見出し画像

僕の全てのものは誰のもの

父の死を経験して「人って死ぬんだなぁ」と、かなりリアルに思える今日この頃、一体、自分が買ったり、集めたりしたもの達って、どうなるんだろうと、ものが大好きな僕は思うようになりました。

若い頃はもちろんそんなこと、考えたこともなく、自分のものは、自分のもの。どんどん欲しいものを手に入れて、自分の生活の中に楽しく増やしいく。欲しいものが手に入る。それくらいにしか思ってきませんでした。

しかし、死ぬときは何も持っていけない。

それどころか「残していく」訳で、そこには売り払える価値のあるものから、なかなか僕しか価値がわからない微妙なものもあったりして、父がきっかけで思い知るわけです。現実として。

そんな視点から自分の人生を見たことがなかったので、今後、いちいち「これって、俺が死んだらどうなるんだろう・・・・」的な思考で生きるのかと思ったら、ゾッとしましたし、そのリアリティについて関心もわきました。

僕の父は貯金もないし趣味もありませんでしたので、結果、何にも譲り受けるというか、残されて嬉しいものも、迷惑なものもありませんでした。しいて何が残ったかというと、僕や妹なわけです。それだけ。うーん、すごいなぁと思いました。

そして特に「財産を残したりしない生き方」って、いいなと思いました。そこには争いどころか、何にもないわけです。もしかしたら父には「残す」という発想すらなかったかもしれません。
僕には多少のこだわりがあり、自分で買って集めたものや、家や会社がありますが、どこか、父の生き様を見ていてもっとシンプルでカラッとした生き方をこれからでも間に合うからしたいなと思いました。そして、死をリアルに自分ごとに考えられている今、「人生ってなんなんだ」と思うのです。簡単にいうと「自分の人生は誰のものなのか」という。

常に自分以外のことを意識しながら、結局、死ぬときはそんなものも持っていけないし、死んで続きがあるわけでもない。すると、人生って「自分」の身の置き方なんだなぁと思うわけです。もっというと「形のないものをいかに残せるか」という話です。結局、ものはものでしかない。だから、ものを売っている仕事をしているわけですから、「ものをものとしてじゃなく、もの以上に売らないといけない」とも思うのです。そうしないと、買ったことにとって、「もの」が増えるだけですから。

会社は僕が死んだら終わるのかなぁと思ったりしますが、今いるみんなで「残したい会社」にしていくというのも、いいなと、今更思うわけです。時代に、次の世代に、子供たちに残したい価値、残る価値があるもの、買い物ってなんだろう、と、やっと考え始めました。

ここから先は

0字
ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

ナガオカケンメイの考え

¥1,000 / 月 初月無料

あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?