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クリスマスイブは、夜行に揺られて

平成10年の話。

昨日は東京までのことを書いた。

その日は、12月24日。
大垣夜行、もとい、「ムーンライトながら」に乗るために、23時頃からホームに並んだ。

北海道の冬と比べたら、気温はそれほど低くないのに、どうして本州の冬はこんなに寒いんだ。

というのは、北国の多くの人が口にする感想である。
「内地は底冷えするっしょ」なんていう言い方をする。「底冷え」という言葉の定義が、そもそも分からないんだけど。こちらではマイナス二桁になっても、「底冷え」という表現は使わない。

正確な発車時刻は覚えていないけど、とにかく、深夜0時を過ぎて最初の駅が横浜だったことは覚えている。

だから、青春18きっぷを有効に使うには、東京~横浜までの切符を買い、終点である大垣で降りるときに、青春18切符を使えばよい。そうすれば、早朝に到着してなお、その日一日使えるというわけだ。

僕は大学の友人とふたりで関西を目指した。

目的は、大阪、そして京都の友達と会うことだった。

彼らは、いわゆる「チャリダー」として、夏休みに北海道中を自転車で回っていた人たちだ。

北海道内をツーリング中に仲良くなり、久しぶりの再会予定だった。

夜行に乗る前、大阪の友人に電話して、「大垣ってどこ?」「え?岐阜ちゃう?」なんて会話をしていた。今のように、スマホで検索できるわけでもなく、地理的な情報と言えば、昔のコロコロやボンボンみたいな分厚い時刻表しか持っていなかった。

インターネット自体は、かなり使い倒していた民で、20代になると知らないと思うけど、テレホーダイというNTTのサービスによって、僕の人生はダメになったといっても過言ではない。

でも、当時モバイルでインターネットという設備はなく、月額料金は安いがどこに行ってもいまいち電波が弱いPHSか、料金が高い携帯電話の2択という感じだった。文字数が限られた、簡単メールくらいは出来たんだったかな。

僕はあの旅で、公衆電話も使っていたことを覚えているので、たぶんPHSを使っていたんだろうな。東京都内はさほど不便がなかったが、地下や、郊外では圏外というのが当たり前だった。

そんな事情で、移動中に連絡を取るという習慣はない時代だ。とにかく、大垣へ、そして京都で集合しようという約束だけして、夜行に乗ったんだ。

横浜までは、デッキでぎゅうぎゅう詰めで、この状態で朝までだったら死んじゃうなと思ったんだけど、小田原くらいからは座れたような記憶がある。

もう、疲れていたし、いつの間にどうやって寝たかは覚えていない。

翌朝、大垣到着のアナウンスで起こされる。

寝ぼけたまま列車を降り、いまだに大垣がどこだかよく分かっていないまま、駅員さんに「京都まで行きたいんですけど」と尋ねた。

当日の18切符は有効なので、このままその日中は使える。

12月25日の朝。京都駅前。
京都といえば、その当時からさらに4年前の、高校の修学旅行以来となる。

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友人宅の住所を確認して、駅前からバスに乗った。

なんじゃこりゃ~~!

っていうくらい、バスの運転が荒かった。
札幌じゃ、あんな運転経験したことない。
ちなみに、北見じゃ、バスなんて乗ったことない。笑

後で聞いた話だけど、京都の路線バスは運転が乱暴だというのは、当時、地元の人も噂していた。今は、なにかとうるさいことも言われるだろうし、そんなこともないんだろうけどね。

修学旅行とちがって、案内版もない京都市内の住宅街を歩くのは初めての経験である。

どこも瓦屋根でさ、竹垣とかあって、基本的に庭の中がのぞけない家が多い。北海道は、多くの家がフラットだ。うちも一軒家だけど、お隣と地面は繋がっている。

「すげーな、なんか日本に来たみたいだな」という感動は、じつは、今でも本州に行くと感じる。

竹と瓦は、北海道民がテンションが上がるポイントだ。

そうやって、友人宅にたどり着いた。

知らない街で、文字でメモした住所だけを頼りに、徒歩で訪ねていくというのは、なかなか風情のある体験だよね。

今なら、LINEで訊いて、すぐにgoogleマップなんか見ちゃう。

20か、21歳の若者とはいえ、夜行の旅はけっこうしんどく、まともに寝られる筈がない。

再会を喜ぶのも束の間、部屋に上げてもらうと、かなりぐったりしていた。

でもね。一休みしたら、京都の友人の案内で出かけたんだ。

この頃流行っていたのが、こんな曲。

長引く不況、就職氷河期なんて言われていたけど、若干バブルの雰囲気が抜けきっていない時代だったのかな。

カーディガンのプロデューサー巻といえば、コントでマネして笑いが取れるような時代だったように思う。

世代の人なら、そんなのあったよね~~って、感じでしょ。

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