【木曽】私道かぴさん 木曽めぐるナンチャラホーイ 〜木曽ペインティングスで上演。短編演劇「木曽、わたしたちのまつり」振り返り編1〜
NAGANO ORGANIC AIR木曽では、劇作家・演出家の私道かぴさんが3回のリサーチと滞在を経て、短編演劇「木曽、わたしたちのまつり」の制作を行いました。
上演は、10月22日に王滝村・八幡堂で行われた「秋の後夜祭」と、23日に木曽町(旧日義村)・義仲館で行われた木曽ペインティングスのオープニングの2回ありました。
今回は10月23日の公演後に、木祖村の藤屋レジデンスで行った振り返りの様子をお伝えします。
参加者は、私道かぴさんと俳優の沢栁優大さん、ホストの木曽AIRネットワークの岩熊力也さん、倉橋孝四郎さん、杉野明日香さん、近藤太郎さん、そして、信州アーツカウンシル(以下、信州AC)の野村政之、佐久間圭子です。
※倉橋さん、杉野さん、近藤さんは王滝村からリモートで参加していただきました。
演劇が出かけることで、できること
ーー私道さんとNAGANO ORGANIC AIR(以下、NOA)との出逢いは?
私道かぴ(以下、私道):昨年(2021年)のNOA飯山に参加していた演出家・劇作家の柴幸男さんと東京で出会い、柴さんが参加しているということで知ったのが最初です。そのとき、上田の地域で短期滞在研修プログラム「生きることとアートの呼吸〜Breathe New Life」を募集していたので応募しました。
ーー私道さんが書かれた昨年の滞在レポートを読むと、「地方に創作の場を持っている人はどんな環境で創作しているのか」見たかったということや、「実際に芸術はどんな意味があるのか」を長野県で考えてみたかった、ということも書かれていました。そのあたりをもう少し詳しく教えていただけますか?
私道:ちょっと遠いところから話すと、ご縁があって香川県のお寺で芝居をしたことがあったんです。そこに来てくれていたおじいちゃんは、芝居中にBGMが流れると歌い出したんですよ。普段は芝居を観たことがないという方でしたが、終わってからも「話は全然わからなかったけど、がんばってたね」みたいに言ってくれたのが、すごくよくて。この方たちは普段は演劇を観ないけれど、こういうふうに私たちが出かけていったら、いつもと違う体験をしてもらえたりするのかな、と思ったんです。
所属している劇団は名前が売れてきて、東京の大きい劇場でやることも増えてきて、地方に住んでいる方が気軽に観にくるような感じではなくなってきているのですが、私としては、普段、映画館も劇場もないところに住んでいる方のところにいって、芝居をやったりすることが大事なんじゃないか、と思い始めているところです。
ーー地方に興味をもったきっかけは、他にもありましたか?
私道:コロナでリモートワークになったので、ご縁があって山形県に住んでみたんです。芸術家は「偉い」「アーティストさん、アーティストさん」みたいにもてはやされることもあると思うんですが、山形県で思ったのが、やっぱり農家の人の方が偉いなと。毎日畑に通って作物をつくる、しかも、それが生き死にを左右する。そういうところを間近で見て、考え方が変わったのかもしれません。
その流れで昨年の(NOAの短期滞在研修プログラムの)募集を見て、「いいなー」と思って参加したんです。めっちゃおもしろかったです。木曽(ペインティングス)にも来て、「ドキドキシティボーイズ」が踊りまくっているのを観た。「スコップ三味線」も観た(*1)(笑)。「すごい芸術祭があるぞ」と木曽が気になっていて、今年NOA木曽の募集が出ていたので応募させてもらいました。
(*1)どちらも木曽地域で人気の音楽ユニット。
「作品をつくらなくてもいいし、つくってもいい」
信州AC・野村政之(以下、野村):NOA木曽は、どういう予想をして始まりましたか?
私道:私もお祭りに興味があり、リサーチをしたかったので、木曽のお祭りに合わせて滞在の計画を立てました。最初の滞在が7月の木祖村で、2回目の8月が王滝村。1回目の滞在では、信州ACから「作品をつくらなくてもいいし、つくってもいいよ」みたいな感じでおっしゃていただいていたんですけど、ホストの方のお話を聞いていると「つくった方がいいんだろうな」というのを感じて。「これはもう、つくることに標準を合わせた方がよいのかな」と思ったのが、2回目でした。
信州AC・野村:最近よくあるパターンだ(笑)。
私道:1回目は藪原祭り、2回目は王滝村のお盆ふれあい祭りを見て、10月の3回目の滞在では王滝村と木曽町でお祭りに関わっている方にお話を聞きました。ホストのみなさんに、そのことについて一番詳しい方をご紹介していただいて、ありがたかったです。
信州AC・佐久間圭子(以下、佐久間):7月の木祖村の滞在では、木曽ペインティングスの会場を、もうひとりの滞在アーティストである舒達さんと一緒に訪れましたね。コロナ禍ということもあり、藪原祭りは2年ぶりの開催でした。
岩熊力也(以下、岩熊):まだ完全復活ではないけどね。地域の子どもたちも普段だったら獅子舞をやりたがるんですが、今年はやりたがる子がいなかったそうです。(2年間)藪原祭りを見ていないからね。
信州AC・野村:特殊な年ですよね、そういう意味では。
いただいた言葉を作品に
信州AC・野村:私道さんの関心や制作プロセスは、どういうふうに進んでいったんですか?
