (´―`)」、みたいな決断をします。

人生を振り返るといっても、重くなってもアレだから、とにかく1000字にひとつ以上はギャグをつっこもう。
どうせなら落語家がしゃべるみたいにしよう、そしたら長々と文章を書いたあとで「…ではなく」なんて、はぐらかすとか、修飾表現の部分でも奇天烈なことをして笑いをとるとか、アヴァンギャルドなこともしてみよう。
そうなると第三者神視点の「話者なのに、うざいくらいしゃべりたおす」スタイルなんか、新機軸で面白そうだな。
と考え、二年くらいかけて「六畳間で本のグランドキャニオンに囲まれて暮らす中年男」を主人公にした作品を、ゲラゲラ爆笑しながら書き上げました。
で、書き上げたものの、でもこれ、文芸で言えばどんなジャンルになるんだろう「書いた本人にもわからないぞ…」という状態になり、頭を抱えていたところ、目の前のブラウザに産業編集センター主催『暮らしの小説大賞』募集の広告がこつ然と現れ、これか、これだな! と勢いで応募したら、受賞してしまい、これが4度目の転機になりました。

六畳間に積み上げた本の峡谷で暮らす中年独身コピーライター、その関係を前に進めたい彼女、今回の第8短編にも登場した安藤さゆりさん(作中では生意気かつ得意気)、腐れ縁のテレビ局報道部員の大男、大地を埋め尽くす多種多様な死に方をした死体の群れ、キツイなまりで話す老齢の父母、生意気な安藤さゆりが食べるやきそばパンとビッグマック、いつのまにか終売でもう手に入らないI.W.ハーパー12年、風に飛んだレシートを箸でビシッとつかまえる広告代理店のディレクター、食卓に出現する魚の焼死体、屋上の風景、都市の風、幸せの記憶、爆発的嘔吐、などが入れ代わり立ち代わり現れるその小説の名は『ゴージャスなナポリタン』といい、それが私のデビュー作です。
発刊当時、日経新聞の文芸欄の記者さんがインタビューに来て「自分の知り合いにも、あの主人公みたいなやつがいるんですよ、ハハハ♪」とフランクに言っていたのを覚えています。
本の表紙のナポリタンは審査員の料理研究家・飯島奈美さんのもの。小説内のレシピにそった形で作られたものです。担当さんが「すごくおいしかったんですよ!」とうれしそうに報告してくれましたが、私は食べていません。私は食べていません。

この小説は発刊後だいぶたってから「an・an」の料理特集かなにかの記事で紹介されているのを発見して、驚いたのを覚えています。本というのは、一度世に出るといろんな人のもとに行くのだなとあらためて感じました。

デビュー2作目は、『物語はいつも僕たちの隣に。』という作品。転機にもなった大学文芸部の、暑い真夏の一日の物語です。
メインストーリーは朝から夕方までの部室の出来事。その進行に合わせて、登場人物が書いた物語たちが登場します。
連作とも言えるような言えないような、かなりメタな構造です。いま思うと、これ、よく会議通ったなあと思います。担当さんが尽力してくれたのだと思います。

その朝、一編の小説を書きあげた主人公、濱田宇喜夫のシーンから始まり、入部以降まだ一編も書き上げたことのない天然系友人の宗介、ビールを持って部室にやってくる憧れの先輩女性・花園さん(破天荒)、オスの三毛猫などが登場します。これらの登場人物や、部のOBなどが書き上げた、作中作品として以下の小説が登場します。

◆部屋の間取りの順番で展開する、ある一家の物語
◆ヤマンバの昔話を、殺陣や江戸時代の風俗、カニバリズムも含めリアルにリブート
◆”饒舌なシャープペンシル”による身の上話
◆日常が徐々に崩壊していく「日記小説」(日記小説って意外と前衛では)

◆恋に疲れた大人の女性と、本が大好きな女の子が冬の書店で出会うお話し

小説そのもののテーマは「小説とは、物語とは、そしてなぜ創作をするのか?」みたいなものを、ゆるく追ってる感じなんですが、じつは叙述トリックが執筆の裏テーマで、さらに叙述トリックのように見えてそうではないもの、などもあります。でもまあ、ところどころストレートにストレートな行動を書いたりもしています。

「あ、いま、この部屋、三十八度だわ」
宇喜夫が言ったその瞬間、宗介は「ああああ」と声をあげて二階の窓から飛び出していった。

文芸部の先輩が部誌に寄せた、こんな巻頭言も出てきます。

言葉は 水
物語は 波紋
響きあい 伝えあい 
幾重にも重なって
うつろいやまぬ水面こそ
この世界

発刊の際の『ダ・ヴィンチ』インタビューがこちらになります。ご興味がありましたら、ぜひ。

発刊時に装丁をされた方(だったかな)から「こんなにいっぱい、いろんなお話を一つの作品に詰め込んで、次の作品は大丈夫ですか」なんて聞かれて、「まあ、大丈夫ですよ」なんて答えたのですが、じつは大丈夫じゃなかったのでした。
なんというか、はやくも「やりとげた」感みたいなものが出てきて、意外とスッカラカンでした。無理やり3作目を書いたものの、文体がはしゃぎすぎて、ぜんぜんダメでした。実験的にいろいろやろうと思ったんですが、やりすぎて、こいつ狂ったようなハイテンションで何いってんだろう、くらいな感じです。ストーリー自体は伏線回収も面白くできたな、と思ったんですが、とにかく文章がぜんぜんダメ。ボツです。迷走です。

