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真面目さという武器は弱者を刺すこともある

僕は、毎日真面目頑張ってに生きてるつもりなんですよ。
いや、そのことは今や誰も否定しませんが、いいことばかりじゃないって話です。

先生の疑問

あの先生との忘れられない会話。

今や中学生となっている長男ですが、小学校時代のある担任の先生の話です。

個人面談の時に

「お父さん、家では厳しくされてるんですか?」

と聞かれました。

今思い出しても、変な質問ですよね。

しつけが悪いと思われているのか、なにか問題を起こしているのか、いろんな想像が駆け巡りましたが、一応答えなければなりません。

「とくべつ厳しいってことも無いと思うのですが・・・何かありましたか?」

先生がおっしゃるのはこういうことです。

「やることはやる、決まりは守る、何をやらせても真面目に取り組む・・」

いい話みたいですが、先生はあんまり褒めてる顔してないんですよ。
結論がでてこないので、話を遮って二度聞きしてしまいました。

「それが、何か問題でも?」

「できすぎるし、頑張りすぎるんです。でも、クラスには、できない子もいるし、頑張れない子、ふざけてしまう子もいます。息子さんは、自分にも他人にも厳し過ぎるんです。」

つまり、こういうことでした。

息子本人が、直接的に悪いことは特にない。

ただ、あまりにストイックに厳し過ぎて、回りの友だちに対しても、できないこと、やらないことを、やり方が甘いことを許さない。

しかも言ってることは正しいことだし、やるべき事だし、自分は率先してやっているので、言われた子達も言い返せない。

それが、友だちの間ではストレスになっている子もいるというような事だったのです。

そんな様子を見ていて、家庭でもよほど厳しくされているんだろうというのが、先生の最初の質問でした。

我が家はそういうところがある

それを言われたら、心当たりがありました。

物心ついときから、だだをこねると「お前の思い通りになることなんて、世の中には一つも無い」と叱ってきました。

「褒める教育」全盛の昨今ですが、「頑張ったかどうかは結果を見ればわかる」と、褒めるに値しないことでは褒めることはありません。

必死で頑張ってダメだった結果を責めることはしませんが、手を抜いたりごまかしたりすることに対しては、特に厳しく当たりました。

「どの口がいうか?」なんて事にならないように、僕自身も家でのんびり過ごす時間はありません。仕事するか自分の勉強するか、家事やボランティアに時間を使ってギリギリ睡眠を確保しています。

それが365日毎日続き、たまに休んでいるとすれば本当に具合の悪いときです。

宗教染みた自己啓発セミナーみたいのがあるじゃないですか。

子ども達に対して毎日言ってることは、ほとんどそんな雰囲気なんですよ。
僕は教祖様になっていたかもしれないですね。子ども達は、すっかり洗脳されていたわけです。

先生は、クラスのリーダー的存在で助かっているとは言ってくれましたが、本音はちょっとやっかいなところもあったんだろうな・・と。

水清ければ魚棲まず

そんな諺がありますね。

人格が清廉にすぎると、かえって人に親しまれないというたとえです。

もちろん、僕が子ども達にしているように、誰に対しても厳しくあたりなさいと、わざわざ教えるはずはありません。

しかし、DVを受けている子は外でさらに弱い子に暴力の矛先を向けるように、真面目さも度が過ぎると他人にキツく当たってしまうという落とし穴がありました。

そういえば、妻もときどきこぼします。

「まったく気持ちが休まらない」と。

普通の主婦の愚痴とは違います。

僕は仕事も必死で、毎日料理もするし掃除もするし、子ども達のことは一切合切引き受けてなんでもやるし、これ以上なにをしたら休めるの?と迫ると、

「だから、それが疲れるの」ということです。

少しくらい、ダラダラしたり、好きなことを過ごしていたりするのが見えたら、私も休めるのに・・・と、言われてしまいます。

なぜ、こんな風になってしまったか

20代までの僕を知ってる古い知人なら笑ってしまいそうな話ですが、僕は不真面目の塊みたいな人間だったんですよ。

「こうみえて、おれも昔はワルかった」的な話をするおじさん達は、反社会ないわゆるヤンキー的な悪さの事だと思いますが、僕はそう言うタイプではありません。

生き方が汚いというか、ずるくて、弱くて、ごまかしてばかりでした。

当然、まともな社会生活がうまく行かなくなるので、こそこそと悪いこともせざるを得なくなってしまうのですが、そう言うタイプでした。

話せば長くなるので割愛しますが、30代にいろいろと人生の転機があって、本当に今から人生を立て直そうと思ったのです。

しかし、時代は頑張りを認めてくれませんでした。

いわゆるロスジェネと言われている世代にありがちなことですね。
一部の優等生を除いて、切り捨てられたままなんですよ。

普通にやっていたら、一生報われずに、体力と共に社会から不要とされる将来が見えてしまいます。

結局、就職することもできず、その日暮らしをしていたら、いつの間にか今のようになりました。

そんなわけで、生きていくためにこうなるしかなかったという感じです。

会社組織というのは、大なり小なりグレーな部分があって、僕が致命的に会社員が向いてないというのは、天性の「サボり癖」に加えて「グレーが許せない」という、一見矛盾しているようですが、組織に属するのが向いていない性格が自分の中にあるからなんだと自覚しています。

人に優しく

10数年前は、ずいぶん履歴書を書いて就職活動したんですけど、もうあきらめました。

身体は年齢とともに弱っていく一方ですが、頭が動いているうちは、自分の商売を成長させる事を頑張ってみるつもりです。

だから、ますます無駄にできる時間はないと感じてしまいます。

時々、趣味や遊びに時間を使っていても、それは必ず何かにフィードバックすることを計算しています。

「たまには休んだ方がいいよ」なんて無責任に言われるたびに、「1万円くれたら、1日休めます」と、可愛くないことを言い返してきました。

(むかし、「じゃあ、奥さんと焼き肉でも食べておいで」と、本当に1万円くれた人がいました!)

近年、わりと時間を費やしているボランティア活動なんかがよい刺激になっているのは、損得のない関係で組織に属していることで、人の弱さに寛容になれることです。

他人にも自分に甘かった20代、他人にも自分にも厳しくなりすぎた30代。

40代は前半のうちにそんなことに気づけたので、自分を高めながらも、頑張れない人を温かく見守れる寛容さを身につけていきたいと思うのです。

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