私道:木祖村の藪原祭りでは「待ちの時間」があったんです。沿道でぼーっとしていたら、おじいちゃんとかが寄ってきて話をしてくれたりして。そのお話を聞いていると、実際そのシーンを見たことがないのでわからないんですけど、「こういう話って、あんまり身内の人にはしないのかな」と思うような内容でした。「あれ、自分の息子なんだよ」とうれしそうに言っているシーンは、息子さん自身は見ないだろうなと。だったら、それを別のかたちで残して本人が見たらおもしろいかなって、そんな感じでつくったのが始まりでしたね。
私道:リサーチでは、あまり人が聞かないだろうな、というところを聞きたいと思って、話を聞いていました。脚本を書くというと、一から物語を創作しているように思われがちなんですけど、基本的にリサーチして、いただいた言葉をインプットして、並べ方を変えて見せているだけと思っているので、自分がつくったという気持ちはないんです。
私道:今回は演劇を初めて観られる方も多いかなと思ったので、3章仕立てで、各章ごとに見せ方を変えました。1番目の藪原祭りは語り部が3人変わっていく、2番目の三剣の舞はずっとひとり語りで話す、3番目の木曽踊りはちょっと落語を入れて、という感じです。
ーー演出するにあたっては、どんなことを私道さんと沢栁さんで話していたんですか?
沢栁優大(以下、沢栁):僕が地域の人から直接踊りを教わったのは、王滝村での木曽踊りの部分だけでした。他の地域の踊りは映像を観て稽古をしたんです。そういう意味では、どうがんばっても長年関わって来た方には敵わない。俳優だからこその身体の使い方だとか、どこをきれいに見せるかとか、そういったポイントをつくって見せていく方向を目指していった方がいいんじゃないかと、かぴさんと意見を交わしながらやっていました。
いざ稽古を始めると、話している人の姿勢だとか空気感だとか、どういうところでしゃべったとか、経験したことのないフィクションをやるのとは全然違う実感とかイメージがあったので、一つひとつの台詞の言い方だとか立ち方だとかがイメージしやすかったです。そういったところで、「あ、実際に話を聞いて演劇をつくるというのは、役者にとってもすごく影響があることなんだな」というのを感じました。
ーー実際お話を聞いた方や、踊りを教えていただいた方が昨日の王滝村の上演にいらっしゃっていたそうですね。
沢栁:三剣の舞については、「3人でやるから、ひとりじゃむずかしいな」と、22日の王滝公演で言われました。だから、うまくできていなかったんだなと(笑)。身ひとつで、どれだけ数百年の歴史にぶつかることができるのかという点でいうと、まあ当然、ボロボロに負けるぐらいの感覚なんですよね。その偉大さ、変わらないということのすごさ、というのも感じながら演じていました。
信州AC・野村:最後、みんなで踊る流れになりますが、あれはどこから来たんですか?
私道:祭りを題材にした演劇といっていて、観るだけじゃだめだろうなと思って。「みんなで一緒に踊って終わり。盛り上がるまで終わらない」みたいなことを書いて沢栁さんに送りました。「ごめん」って。稽古場ではドキドキでした。「ここで踊ってくれなかったらどうする? もうちょっとやる?」って、 パターンをいろいろ考えていました。
沢栁:王滝村の昨日の盛り上がりは想定外で。私道さんには「もっとやってよかったよ」と言われました。
近藤太郎(以下、近藤):盛り上がりすぎて、みなさん寝られなかったんじゃないかな(笑)。
場所とともにある祭りと演劇
ーー今回はどちらも地域の方が来るお祭りの一部として、開放的な空間で上演されていました。それぞれの会場はどうやって決めていったんでしょう?
倉橋孝四郎(以下、倉橋):王滝小学校と王滝村社会福祉協議会、木曽ペインティングスが、「第1回小学校芸術祭 笑楽祭 及び福祉健康の集い記念講演会」を企画しており、最初はそこで上演できるんじゃないかという話だったんです。だけど、「それだと、なんかもったいないな」というところがあって、別枠にすることになりました。
学校から近いところで、みんなが来やすいところということで、八幡堂を私道さんたちに見てもらって、「ここでいいんじゃないか」という流れになったんです。
私道:ありがとうございます。「こんな神聖な場所でやっていいんですか!?」と。立つだけですごい場所でした。
ーー木曽ペインティングスの方はどんな感じでしたか?
岩熊:今年のオープニングレセプションが義仲館と決まっていたので、その中で考えていました。「あそこの芝生で何かやりたいな。なんで誰も使わないんだろう」とずっと思っていて。木曽ペインティングスとしても活用したいというのがあったので、僕は全然演劇を知らないんですけど、私道さんに提案しました。
いつも向こう側(舞台の奥にあたる部分)に陽が落ちる感じで、「きれいな場所だな」と思っていたんです。今日もいい光の中で上演していただきました。
お祭りは、最初の身近な演劇
ーー今回お祭りというテーマが、NOA木曽と私道さんの中に共通であったということですが、私道さんにとってのお祭りとは?
私道:普段演劇をやっているもので、「役者やってるよ」って言ったら「わぁ、すごい」。
沢栁:よくも悪くも「すごい」ってなる(笑)。
私道:でも、お祭りだったら、近所のおじいちゃんが法被を着て「がんばろうかな」みたいな感じとか、普段はちょっと邪険に扱われているお父さんが輝いている、みたいなのを見るのが好きで。お祭りが、最初の身近な演劇なのかなというところで興味がありました。
あとは、演劇という言葉を出すと、一般の方には若干遠いと思われがちだなと常々感じているんですが、お祭りというと若干近くなるというか。それに、舞っている時の人は、普段知っている人じゃないような、「何かになる」という感じがあります。役者と近いものを感じますね。
(振り返り編2へ続く)
(文:水橋絵美)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?