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原発賠償12年の歴史を行政書士が語る(試し読み)

行政書士(社労士・中小企業診断士)の長岡です。今回は「原子力損害賠償」について語ってみます。

*note有料版やKindle版を出しましたので、こちらの記事は「無料で試し読み」的な位置づけで公開しております。

東電福島原発の事故から12年以上が経ちました。関係者を除くと、今でも原発賠償に関心を持っている人は限られるのではないでしょうか。若い人たちにとっては子どものころの出来事になりますので、そもそも原発事故のことを覚えていないかもしれません。そこで、不肖わたくしが事故から12年を整理して、こちらで発表させていただきます。

原発賠償に関しては、弁護士さんや大学教授が解説している書籍もいくつか出ています。ただし、専門家が書いているため、どれも難しそうなものばかりなんですよね。ですので、この記事では、知識ゼロからでも概要をつかめるような解説を目指してみます。

なるべく感情を込めずに淡々と。といっても、膨大な情報から切り取っておりますので、多分に私の主観が入っていることはあらかじめご了承ください。


本編の前に(有料版とYouTubeの話)

この記事をWordで編集してPDF化したものを、有料版として販売することにしました。A4サイズで読みたい方は、有料版がお薦めです。
あと、A4で読むほどの熱意はなくても、「長岡くん、おつかれ」みたいな感じで購入してくださるのも大歓迎です。

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勢いでKindle版も作ってみました。ちなみに、Kindle購入者もnote有料版と同じ資料をダウンロードできます。

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この記事を基に解説動画を作って、YouTubeに投稿しています。記事に比べると説明は簡単なものになりますが、最後まで無料で見られますので、ご参照ください。

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第1章 事故直後に出された避難指示の推移

まずは事故当時の状況を振り返ってみます。といっても、当時は地震と津波のことしか考える余裕がなく、原発事故については「最終的には爆発しないで収まるだろう」くらいの感覚だった気がします。大きな揺れを東京でも体感できた地震とは違って、原発事故は遠い地域での出来事として受け止めていたのが正直なところです。

避難指示等についてはほとんど記憶に残っていないので、公開されている記録を基に解説していきます。おもに、福島県の運営する「ふくしま復興情報ポータルサイト」を参考にしました。さらに詳しく知りたい人は、原子力災害対策本部の議事要旨等もご確認ください。

避難区域の変遷について−解説−(福島県)
原子力災害対策本部(首相官邸)

1.事故直後(2011年3月11日から15日)

(1)2011.3.11 20:50 福島第一原発から半径2km圏内に避難指示

この指示のみ、福島県から出ています。約2時間前の19時3分に、福島第一原発にかかる「原子力緊急事態宣言」の発令と同時に「原子力災害対策本部」が設置されました。その場で初回の会議も開催されています。そのときの議事概要には、「(福島第一原発から)10km範囲の人をどこかの時点で避難させる必要があるかもしれない」と記載されています。

(2) 2011.3.11 21:23 福島第一原発から半径3km圏内に避難指示/半径10km圏内に屋内退避指示

県の指示から30分ほど遅れて、国からの指示が出ました。県の指示より少し範囲を広げて3km圏内に避難指示を出しています。また、10km圏内は屋内退避指示ということで、3kmから10km圏に住んでいる人はいわゆる「自宅避難」になりました。

今から見ると見通しが甘い印象を受けますが、夜間の避難はなるべく避けたかったのかもしれません。

(3)2011.3.12 5:44 福島第一原発から半径10km圏内に避難指示

一夜明けて、半径10km圏内に避難指示が出ました。日の出とほぼ同時刻ですので、やはり「明るくなるまではなるべく待ってもらおう」という判断だったのではないでしょうか。

(4) 2011.3.12 7:45 福島第二原発から半径3km圏内に避難指示/半径10km圏内に屋内退避指示

5時22分に福島第二原発において「原子炉の圧力を抑制する機能を喪失した」ことから、5時44分に福島第二原発にかかる原子力緊急事態宣言が発令されました。

これを受けて、福島第二原発にかかる避難指示が出ました。半径3km圏内が避難指示、半径10km圏内が屋内退避指示ですので、前夜の第一原発と同じレベルの指示となっています。

