見出し画像

座らない椅子


自宅にずっとある、でもずっと滅多に座ったことのない椅子があります。その椅子は窓際にあって、そこに座って外を眺めたことがあって、窓の外には桜の木があって、それはそれはいい眺め。妻はよく「椅子ばっかり買って、この椅子も座ってないでしょ」と。でも思う。椅子ってそれでもいいと思う。その椅子がそこにあるだけで、「そこに座った思い出」がそこにずっとある。桜の季節の暖かな日の心に映った景色と居心地が、そこにあるようで、そこにあることで、生活の居心地がずっとあるようで。よくよく思うと、僕は座る椅子よりも、座らない椅子の方が好きなのかもしれません。それは別荘のようなものなのかもしれません。自宅という食卓椅子があって、そこには毎日通うように座る。けれど、窓際の椅子は、1ヶ月に1度くらい。そこに座るには、ちょっと心に余裕がないと座らない。何か機能があるというよりも、日常を少しだけ離れて、頭を空っぽにして「生活のようなふりをして、日常から少し距離を置く」。そこには日常はないけれど、「座る」という日常行為はある。毎日座らないからといって、その質にこだわらなくてもいいかと言うと、そうでもなく、その椅子の上質さは、結果として日常の忙しさの合間にふと、その椅子を思い出して、そこにある休憩の質を想い、頑張れるかもしれないと思う。僕にとってのそんな椅子は、人によっては車かもしれないし、旅行かもしれない。なくてもいい、けれど、実はそれがあるから、毎日が成立しているのかもしれない。そんな僕の椅子。

ここから先は

114字
ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

ナガオカケンメイの考え

¥1,000 / 月 初月無料

あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?