けっこうずっと、ぼうっとしてたのですが、やはりそういうときは原点に帰ろうということで、故郷・新潟市をテーマに書いてみることを思いつきます。そうやってできあがったものが、新潟市の、いまはもう無い建物や場所を舞台にした短編集「新潟物語・浮草版」です。~版とつけたのは、新潟市の一人ひとりにそれぞれの新潟物語があると思ったからです。それは、こんな一節から始まります。

 新潟というのは不思議な街だ。
 ( 略 )
 今も川は大量の土砂を運んでいて、放っておけばすぐに港は埋まり、時間が経てば地形さえ変わってしまうことだろう。
 そうさせないために、港には日々、浚渫船が出動し、必死に砂をさらっている。
 それはどこか、そこそこうまくいっている儚い幻を、必死に繋ぎ止めようとしているようにも見えるのだ。
 僕は、そんな土地で生まれて育った。

やっと落ち着いた文章を書けるようになりました。作品のタイトルは『昔々、北光社の二階で』『WITHビルの猫娘』『ビッチズ・ドーターの女』など、など。
担当さんの反応は「それぞれの話は単体として読むと、とてもよかった。ただ、短編集として1冊にまとめたとき、新潟以外にもなにかテーマがないと弱いかもしれない」というもので、お蔵になりました。
個人的には「儚さ」とか「夢」「幻」みたいな物語を書いたつもりでしたが、明確なテーマとして捉えづらかったのかもしれないです。
そもそも「新潟の、今はもう無い場所の話」というコンセプトも、ニッチだったのでしょう。ていうか、よく考えるとこれを全国展開が前提の出版社に持ってった私がヘンです (´・ω・`)。そこで担当さんから「長い物語を書いてみませんか」と言われたので、そうすることにしました。

子どもの頃好きだったものの指向もあるのか、奇怪なイメージに走るというか、想像力全開みたいなシーンを書きたい部分もあったので、ここは「わだば国書刊行会から出てもおがしぐね幻想小説書ぐだ」みたいなノリで、ガッツリやってみることにしました。
2年くらいかかったと思います。タイトル仮称は『G』です。

担当さんのメールの感想は「ダントツ!」というもので、その後、改稿作業が始まります。

登場人物は、パッとしないOLと荒んだ暮らしの作家くずれ、布をかぶった子どものオバケ、子どもだけを殺し続けるシリアルキラー、宇宙人、やばいストーカー、肉屋の親子など。
素人探偵二人組の小さな冒険は、街角のしょぼい公園から始まり、燃え上がる黄泉の岸辺へ到達します。

この作品は、改稿を経ていちおうの完成を見まして、担当さんの
「ファンタジー、ホラー、バイオレンス、ミステリーの要素が混然一体となり、一人称複数視点で混沌としているのに破綻していない。これは圧巻と言って良い気が」
という評価の一方で
「クライマックス部分あたりで読者に要求するハードルが高くなり、世界観についていけないのではないかという懸念」
もあったところ、ちょうど出版社が新たに定めた出版方針に、当てはまらないのではないか、ということでお蔵になります。

担当さんも思い入れがあったのでしょうか。「この作品は大事にしてください」と言われたんですが、私は担当さん以外に編集さんの知り合いは一人もなく、なんかポツーンと取り残されたような気分で、私の存在自体はそれ以降ゲル化します。
そのまま1~2年くらいすぎる頃「ハッ!」と気づきます。「このままではいかん! そうだ! メンタルを立て直すのだ! どうやって? 小説を書いて!」という、
「やっぱり呪いかかってるねえ (´―`)」みたいな感じで書き上げたのがここに発表した10作品です。

ものすごく素直にスーッと書けたのが「ストロングゼロ」。あの従妹はかつてこの世に実在した親類です。口調もそのまんまにして書いてみました。「メダカとヌマエビ」は、もしかすると呪いにかかった自分の投影かもしれません。「鼻から~」は恐ろしいことにすべて実話です。21世紀の今なら、まあ書けるかな、と思いました。「カレー」は、シリーズを始めるきっかけになったもので、今までの日常がそうでないものに切り替わってしまう瞬間/MOMENTSを、かなり短い紙数で書けたら、というのがありました。「ちいさくてまるくて~」は個人的には好きです。こういうものを読んできたのだなあと思います。「よどみさん」「神様」も実体験をもとにしています。とくに神様は、「異化作用」だけを抜き出すように書きたいと思いました。「ドッペルゲンガー」は私のネットゲームのキャラクターが小人族だということと、実際に父親に関して似たような経験をしたことがあるので書いてみました。「幻肢」は、なんだかアイディアがポンときて、2日ほどで書いたものです。起承転結があります。「チャーハン」は実際に、ああやって作っています。デビュー作のナポリタンのように。

というわけで、腰を傷めてしまった現在へ、文章が追いつきました。長かったですね。お読みいただきありがとうございます。

現在構想中の長い物語をそろそろ書きはじめようかと思います。
並行して、たまに短編もここで発表してみようかとも思っています。

とつぜん、昔の作品とか発掘して発表したりもするかもしれません。
20年以上前に書いた、バロウズの影響が濃いハードコアパンクみたいな小文とか……。
先のことはぜんぜん未定ですが、呪いにかかっているので、たぶん、あてがなくとも書きつづけるんじゃないかなあという気がします。

今回は短編シリーズMOMENTSをお読みいただきありがとうございました。
お読みいただいたすべての人に感謝します。

それでは、また。(´ー`)ノシ

作品リンク
ゴージャスなナポリタン
物語はいつも僕たちの隣に。

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