ちなみに、指示が出された直後の原子力災害対策本部会議(第2回)では、「(モニタリングポストの指示値に異常はないことから)現時点では、直ちに特別な行動を起こす必要はない状況」と報告されています。

(5)2011.3.12 17:39 福島第二原発から半径10km圏内に避難指示

2日目の夕方には、福島第二原発から半径10km圏内に避難指示が出ました。落ち着いて検討していられる状況ではなかったのでしょうが、ここで第一と同じく10km圏内に避難指示を出してしまったことが、一部の人たちに後々まで影響してきます。

(6)2011.3.12 18:25 福島第一原発から半径20km圏内に避難指示

約3時間前の15時36分に、福島第一原発の1号機周辺で爆発音と白煙が確認されています。まだ津波被害者の救助なども同時に行っている時期ですから、科学的な根拠を検証する余裕もなく、「半径20km」と決めるしかなかったのでしょう。

(7)2011.3.15 11:00 福島第一原発から半径20〜30km圏内に屋内退避指示

事故から4日後に、第一原発から半径20kmを超えて30km以内のエリアには屋内退避指示が出ました。11時ちょうどに発表しているあたりからも、余裕が出てきたことがうかがえます。いわゆる自宅避難の指示ですので、むしろ「妊婦や子ども等以外は避難しなくてもよい」というメッセージだったのかもしれません。

この前日の3月14日には、第7回の原子力災害対策本部会議が開かれています。その場で当時の首相から、「基本的には20km、10km圏から確実に避難いただければ、一番厳しい状況を想定しても大丈夫」との発言があったようです(異議もあり)。

避難者の人たちからするとこの後も混乱期が続いていたのでしょうが、国からの避難指示はここでしばらく固定されます。

2.警戒区域の設定等(2011年4月21日から22日)

(1)2011.4.21 11:00 福島第二原発から半径8km圏内に避難指示

第二原発は爆発等の事故には至らなかったこともあり、事故から1か月あまりが経過した時点で避難対象の範囲が半径10kmから8kmに縮小されています。

この変更によって、第二原発にかかる避難指示がほぼ意味をなさなくなりました。第二原発から半径8km圏は、第一原発にかかる避難指示の対象となる半径20km圏内に含まれるからです。

(2)2011.4.22 00:00 警戒区域等の設定

① 警戒区域

避難指示が出ていた第一原発から20km圏内は「警戒区域」とされ、原則立入禁止となりました。

② 計画的避難区域

事故からしばらくして、事故当時の風向きなどが影響して北西方向の放射線量が高くなっていることが判明しています。これを受けて、第一原発の北西方向においては、20kmはもちろん、30kmを超えたエリアでも避難を検討する必要が出てきました。

4月11日に政府から「計画的避難区域」の必要性が発表され、4月22日に具体的な対象区域と指示が出ています。

この区域では緊急的な避難までは要しないものの、そのまま住み続けると事故から1年間の被曝線量の合計が国際的な基準値を超えてしまう可能性があります。そこで、おおむね1か月程度の間に「計画的に」避難することが求められました。

③ 緊急時避難準備区域

警戒区域の設定と同日、屋内退避指示が解除されています。20km〜30km圏の区域(計画的避難区域を除く)は「緊急時避難準備区域」とされ、これまでどおり妊婦や子ども等以外は原則滞在としつつ、「緊急時に備えて避難のための立退きまたは屋内への退避が可能な準備を行うこと」とされました。

なお、緊急時避難準備区域については、第一原発から30kmの線できっちりと区切っているのではなく、多少のでこぼこが生じています。例えば、田村市には少しはみ出している部分がありますし、逆にいわき市は30km圏内の地域も対象外となっています。

この「線引き」によって賠償の基準に大きな差が出てくるのですが、当時はまだどれくらいの差が付くのか誰にもわかりませんでした。というより、誰に対して何がどれだけ賠償されるのか、まったく見通せなかった時期なのではないでしょうか。

まずは当面の安全衛生を確保することに集中していた時期といえるのかもしれません。

3.補足

賠償に影響のある、その他の区域についても説明しておきます。

(1)旧屋内退避区域

いわき市には30km圏内の地域もありますが、市として緊急時避難準備区域の指定を受けませんでした。そのため、30km圏内であっても緊急時避難準備区域と同様の賠償は受けられません。ただし、屋内退避指示を受けている期間はありますので、「旧屋内退避区域」として扱われています。

