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音声表現のツボはプロミネンス

映像はビジュアル、と思いがちですが、実はビジュアルと同じくらい大事なのが音声表現、特にナレーションです。
NHKではナレーションのことを「コメント」と言って、昔から「コメント直し」はディレクターやプロデューサーの最も重要な仕事の一つであり、腕の見せ所でもありました。

さて、コメントは書くだけではダメで、当然声に出して読まなくてはなりません。どんな素晴らしいコメントも、読み手がその真意を理解していなけれは「伝わらない」ナレーションになってしまいます。

映像制作とは、本当に難しいものです。
良いシーンがあってもカメラマンがうまく撮らなければダメ、カメラマンがうまく撮っても編集が下手だとぶち壊し、うまく映像がつながってもコメントが下手だと台無し、そしてそこまですべてうまくできても、読み手が下手だと伝わらない、というわけです。
読み手は、様々な職人がたすきをつないで完成に近づけてきた制作作業の、いわばアンカーのようなものです。
ここで転ぶわけにはいきません。責任は重大です。

では転ばないために、何が大切なのでしょうか。
コメントを読む時に最も重要なことは何か、ひとつだけ挙げろ、と言われれば、私は迷うことなく「プロミネンスだ」と答えます。

「読み」のスキルも分解すると様々な要素に分けられます。
1音1音をはっきりと発音する「滑舌」、単語を構成する音の高低で単語を弁別する「アクセント」、文レベルの高低でニュアンスを作る「イントネーション」、そして文中の特定の単語を強調することで意味をつけていく「プロミネンス」です。


もちろん、これらすべてにおいて、完璧なスキルでこなすことが理想なのですが、そうでなくても「あり」な場合はあります。
例えば、滑舌が悪いのはアナウンサーとしては失格ですが、芸人や俳優などがナレーションを読む場合には、多少の滑舌の悪さがかえって「味」になることもあります。
また訛りがあれば、「アクセント」が変わってしまうわけですが、訛りもまた「味」として表現に取り込むことは多々あります。
ところが、プロミネンス(そしてイントネーションも然り)は、そこを間違えると「文の意味が変わってしまう」のです。

例文で考えてみましょう。
「昨日、遠藤さんが大阪に行ったとは知らなかった」
この文章を読む時、「遠藤さん」を強く読むと、「誰かが大阪に行くとは聞いていたが、まさか遠藤さんが行ったとはねえ」という意味になります。
同じ文章で、「大阪」を強く読むと、「昨日遠藤さんがどこかに行ったみたいだったが、行先が大阪とは知らなかった」というニュアンスになります。
文字面は全く同じ文章が、プロミネンスのつけ方一つで、全く違う意味になるのです。
また、「昨日」を強く読めば、また違う意味になってしまいます。
滑舌が悪くても、プロミネンスに間違いがなければ、意味は通じます。
しかしプロミネンスの間違いは、文章の意味を変えてしまうのです。

不思議なことに、日常会話では、私たちはプロミネンスを間違えることは決してありません。
なぜなら、自分が話すことの内容は、自分で100%理解しているからです。
上の文章で「誰が大阪に行ったか知らなかった」人が、「大阪」を強く発声することはあり得ません。

ところが映像作品のナレーションは、多くの場合、書く人と読む人が異なります。
つまり読み手が、コメントの背景にある意味やニュアンスを正確に理解していない可能性があるわけです。
そういう時に、不正確なプロミネンスでの読みが生まれ、それは本来の意味とは違う意味を表現してしまうのです。
正確な読みは、正確なプロミネンスから。そして正確なプロミネンスは、正確な文章理解から。
それが、アンカーとしてゴール直前で転ばないための、大切な仕事だと思います。








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