偶然の男
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偶然の男

長尾スエオ

私がジェンダーについて、また、フェミニズムについて語られる言葉を多く耳にするようになったのは、体感的には今からちょうど2年くらい前からです。
女性やトランスジェンダーに関わらず、社会の中で不当に差別・搾取されてきた方々の言葉に触れる機会が増えてきたように思います。
他人事ではなく、まず、自分が社会的に加害者の側に立っているかもしれない、という事を前提に考えたことをいくつか書きます。

身近なところから、考える。
自分が当事者であるというところから考える。

私は昭和53年、1978年生まれ。ロスジェネと呼ばれる世代です。男性です。

自分の両親がそうだったように、父親は稼ぐのが役目。母親は家を守るのが役目。というのが当然の価値観として育ちました。
もっと言えば、「労働」というものは苦役であり、男はそれに耐え、歯を食いしばって家族のために金を稼ぐ存在であると思っていました。
気ままで無責任な独身生活を終えて所帯を持つという事は、その苦役を負う覚悟を持つという事も含まれると本気で思っていました。
その覚悟が持てる相手と添い遂げるというのが私の結婚観でした。

この価値観は、私が子供の頃からあり続け、つい2年くらい前まで変わっていませんでした。つまり私は40年間もこの価値観を当然だと思って生きてきたという事です。

私自身の事なので、実感を伴って言えます。このような価値観で生きていると、私の中に「被害者意識」が生まれます。
男として苦役を引き受ける、という感覚を持ったまま生きていると、
「この家庭の生活は、俺の犠牲の上にあるんだからな。」
という意識と態度で妻や子供に接してしまいます。

自己犠牲の上に構築したプライドはいびつです。

私の妻は子供を妊娠してから約10年の間、専業主婦として育児と家事を全部やってくれていました。そんな妻にしてみれば、生活を人質に取られた状態で夫からのネチネチとした精神的な責めやプレッシャーを受け続けるしかない状況になってしまいます。

私は、仕事を「苦役」と考えつつも「俺が引き受けるんや!」と覚悟を決めているため、妻がもう一度働くことに対して「無理すんな」「俺に任せとけ」と、本気で思っています。
「愛」とか「思いやり」という心情があるのは本当で、妻に苦役を強いたくないという気持ちもあるため、就職・転職・社会復帰を「しんどい事」と定義づけています。
ここで問題なのは、私は「家事・育児」のことを「苦役」と認識していないという事です。
そして、妻を家事と育児という当面終わらないルーチンの中に閉じ込めてしまうのです。これは、妻の人生の時間的な余白を奪ってしまう事になります。

妻は出産と育児で、社会との接点が途切れてしまったまま次第に時間が過ぎていきます。そうなると、当然不安になります。乳飲み子もいるし、前とは違う状況です。夫である私の様子は変わらないし、家事も育児も現実的には「苦役」です。相当孤独だったと思います。

そんな中、私はというと「ようし!子供のためにもバリバリミルク代を稼ぐぞ!」といった具合に馬車馬感を増してゆきます。とても前向きです。
もう、あれですね、バカですね。

というわけで、

「被害者意識」や「自己犠牲」みたいなマインドはクソです。
被害者意識は、実際の被害者を生みます。
自己犠牲の意識も、実際の犠牲者を生みます。

被害者意識を持つ者は、
「自分は被害者なんだから、何やっても許されるよな?」
というロジックをやがて手に入れます。

映画のジョーカーが誕生するのと同じ理屈です。

「被害者意識」や「自己犠牲」を「愛」だと勘違いして、その愛を伴う苦役が認められなかったり、必要とされなかったり、批判されたりした途端、ジョーカーは誕生します。

「被害者である俺の自己犠牲による愛は踏みにじられた。じゃあ、もう、何やっても許されるよな?」
これは、哀れで悲劇的ではあるかもしれないが、決して正義ではないし、あってはならない状況です。最悪です。

こういう心情が見え隠れしているひどい犯罪をニュースで時々見ます。
原因がわからないとか、現代社会の病理、とかじゃなくて、はっきりと思うのですが、ああいう犯罪事件の根は「被害者意識」だと思います。


話を戻しますと、マジョリティや社会的に有利な立場にいる者がいる。生まれつき、偶然そっち側にたまたまいる者たち。その大多数は男たちです。私もそこに含まれています。
我々の多くは、意図してマジョリティにいるわけではなく、偶然男に生まれ、あえてマイノリティにならないだけという状態の者が大多数だと思います。

我々は、偶然の男。

そんな我々のほとんどは、「自分は加害者である」という意識は持っておらず、むしろ「自分は被害者だ」という意識を持つ者のほうが意外と多いのではないかと思います。
(※男性が生まれつき加害者だと言っているわけではありません。)

正しいかどうかはわからないですが、私の個人的な考えとしては、まずは、自分の中にある「被害者意識」や「自己犠牲の意識」を潰すことが、より良い何かのための、はじめの一歩になるんじゃないかと思います。

どうですか?これ、どうおもいます?



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長尾スエオ
会社員/WEBディレクター・マーケター/新潟県/1978年生