(2)南相馬市の一部

事故から5日後の3月16日に、南相馬市から市内の全住民に対して一時避難が要請されました。したがって、国からではなく市からではあるものの、南相馬市においては30km圏外の住民も避難指示を受けたことになるわけです。そのため、南相馬市の中で30km圏外の地域(計画的避難区域を除く)は「地方公共団体が住民に一時避難を要請した区域」とされ、やはり別枠で扱われることがあります。

おもに南相馬市鹿島区が該当するこの区域、賠償の基準は(1)旧屋内退避区域とほぼ同様です。

(3)特定避難勧奨地点

6月に入ると、警戒区域や計画的避難区域の外であっても、事故後1年間の積算線量が基準値を超えそうな地点が散見されるようになりました。

「ホットスポット」と呼ばれることもあるこの地点は、地域全体の放射線量が高いわけではないので避難を強制するレベルではないものの、そこに住む人たちが不安を覚えるのは当然です。ですので、「居住する人たちに対して注意を喚起して、避難を支援・促進する必要がある」という考えから、「特定避難勧奨地点」とされました。

特定避難勧奨地点は、警戒区域を含む南相馬市や川内村だけでなく、第一原発から北西に位置する伊達市にも設定されています。

4.第1章まとめ

最後に、ここまでに出てきた区域を整理してみます。aとbが小文字になっているのは、2012年4月からの区域見直しによって変更されるからです。

a 警戒区域
b 計画的避難区域
C 緊急時避難準備区域
D いわき市の30km圏内と南相馬市の30km圏外
E 特定避難勧奨地点

第2章 原子力損害賠償の仕組み

次に、原子力損害賠償制度の仕組みを説明していきます。

1.誰が誰に賠償するのか

東電*が被害者に賠償します。
*東京電力ホールディングス株式会社(事故当時は東京電力株式会社)

被害者とは、福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所の事故によって損害を受けた人たち(個人または事業者)のことです。第一原発だけが注目されがちですが、先ほど確認したとおり、第二原発にかかる避難指示も出ていますので、その影響も考慮する必要があります。

また、避難指示の対象となった人だけでなく、自主的に避難をした人たちの損害も一定程度は認められています。さらに、原発事故の影響で農作物の買い控えや観光客の減少が生じていますので、そのような被害を受けた事業者も賠償の対象となっています。

2.何が賠償されるのか

「(原発事故と)相当因果関係のある損害」とされています。ただし、これだけでは具体的に何を請求するかの判断は難しいでしょう。そこで、例えば「避難生活による精神的な損害に対しては月に10万円」といった具合に、被害の類型と基準となる金額が示されています。

なかなか複雑な話になりますので、詳しくは第3章で説明していきます。

3.どうやって請求するのか

大きく分けると、3つの方法があります。

(1)直接請求

東電が用意した請求書に必要項目を記入して、東電に対して賠償請求する方法です。賠償項目と金額については、原則的には「2.何が賠償されるのか」の基準に従うことになります。3つの中では最も簡単な方法とされますが、それなりの手間はかかるでしょう。とくに初期のころはひどかったようで、批判を受けて改善された記録が残っています。

請求書類の見直しにより、冊子の種類(初回:13種類→今回:9種類)や請求書用紙の記入項目(初回:2,115項目→今回:1,005項目)、ページ数(初回:60ページ→今回:34ページ)などを削減。

「本賠償における請求書類の改善および賠償基準の一部見直し等について」(東電)

手間がかかる点だけでなく、加害者である東電が金額等を決めている点や、審査に不透明な部分がある点などが批判されてきました。ちなみに、請求内容を審査するのも東電です。

とはいえ、残り2つの方法はさらにハードルが高くなりますので、現実的には多くの人たちが直接請求を選んでいるようです。

2023年6月9日現在で東電が公表している資料によると、請求書受付件数は個人だけでも約116万件となっています。ただし、一人で複数回の請求をするのが通常ですし、世帯単位の請求もありますので、何人の人が請求しているのかは不明です。

