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「あの人は、次元が違う」ってどういうこと?
小学2年の算数といえば、「九九」が最大で唯一の山場といってもいいですよね。
あんなもの、覚えてしまえばたいしたことじゃないんだけど、現役小学2年生にとっては大変なことなのです。うちの娘も、半分覚えかけては中々勉強が進みません。
「九九」の覚え方のコツなんかは、沢山の人が論じているのでここで書くつもりはありません。
それで、何を書きたいかというと、比喩として使う「次元が違う」というのは、具体的にどういうことなのか考えてみたいと思います。
数学的にいう「次元」とは
僕は別に数学の専門家ではないので、それほど正しく理解しているのかはわかりませんが、概ね次のようなところでしょう。
一次元といえば、たとえばX方向に軸が一つ空間。
Xに入る値は一直線上の点を表し、点が集合すると線になります。面積は持ちません。
二次元は、軸が二つの空間。X,Yの2軸を設定するのが一般的。
僕らも中学、高校の頃に沢山の関数を学んだ、あれですね。
平面空間なので、点、線、そして面積を表すことができます。
三次元は、一番わかりやすいです。
実生活のリアルな世界。X,Y,Zという三軸で描くことができる奥行きのある世界。体積をもつ立体を表現できます。
ここからが難しい、四次元。
空間的には、僕らが見えている世界にもう一軸足したという世界になります。
アインシュタインの4つ目は時間軸って話もあるけど、概念的には空間的な四次元というのはなんとなくあるような気くらいはします。
それ以上の多次元。これはもう、あるような気すらしません。
理屈上は作れるんでしょうけど、それは何か数学の概念の延長上というより、形而上学的にあるのかもしれないという感じさえします。
「次元が違う」人
比喩で、自分とは段違い違うレベルにいる人のこと「次元が違う」という言い方をするじゃないですか。
これはいうなれば、僕らが「四次元、五次元の現象を見るような話」ということもできます。三次元の目線しか持っていないので、何が起こっているのか理解する術がないのです。
その説明だけでは「はあ、そういうもんか。」
くらいに思うかもしれません
2次元の世界の住人
ここで次元を下げて考えると面白いです。
2次元の世界に住人がいるとしましょう。
僕らは三次元の世界からそれを眺めています。彼らはZ=0である、XY平面に暮らしています。
Z軸の上の方からボールが落ちてきたとします。
ボールの一番低いところがまだZ>0の時は、2次元の住人にはボールは見えていません。
ボールの底がZ=0になったとき。
XY平面の世界に突然、「点」が現れます。
そして、その「点」はみるみるうちに「円」となって広がり、半分のときに最大の直径となりまた小さくなって「点」になったあと消えてしまいます。
あるXY住人が偶然それをみたら何ていうでしょう。
「急に円が現れたと思ったら、また小さくなって消えてしまった!あれは何だったんだ!?」
その話を聞いた友人は、こんなことをいうかもしれません。
友人A:「何も無いところから、何かが急に出たり消えたりするはずが無い。それは気のせいだ。疲れてるんじゃないか?」
友人B:「いや、それは本当かもしれない。我々の理解を超える現象が世界のどこかで時々起こるという話は他にも聞いたことがある。」
そう、まるで、僕らがUFOを見た時みたいに。
時空を越えたように瞬間移動したり、物理的にあり得ない高速移動するUFOの目撃例は枚挙に暇がありません。
その他、人智を超えた超常現象に遭遇したときも、同じような話になります。
四次元空間を自然の法則に移動するUFOを、僕らが三次元世界の目線でみると、そんなことになるのではないかという想像です。
「次元が違う人」というのは、そういう理解できない高次元の世界の住人と考えるとわかりやすいと思いませんか。
「九九」は、将来役に立つ?
小学2年生が、なぜ「九九」を覚えるモチベーションを保てないかというと、覚えて何の意味があるのか、それがわからないからです。
中学、高校の数学を「九九」を使いこなせないまま勉強することはできません。それくらい、当たり前すぎるくらい重要なのに、2次方程式や微分積分に必要だからといっても、それはまったく伝わりません。なぜなら、次元が違うからです。
小学校低学年にとって、微分積分は、高次元すぎて、何が起こっているのか感覚的に理解できないので、それは「九九」を覚えるモチベーションにはなりずらいのです。
社会人の勉強
社会人になると、まったく勉強をしなくなってしまう人は多いです。
自分の専門をとことん追求するならまだ良いのですが、どんなジャンルもある程度深掘りしていくと、それなりに広い教養が無いと先に進めなくなってしまうのです。
まさに僕自身がそういうタイプで、あまり学校の勉強が得意だった方ではありませんでした。大人になってから本気で色々頑張りたいと思ったときに、ベースになる知識がおぼつかないということに気がつき、40も過ぎてから中高生向けのテキスト買って勉強する羽目になりました。
ずいぶん出遅れてしまったとは思いますが、それでも、人間は長生きになったしまだまだ明るい未来を切り開くチャンスはあると思って勉強しています。
「そんなに頑張っても死んだら終わりだぞ」といわれたこともありますが、頑張らないまま、偶然長生きしてしまった場合の惨めさを考えたら、何かを成し遂げる前に命を終えても後悔は無いと思っています。
「あの人は、次元が違う」って思わなくなった
あの人はすごい、あの人よりはマシ・・・と、他人ばかり見て今の自分と比べていたのです。そんな風に感じることが多々あったのですが、最近は少し視線の向きが変わってきました。
ふと、20歳前後に考えていたこと、30歳前後に考えていたこと、そして40代になって今考えていること。過去の自分を思い出せば、ずいぶん変わったことを感じます。
実力が付いたとか知恵が増えたということももちろんあるのでしょうけど、何より、根性が変わったのが一番変わりました。
以前は、どうやって欲望を満たそうか、どうやって楽をしようか、その為にに他人を攻撃したり騙したりするようなことばかり考えていました。
この先どんな人生になるのか。昔と違うのは、50代の自分がちょっと見えているのは、過去の自分と比べて確実に次元が上がったと思っているところです。
僕の場合、過去の自分をライバルにすると常に楽勝なので、青春時代を優等生で過ごした人よりも、案外幸せなのかもしれませんね。
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