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松岡譲について私が書けること(改訂版)

 ついこの間ふとたまたまTwitterで「松岡譲」と検索したらあらビックリ!イケメンキャラ化した松岡譲が話題になっていたのである!しかも、私が知っているあの松岡譲なのである!

 私はオンラインゲームについてはさほど知識がなくて多くは書けないが、分かることとしては、「文豪とアルケミスト」というオンラインゲームの新しいキャラクターに松岡譲が選ばれた、ということである。気になってキャラクター紹介を見てみると、ナルホドよく調べたなーと思った。夏目漱石の功績を後世に伝えたことも踏まえているし、久米正雄との対立についても書かれている。

 ところで。

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 突然だが、上の画像を見て「Penac?何ですかそれ」と思う人は多いだろう。この本は長岡市に住む文学ファンが作品を寄せる同人誌である。……とは書いてみたものの、手前味噌ながら実は一番若い会員が私で、かつ20代の会員も今の所私のみなのである。それはまぁさておいて……。

 長岡と松岡譲、そして「Penac」とはどういうつながりがあるのか?今回はそれについて書いてみようと思う。


 松岡譲についてざっくりと説明しよう。松岡譲は1891年古志郡石坂村生まれ。ちなみに石坂村とは現在でいうと長岡市の山古志寄りにある地域で、周辺の村同士の合併などを経て1954年に長岡市の1地区になった。松岡はお寺の僧侶の息子で、その中で経た経験が代表作とされる「法城を護る人々」に活かされている。

 成長した松岡は東京帝国大学に入学。在学中にかの夏目漱石の門下に入った。夏目漱石との関わりがやがては彼のその後を決定づけるものになるが、それはある意味他の門下生よりもっと深い意味でのものだった。

 松岡の大学の同期にいたのは、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄と、日本文学史において重要な位置を占める作家達。文芸雑誌の第4次「新思潮」では松岡も重要な位置に立っていた。そして、4人のうち菊池寛以外は夏目漱石の門下生でもあった。

 問題はここからだった。漱石の没後、松岡と久米正雄との間でトラブルが生じてしまう。それは、「夏目漱石の娘(以下筆子)との恋愛」だった。簡単に言えば、久米は筆子が好きだったが、筆子の方は松岡が好きだった、というもの。まさにすれ違っていた恋愛だったが、久米はその好意が過ぎて、夏目家から嫌われる羽目になってしまう。やがて筆子は松岡と結婚した。この話ははいおしまい……

 ……にはならない。よほど久米にとっては悔しい出来事だったらしく、後にこの経験に基づいた「破船」を発表した。明らかにモデルがハッキリとしていただけに、世間の同情は久米に集まり、松岡は嫌われ者となってしまう。2人が和解するのは戦後になってからのことだった。

 やがて久米は人気作家になり、友人の芥川龍之介が亡くなった後の1935年には第1回芥川賞の選考委員に選ばれるなど、華々しく活躍した。一方の松岡は、先に述べた「法城を護る人々」がベストセラーになるものの、他の友人と比べると存在感は低いままだった。松岡の業績は作家としてのそれよりも、夏目漱石の娘婿としての活動などに向けられることが多い。

 話は松岡の亡くなった1969年より後に移る。1973年、松岡の故郷である長岡市悠久山の郷土資料館に続く歩道沿いに松岡譲文学碑が建立された。石碑には松岡の代表作「法城を護る人々」の字が彫られ、その脇には旧制長岡中学校(現在の長岡高校)の同期だった詩人堀口大学による追悼詩の一部と松岡の経歴が記された碑がそれぞれ建てられた。それが、カバー写真の画像である。

 それから数年後、この石碑の建立に関わった人達の間で文学賞創設の動きが起き、やがて制定に至った。その名も松岡譲文学賞である。これは非公募型ではなく、当時としては珍しい地方による公募型の賞だった。そしてその発表媒体として同人誌が出来た。これが現在も続く「Penac」だ。今年の刊行で44号となる。

 さて「Penac」の現在の会員である私からすれば、はっきり言ってここで「Penac」の宣伝をかましたい所だが、そうもいかない。正直な所、松岡の作家活動の再評価を、クラブの界隈の中だけで済ませて来てしまった印象が否めなかった。新潟県人は宣伝下手とはよく言われるが、これに関してもまさにそうだと言える。

 更に言えば、松岡譲文学賞は、実は1995年度に休止している。事実上の廃止だった。今や地方発の文学賞は数知れないが、この賞は早過ぎた賞とも言えたし、松岡同様に不運な賞でもあった。

 奇しくも今年は松岡譲が亡くなってから50年に当たる。そんな年が終わりに近づいた頃に、オンラインゲームのキャラクターとして彼が取り上げられたのは正直に嬉しい事だった。

 現在、松岡譲の作品は夏目漱石に関わる随想などを除いては図書館で読むしか手段がない。これを機に、少しでも松岡譲の作品が改めて世に出てくるようになることを願う。

 ちなみに、冒頭で取り上げた「Penac」44号には、松岡譲の没後50年を迎えての特集も掲載されている。気になった方は「長岡ペンクラブ」で検索を(ここで告知!)。


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