【参考】賠償金のお支払い状況(東電)

(2)ADR(和解の仲介)

裁判外紛争解決手続という制度で、基になった英語「Alternative Dispute Resolution」の頭文字をとって「ADR」と呼ばれます。

中立の機関に被害者が主張を申し立て、それに対する東電の回答を合わせて弁護士等の仲介委員が調査して、和解案を出してくれる制度です。裁判と違って申立て自体に費用はかかりませんし、審査も早く進むといわれています。ただし、和解案に強制力はないので、東電がそのまま応じるとは限らないのが難点です。

2023年5月31日の速報値で、延べ29,340件の申立てがあり、全部和解が成立したのは22,447件(76.5%)となっています。

公表されている資料を基に、2011年から2022年までの申立件数をグラフにしてみました。

出所「活動状況報告書」(文部科学省)

2011年9月1日から受付が開始され、12月末までの申立件数は521件でした。2014年の5,217件をピークに減少傾向でしたが、直近5年ほどは1,000件前後で推移しています。ただし、同じ人が複数回の申立てをするケースも多いようです。

先ほどの資料に和解成立(青い棒)と不成立(赤い棒)の件数を追加して、さらに未済件数(黄色い折れ線)を追加してみました。

事故から12年が経っていますが、まだ収束は見えていないようです。

また、2014年から2018年にかけて申立ての件数が減っているのに対して、不成立の件数が横ばいなのも気になりますが、このあたりの分析は専門家に任せます。

【参考】原子力損害賠償紛争解決センター(文部科学省)

(3)裁判(訴訟)

東電を相手に裁判を起こして争っていく方法です。自分の意見をもっとも主張しやすい方法ですが、訴訟費用や弁護士費用がかかるうえに、結論が出るまでに何年もかかる可能性があります。

個人でもできないことはありませんが、住んでいた地域や避難先を同じくする住民がまとまって、集団訴訟を提起するパターンが多いようです。避難先が全国に散らばっていることもあり、各地で集団訴訟が提起されています。弁護士さんたちも、弁護団を結成して支援しているようです。

数々の集団訴訟が提起され、「全国の原告数は1万人を超える見込み*」とされていますが、やはり全体でみると少数派になります。
*弁護士白書 2019年版より

4.賠償に関する公的機関

「原子力損害賠償」から始まる名称の機関が複数あって混乱しやすいので、ここでまとめて紹介しておきます。

(1)原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)

東電だけで兆円単位の賠償を行うことは不可能ですので、国が支援する仕組みが作られました。その支援を担うのが、2011年9月に「原子力損害賠償支援機構*」として設立された認可法人です。
*2014年8月から「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」

東電への資金的な援助だけでなく、被害者からの相談を受ける体制も整えています。弁護士による対面相談および電話相談のほか、行政書士による電話での情報提供も行われています。

みんな大好き! 行政書士

資金援助や廃炉支援は一般の人とは直接的な関係がないので、被害者から見ると「相談窓口」としての印象が強いのではないでしょうか。

2011年10月末から相談等の受付が開始され、2023年3月末までの相談件数は次のように推移しています。

出所「相談事業の活動実績とご相談内容等について」(NDF)

(2)原子力損害賠償紛争審査会(審査会)

文部科学省の中に設置されています。1999年のJCO臨界事故の際にも設置されましたが、2011年4月11日にあらためて設置されました。被害者との接点はありませんが、賠償の基準となる「指針」を策定している人たちです。

2011年8月5日に策定された「中間指針 *」をベースに賠償が始まりました。その時点では決められなかった基準や、情勢の変化によって新たに出てきた損害について、2011年から2022年にかけて5つの「追補」が策定されています。
*東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針

2023年3月11日までに、計64回の審査会が開催されました。現時点ではあくまでも“中間”指針ですので、最終指針が策定されるまで活動が続くのかもしれません。

【参考】原子力損害賠償紛争審査会 議事要旨・議事録・配付資料(文部科学省)

(3)原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)

ADR(和解の仲介)を行う機関です。JCO臨界事故の際には紛争審査会が和解の仲介まで担当していたようですが、福島原発の事故は避難指示を受けた人だけでも15万人を超えていますので、10人の委員で対応するのは不可能でしょう。そこで、2011年7月27日に政令を改正して、審査会に特別委員を置くことになりました。

