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寒さを楽しめるか

映画「千利休」を観ました。
弟子の本覺坊が主役の話。
僕はこの映画にしばらく感動しやられました。

いつからどう気になっていたかわからない、もやもやしたことの答えがこの映画にはありました。「寒さ」をどう解釈したらいいかです。

この時代、電気はもちろんありませんから、夜は真っ暗で、冬は寒い。着込むか、風呂に入るか。また、小さな火鉢にあたるか、焚き火をするしかないのです。
夜はろうそくをともすしかない。今は電気がありますから、多少寒くても「電気」がどうにかしてくれます。しかし、この時代にはそんな「なんとか温めてくれる」「なんとか明るくしてくれる」ものが一切ないのです。

千利休が過ごした時代。僕はそれが気になっていたのでした。

千利休のことに限らず、物事を深堀したいとは性格的に思いませんが、ああいう人が「どう、冬と向き合ったのか」が、なぜか知りたかったのでした。この映画にはそうしたシーンがふんだんに出てきます、と言うか、ずっと。

現代人の僕らは「冬の寒さ」を暖かく変えることができます。夜の闇をまるで昼間のように明るくすることができます。そして、そうなった快適と言われる中で、確実に失ったものがある。それが「寒さを楽しむ」心の余裕のように思っています。

千利休のこの時代に限ったことではありませんが、昔は「冬は寒かった」「夜は闇だった」のです。それを暖かくしようとか、明るくしようという発想自体なかったのでした。もし寒い時に「暖房」とか文明の力を求める現代にいなかったら、寒さを普通に思うどころか、何とかそれを楽しみやそこに美を見出すような感受性の豊かさを手に入れられたかも知れません。

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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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