小学生のための、「他人を操る」黒魔術
という怪しげなタイトルを付けて、子ども達に話をしたんだ。
3人兄弟妹で、あるプロジェクトを進めていて、とにかくケンカをする。
(プロジェクトについては、そのうち改めて記事にしようと思っている)
ケンカの原因や具体的な理由はその時によってそれぞれだけど、共通していることもある。それは、「自分の思ったように、相手が動いてくれない」という不満だ。
あまりにヒートアップしてきたので、そんなに思い通りにならないのが不満なら「自分の思い通りに、他人を操る黒魔術」を教えてあげようとホワイトボードに向かった。
誰の話なら聞くか
相手を自分の言いなりにさせるには、誰の言うことだったら話を聞くかを考えてもらった。
例えば、同じ命令をされても、この人に言われたらその通りにした方がい良いと思うけど、あの人には言われたくないと思うことはよくある。
自分の言ったことが相手にとって影響力が強く、この人のいうことならやるしかないという気にさせれば良い。
脅しても続かない
ここで排除しておきたいのは、脅す、騙す、弱みを握る等の方法だ。たしかに、一時的には言いなりになってくれるかもしれないけど、なんとなく良くないというのは子どもでもわかる。
一応、どうしてダメなのか合理的に説明すると、脅し続けたり、騙し続けたりするのは、大変なエネルギーを消費する。しかも、休むことができない。脅し続けることに疲れてちょっと休んでしまえば、すぐに逃げられてしまう。そして、二度と近寄ることはできない。
だから、相手を操るためには良い方法ではないのだ。
じゃあ、どうすれば良いか。
人は、自分の欲求を満たしてくれる人に寄ってくる。
そして、言うことを聞く。
欲求段階
ここでマズローの欲求5段階説を持ち出してみた。
もう古い理論だし、色々と矛盾点も見つかって反論したい人もいるかもしれないけど、子ども相手に人間の欲求段階を説明するのには、シンプルでちょうどいいのだ。
腹が減って死にそうでも、このまま自己実現したいアーティストとか、そういう複合的な例を持ち出すのはよそう。
そもそも、マズローの欲求5段階説をよく知らないという人は、適当にググってみるといい。ピラミッド型のイラストで解説しているサイトがたくさんあるはずだ。
話の内容は、つまりこういうことだ。
もし、腹が減って死にそうな時に、おにぎりをくれる人、おにぎりをくれない人、どちらの言うことならきくか?
「何でもするから、食べものを分けて欲しい」となるのは自然なことだろう。ただ、現代において、生理的欲求が満たされていないという人は少ない。一時的に腹が減ったとういことはあっても、この後、食べるあてがないというのは、たとえば大きな災害にあってがれきの中に閉じ込められてしまったり、遭難や漂流してしまったり等、かなり特殊な状況だ。
では、生理的欲求は、ほとんどの人が満たしているとして、第2段階の安全の欲求ではどうだろう。
他人との関係で考えると、安全欲求を満たしてくれそうな人のところに人は集まるということだ。そして、そういう人の言うことなら聞いてしまう。
この人と一緒にいるとなんだか落ち着く、安心する、やさしい、助けてくれそう、と思わせればいいわけだ。
逆に考えると、安全を脅かす恐れのある人というのは、自然と避けてしまう。具体的に言うと、見た目に怖い、口調がきつい、怒鳴る、動作が乱暴、そういう人の言うことを好んで聞きたいとは思わない。
ちなみに、子ども達には言わなかったけど、両刀使いで、本当に人を操ってしまう人もいる。ちょっと脅しては優しくする、時々怖さをちらつかせては優しくする。または、不安をでっち上げてから安全を提示する。
DVや、危ない宗教ではこの手法が使われている(・・ように思う、シランケド)
少なくとも、いろんな商売がそれで成り立って事もあるので、冷静に周りを見渡して欲しい。保険商品なんかそのままだし、健康食品や何かの健康被害から守ってくれるグッズ、これからの時代はこんな人材が求められるなんて煽って教材や通信講座などもたくさんある。
テクニックとして、そういうことは知っておいてもいいけど、子ども達の人間関係において、それを実践して欲しいとは思わない。
人気者になるためには、相手を不安にさせるようなことはしないというところが肝要だ。
さらに上位の欲求を満たしてくれる人
同じように、欲求段階を上げて考えてみる。所属欲求を満たしてくれる人、承認欲求を満たしてくれる人。
つまり、仲間に入れてあげるよ、あなたのこと認めてるよ、ということを人は求めている。安全欲求を満たされている関係では、こういうことが、さらに関係を深める。noteでいえば、「スキ」や他のSNSでは「いいね!」を押すというのも、他人を高評価することで、押してもらったほうが嬉しい。
それはSNSだけの話じゃない。実にくだらないことのようだけど、いつも周囲に目を配って認めてあげるということは、意外とできることではない。管理職になってから、わざわざそういう勉強をする人もいるくらいだ。
こうして、高い欲求段階を満たしてくれる人だったら、言うことを聞いてしまう。最高段階の自己実現欲求を満たしてくれる人というのは、「メンター」なんて呼び方がある。
自分は、どのレベルか
ここで一度、子ども達に問いかけた。
「相手が言うことを聞いてくれない」ってどういうことか。
それは、自分が、相手にとって欲求を満たせる存在ではないということだ。
頼み方が乱暴だったりしていないか?
そんな人の言うことなんか、誰だって聞きたくない。
思い通りの相手を操るには、相手より高いレベルで行動できる人になればいいのだ。
そうすれば自分のレベルはどんどん上がり、下位の欲求を満たせない人は言うことを聞いてくれる。
もう一つ重要なのは、間違えるとレベルが下がってしまうこともある。
相手を認めない→仲間ハズレにする→なんか腹立つ、というのは、承認欲求→所属欲求→安全欲求を見事に裏切っている。
その後の雰囲気
少しは心に留まったのか、とりあえず不毛な兄弟ケンカは収まった。
それでも、腹が立つことはあるだろうし、思い通りに行かない事なんてたくさんある。
今までなら相手に向かって怒鳴り散らしていたことが、やり場のない悔しさに変わっているようにも見える。それで良いんじゃないかな。少しは伝わったみたいだ。
相手が思い通りにならないと感じたら、自分は相手よりものレベルの低いところにいる、ということに気づけたらいい。
理屈でわかっても、腹立つことはあるし、一言で人が変わるなんてありえない。それでも、そんなことを心に留めておくことは、きっと無駄にはならない。
相手は何を求めているのか、気持ちを思いやれること。その欲求を満たしてあげること。
漠然と「やさしい人になりなさい」じゃ、みんなわからないよね。
「他人を操る」というと、悪いことみたいだけど、一般にはそれが「人徳」と呼ばれているんじゃないだろうか。
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