ウェルビーイング
最近、「ウェルビーイング」というキーワードを掲げている人とよく会います。そのテーマで講演を頼まれることも。
頼んでくる人たちの"僕に講演してもらいたい"という理由の多くは
「ナガオカさんたちのやっていることはまさにそうだから」ということでした。
そんなこと、考えたこともなかったので、慌ててその言葉を検索して、ヒットした本を読んだりしてみていますが、どうもピンと来ません。
「ウェルビーイング」ということについては理屈はよくわかりますが、そんな本には、肝心のことが何一つ書いてないからです。
もちろんそうでしょう。そうした本を読む人は、「そうしたい」のではなく「それを知って利用したい」からでしょう。「ウェルビーイング」的なことをしたいのではなく「ウェルビーイング」と言いたいのでしょう。
どちらも僕は否定はしません。そのジャンルが広まることで、そうなっていく社会が出来上がっていくことは大いにいいことでしょう。
しかし、思うのです。
それさえも消費するということでもあります。そもそもウェルビーイング的なこととは、気付かれず、日々そっと普通の生活の中で意識すらされずにあるものだと思うからです。意識したり活字にしたりするということは、消費が加速するとも言えるのです。
例えば、私たちD&DEPARTMENTがやってきた「ロングライフデザイン」という意識、活動も、それにスポットライトが当たると消費は始まります。それで商売をしたい、それで何かを成し遂げたいと思う人がどんどん現れます。一見、「注目」がされて「一見、社会がいい感じ」に見えるのですが、「消費」とは、長く続きません。なぜなら、「消費」には「次の消費」が待っているからです。
幸せになろう!!と言って、幸せになる人はいないでしょう。
そんなに簡単なものではないからです。
最近読んだ本が、なんだかそれを対比しているようで面白かったからご紹介します。素晴らしい本でしたが、もし、この本のどこかに「ウェルビーイング」的な言葉が書かれていたら・・・・・。
もちろん、そんなこと微塵も思ってはいないでしょう。
この掃除人、新津さんに学ぶべきでしょう。
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ナガオカケンメイの考え
あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。
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