トロフィエのはなし 〜生パスタとマンマの愛情〜
新人のコックが厨房の片隅で、長さ2センチ、太さ3ミリのらせん状のパスタを作っている。大匙一杯作るのに30本は必要だろう。一人前なら、その10倍は作らなければならないし、しかも今日の客は15人。時々覗きに来るシェフは、まだ終わらないのかという表情をして去っていき、新人の顔はだんだん暗くなり…。
一方、台所に立つマンマは同じパスタを、鼻歌を歌いながら作っている。このパスタがうまく作れなければ嫁にいけないと言われているこの地方。5歳の時から仕込まれているのでお手の物だ。昼食のために朝8時ごろからパスタ台の前に立ち、息子数人と嫁に行った娘一家、おじいちゃんとおばあちゃんで15人、皆がこのパスタを前にした時の顔を思い浮かべると微笑みが止まらない。
パスタの名前はリグーリア地方の「トロフィエ」。おそらくパスタの中で一番手のかかるものだろう。小指の先ほどの生地を手の端で台の上に押さえつけ、独特の動きでらせん状に成形する。両端がとんがっていて、それが重なっているさまは、まるで繊細なレースのようだ。
このパスタ、新人コックが作るものは怨念がこもっていそうで、食べるのに躊躇してしまうが、マンマの作った物なら、たったの一口で幸せになってしまう。
つまり、手打ちパスタって、マンマが作るものなのです。
なぜって―
イタリア料理は、フランス料理の源流だと言われているが、それはルネサンス期に花開いた貴族料理のことだ。プロのコックが遠くから食材を運ばせて、たくさんあるカマドと鍋を使って作り上げた芸術的な料理。このような料理を「クチーナ・リッカ」と呼ぶ。一方贅沢とは関係のない農民たちが作る料理があった。とても遠くの食材など使えないので、身の周りで採れるものだけを使って料理し、カマドも鍋も少ないので調理法はシンプルな貧しい料理「クチーナ・ポーヴェラ」。そしてこちらの流れが、私たちがイタリア料理と呼ぶものなのだ。身の周りの材料しか使えない事から、山には山の料理、海には海の料理という地方性が生まれる。ミラノーフィレンツェーローマ―ナポリと旅をしてみればわかるだろう、まるでいくつかの国を周ったような錯覚を覚えた方も多いのではないかしら。
そのクチーナ・ポーヴェラのいの一番に挙げられる特徴は「愛情」である。農作業に明け暮れるマンマたちが少ない時間と貧しい材料で作るものなので、愛情が無ければ、私たちがおいしいと思う料理が生まれるわけがないではないか。
そこで愛情料理の代表格として登場するのが生パスタだ。ちなみに生パスタは、地中海全域で見受けられるが、イタリアではそれが一皿のとして独立した料理になっている。この穀類ベースの料理がプリモピアットとして位置づけられているのがイタリア料理の最大の魅力でもある。
さて、そのパスタとは「粉と水をこねて生地を作り、成形する」ものだが、使われる材料の少なさと成形の手数が反比例する特徴がある。成形つまり手数が、マンマたちの愛情表現。だから、トロフィエのように忍耐を必要とするパスタを、食べる人の顔を浮かべずに作ると暗い顔となり、あの人に食べさせたいと思って作ると歌を歌いたくなるほど心が弾むと言う訳。
ちなみに、このトロフィエはリグーリアらしくジェノヴァペーストで和えたい。ほら緑の縁取りの貴婦人のハンカチが皿にふんわりと乗っているようでしょう。
日伊協会機関紙「CRONACA」156号掲載
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