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愛とか恋とか、別にしなくていいから。

この動画の人は、ジュディス・バトラーっていうアメリカの哲学者です。
ジェンダーとセクシュアリティー研究の専門家です。

女性や男性といった性別は、社会的な要請によって後天的に役割として決められるものである、という説を唱えているようですね。生まれた直後から、この人生で演じなければいけない役を与えられる、というニュアンスでしょうかね。

生まれたばかりの赤ちゃんは、最初は男性でも女性でもない、という事。
100年くらい前のフランスの哲学者ボーヴォワールも「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という事を言っているけど、このバトラーのそれとどう違うのかは、まだちょっと理解できていないです。

どうやらこのバトラーさんは「性別なんてものは、そもそもありはしない」という大胆な事を言ってるんだと思われます。

その説を「本気でそうなのだ」と想像してみると、不思議なことに結構飲みこめてしまう気がします。

例えば、人間が、生まれてすぐにクラウドに接続され、VR空間にサインインして人生が始まる、というような世界であるとします。
なんというか、「いきなりメタバース」みたいな感じです。
その場合、全員最初は棒人間で、成長に伴って個性を表現するアバターやアイテムを自分で選択して身に着けてゆくイメージです。

最初のほうは、誰が誰だか見分けがつかない。ざっくり「子供」。しかし、思春期に近づくにつれて個性を表現するようになるわけです。

こう考えると、このバトラーさん的な思想はジェンダーに限らず、人種や、身体的な特徴や、カーストや、親の職業や信仰する宗教など、あらゆる先天的な条件がもたらす「自分ではどうしようもなさ」や「謎の負い目」を解除できるんじゃないかと思ったりします。

私がジェンダーのバリエーションの多様さに触れたのは18歳の頃。1997年頃なので今から24年前。
建築関係の雑誌で「A」っていうのがあって、その雑誌の中のカルチャー特集記事かなんかで、トランスジェンダーについて書かれた記事がありました。

白いタンクトップとジーンズ姿のドレッドヘアの黒人男性の写真が掲載されていて、
「私の体は男性だが、性自認は女性。しかし恋愛対象は女性なのでレズビアンかな。」というキャプションが書かれていた。
え?なに?どういうこと?私は混乱しました。何がどうなっているのかわからなかった。この記事は、田舎の高校生の私にとっては相当衝撃的でした。

生物学的な雄雌、性自認、性的指向やその有無。これらの自由な組み合わせによるバリエーションは無数に存在する、ということになります。
こういうバリエーションのなかで、一体自分はどういう位置づけにあのるか?なんてことも考えさせられたし、それまで考えもしなかったからまずは驚いたわけです。

このような事実を知ると、人間を「男か女か」という、たった2種類の分別で済ませられるわけがありません。生物学的にオスとメスに分けられるヒヨコの出荷じゃねえんだから。と思うようになりました。

自由に自分を生き、好きな人を好きになり、勝手に生きれらるのがいい。

どういう組み合わせで結ばれようが別にいい。別に当人同士の事なんだから、社会に個人の性的指向をさらす必要は無いはずです。

こういうジェンダーの話題を見聞きするなかで、いつも引っかかっていることがあります。

「人は皆、恋愛やセックスをするものだ」という前提で話されている気がします。私は「そうでもなくね?」と、思います。

恋愛とかセックスも、したきゃすればいいだけだし、したくない奴だってそりゃ当然いるでしょうに、と思うからです。
恋人を作って処女童貞を捨てなきゃならん。運命の相手と結婚しなきゃならん。というプレッシャーを感じたことってなかったですか?

恋愛をするように社会から仕向けられ、恋のために要りもしない物を買わされ、そこまで好きでもない相手に金を使う。そんな時代が日本には確実にあったと思っていますけどね。
恋愛マーケットというのが発明されて、そのプロパガンダでシンデレラ・エキスプレスや東京ラブストーリーやユーミンやドリカムがあったと。

「恋愛は素晴らしい」という幻想と「そんなんじゃモテないぞ!」という呪いで、男と女がくっついたり離れたりして経済をぐるぐる回す。
もしも、「男として、女として、我々は恋愛をしないといけない。」という価値観が、マーケットの要請によって植え付けられたものだったとしたらどうでしょう。

なんか、都市伝説っぽいっですね。

私たちは、そのゲームの役割を演じ、恋する男として、恋する女として、それぞれ経験値を稼ぎ、レベルを上げ、ステータスを上げ、アイテムを買い、ゲームのクリアをひたすら目指すわけですよ。日本のバブル期ってこういう状態で、現在の日本の「男らしさ」や「女らしさ」って、この世代が持ってる価値観の影響が強いんじゃないかな、と思ったりもします。いいとか悪いとかじゃなくて。
その下の世代は、オタクとか別に普通だし、過度なラブストーリーの時代は終わってるから、感覚的には比較的フェミニンなんじゃないかなと思います。

「男とは、女とは、こうあらねばならない」という固定概念は、「愛とか恋とか、別にしなくていいよね。」という価値観の許容と共感によって破壊されるんじゃないかと思うんですよね。



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