これがADRセンターです。

弁護士を中心とした仲介委員が、中立・公平な立場で活動しています。東京のほかに、郡山市、福島市、会津若松市、いわき市、南相馬市に拠点があり、申立書の受付や説明会などを行っているようです。

文部科学省の広報サイトによると、賠償全般に関する相談は(1)のNDFへ、和解仲介の申立ては(3)のADRセンターへ、となっています。

【参考】原子力損害賠償 一緒に確認しませんか?(文部科学省)

5.補足

賠償の仕組みについて、いくつか補足しておきます。

(1)財源

NDFが支援することにより、着実に賠償できる仕組みを整えたのは先述のとおりです。その結果、いくつかのパターンで東電への資金援助が実施されています。

最終的には東電が生み出す利益から返済していくことになりますが、東電が利益を生み出すためには電気料金による収入が必要になりますので、我々も無関係ではありません。

ちなみに、東電管轄以外に住んでいる人たちも無関係ではなく、北海道電力や関西電力などの原子力事業者も「一般負担金」というものをNDFに納付しています。ただし、沖縄には原発がないため、沖縄電力には一般負担金の納付義務がないようです。

【参考】エネルギー白書2017(資源エネルギー庁)

(2)時効

原発事故に対する賠償請求はいつまでにしなければならないのか、被害者にとってはその点も心配の種でした。

加害者に賠償を請求する権利は、民法では3年で消滅することになっています。原発事故の場合、東電に対して2014年3月までに請求しないと権利が消滅してしまうかもしれない、ということです。

民法 第724条(不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)
不法行為による損害賠償の請求権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないとき。
二 不法行為の時から20年間行使しないとき。

e-Gov法令検索

ただし、加害者は時効による消滅を主張しないことも選択できます。そこで、事故から約2年後の2013年2月4日に、東電から「3年経っても一律に賠償請求を断るつもりはない」旨のおしらせが出されました。

【参考】原子力損害賠償債権の消滅時効に関する弊社の考え方について(東電)

そして、2013年12月には原賠時効特例法*が成立しています。これによって民法724条に定める時効までの期間が3年から10年に延長され、第2項の「不法行為の時から20年間行使しないとき(に消滅)」も適用されないことになりました。
*東日本大震災における原子力発電所の事故により生じた原子力損害に係る早期かつ確実な賠償を実現するための措置及び当該原子力損害に係る賠償請求権の消滅時効の特例に関する法律

さらに、事故から8年半が経過した2019年10月に、東電は「原子力損害賠償債権の消滅時効に関する当社の考え方について」と題するプレスリリースで次のように述べています。

当社は、2013年2月4日にお知らせした以下の内容のとおり、時効の完成をもって一律に賠償請求をお断りすることは考えておらず、時効完成後も新々・総合特別事業計画の「3つの誓い」に掲げる「最後の一人まで賠償貫徹」という考え方のもと、消滅時効に関して柔軟な対応を行わせていただきたいと考えております。

「原子力損害賠償債権の消滅時効に関する当社の考え方について」(東電)

このような経緯があるため、2023年6月時点においても、東電が時効を主張して損害賠償請求を断ることはないとされています。

この先は有料版をご覧ください。見出しと一部の画像だけ残しておきます。

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第3章 賠償項目と賠償金額の計算方法

1.精神的損害にかかる賠償

2.財物の損害にかかる賠償

3.就労不能損害にかかる賠償

4.生命・身体的損害にかかる賠償

5.実費等にかかる賠償

6.補足(事業者の損害にかかる賠償)

7.第3章まとめ

第4章 原子力損害賠償の歴史

1.事故直後から中間指針策定まで(2011年3月から8月)

2.本賠償開始から区域の見直しまで(2011年9月から2012年3月)

3.避難指示区域の見直しから避難指示解除開始まで(2012年4月から2014年3月)

4.避難指示解除開始から賠償終期とされていた時期まで(2014年4月から2018年3月)

5.賠償終期()から追加賠償開始前まで(2018年4月から2023年3月)

6.補足(事業者への賠償)

おわりに