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「下から目線で生きる」森と人をつなぐ橋本勘さんに突撃してきた

こんにちは!
長浜市で森に関わる人々のお話を、長浜市在住の女子2人がお手伝いをしながら聞き取る「長浜森の生活史」。その第1弾は、ながはま森林マッチングセンターの橋本勘さんです!
今回は、勘さんのお仕事をお手伝いしながら、森に関わるまでの経緯から今感じていることまで、雑談をふんだんに交えて(笑)、伺いました。記念すべき第1弾、楽しんで読んでいただけたら幸いです!

<プロフィール>
橋本勘(勘さん)
1975年生。大阪府堺市出身。2009年より長浜市に移住。長浜市の専門員(森林レンジャー)を経て、2017年からながはま森林マッチングセンターにて森と人をつなぐ仕事に従事。最近は資源活用者等の伴走支援にも尽力している。

橋本勘さん

<聞き手>
渡邊咲紀(さき)

1998年生。余呉町出身。2019年に出身地である余呉町に戻る。現在は、長浜市内の農園で仕事をしている。

土屋百栞(もも)
1997年生。茨城県出身。2022年秋より、長浜市の地域おこし協力隊に着任。森林浴などの活動を通じて、自然との結びつきを感じる機会づくりを模索している。

<その他>
伊吹志津香(しずかさん)
1979年生。余呉町出身、湖北町在住。野山を駆け巡るアロマセラピスト・ハーバリスト。atelier kiki主宰。湖北野草研究所メンバー。


マッチングセンターの部会

インタビューの初めに、ながはま森林マッチングセンターの部会へ、植物の苗を届ける仕事に同行しました。

ナギナタコウジュの苗

もも:失礼します。よろしくお願いします。
しずかさん:今、足の踏み場がなくてすみません。
もも:いやいやいや、めっちゃ綺麗じゃないですか。
勘さん:ここは昔、どっぽ村が建てたんですよ。ここにどっぽ村の方が一時住んでいたんですけど、もう借り手がいなくなっちゃって。
しずかさん:そう。それで(アトリエとして)使わせてもらっていて。

勘さんとしずかさん

もも:勘さんとしずかさんのファーストミートはどんなきっかけだったんですか?
勘さん:マッチングセンターで「アロマを使ったイベントがしたいな」という話になって、講師を探していたときに、伊吹志津香さんという人をtwitterで見て。
しずかさん:蒸留器を見てくださったんですよね。
勘さん:そうやね。それでお邪魔して、「じゃあマッチングセンターでちょっと今度イベントやるんで、先生としてお願いできませんか」っていうのが多分最初やと思います。それが2020年の1月で、4月に養生アロマ部会っていうのをやりたいって話になった時に相談しに行って、そこから、いろんなメンバーが加わったんですよね。
しずかさん:そうそう。
もも:養生アロマ部会は、勘さんが作りたいと思ったんですか?
勘さん:そうです。マッチングセンター直営でいろいろやっていくのは限界があるんですよ。部会を作った方がアイデアもいろいろ出るし。どっちが先やったか忘れたけど、多分メープルが先やったかもしれない。メープルサポーターっていうのを、まずやったんですよ。そうやって、いろんな人に関わってもらって一緒にやるのは割といいなと思ったから、そういうのを作れたらっていう話で相談を持っていったのが最初やったと思います。
しずかさん:森の人が知っている森の知識と、私たちみたいな人が知っている植物の知識、 全然違うんだなっていうところが面白くて。そこが重なるとすごくいいのになって思いますね。

森の中で哲学カフェを開催

次に、哲学カフェに使うコースの下見に同行しました。

もも
:今日、ふくらの森(※「道の駅 浅井三姉妹の郷」の隣にある森)にも行くんですよね。
勘さん:下見のために、ちょっとコースだけ歩きたいんです。去年の哲学カフェは雨やったんで、道の駅の隣の建物にまだ何も入ってなかったから、そこを使ったんですよ。
もも:去年もふくらの森でやったんですか。
勘さん:そうです。去年は7月にやりました。今年は6月にやって、9月にもやりたいと思ってます(※取材は、5月末に行われました)。
さき:哲学カフェをやろうと思ったきっかけは何ですか?
勘さん哲学カフェnagahamaっていう団体があって、そこが2ヶ月に1回、哲学カフェというのをやっているんです。それに参加する中で、森でこういう活動もできるのかなと思って。
もも:森でやろうって言ったのは、勘さんが言ったんですか。
勘さん:そうよ。呼びかけました。

コースの確認

もも:去年、森で哲学カフェをやった時は、盛り上がったというか、いい場だったという話を聞きました。
勘さん:哲学カフェの参加者は、普段しがらみのない人同士やからさ。いろんな話も聞けるし、逆にしがらみのある人に対しては言えないような話も言えたりしますね。
もも:たしかに。
勘さん:市の職員の方も参加してくれたけど、普段は話さないようなことを話されたりするから、意外な一面を見れたりしました。
もも:それぞれが「自分としていれる」っていう感じですか?
勘さん:あ~、まあまあ。でも、その日限りの短い時間の関係性やからさ。自分としていれるというところまではいけてるかどうかは知らないけど、たしかに、普段とは違う時間を過ごせますかね。

森の中のコースを一緒に確認

森と「生きづらさ」

もも:森に来る人の最近の感じって、森と人を繋ぐ立場にいる勘さんからはどう見えますか?
勘さん:「森のエチカ」(※『み~な』で勘さんが持っている連載)でも書いたけど、20年前に自然保護という観点で森に関わろうとしていた人とは明らかに手触りが違う。20年前は、自然が壊されていくからそれを守らなくちゃいけない、希少種を守ろうとか、そういう理念の下で集まっていた人たちが結構多かった。それは正義の戦いだったわけですよ。そこから20年経って、実は事態は今の方が深刻かもしれなくて。希少種を守るという場合は、守る側の人は安心安全の場所にいるんですよ。希少種は危険な場所かもしれないけど、自分は安心安全な場所なんですよ。安全な場所にいる人が、弱い者、危険な者(=希少種)を助けるという構図なんですよ。ところが今は、自分すらもう安心安全ではなくなった。そこで、森と関わるときは、森を救う存在ではなくて、森に救われる側になったりするんですよ。

「森のエチカ」

勘さん悩みを解決するというよりも、悩みと共にいる、そういう思考がある。例えば、「不登校の子たちと保護者の会」とかがあるんですけど、「森でなんかしたい」とか言うんです。それって、不登校の子が、学校に行けることがゴールじゃないんですよ。一昔前は不登校自体がいけないことで、学校に行かせることが正義だっていう考え方だったけど、今は違うんですよ。不登校というのは現れであって、それは問題行動ではない。たまたま不登校になっちゃっているのであって、居心地よく生きるにはどうしたらいいかを考えるアプローチなんですよ。矯正するっていう考え方ではなく、共に生きるということ。(不登校をという問題を)解決するんじゃない。
もも:(不登校を)問題として考えていない。
勘さん:これまでは問題解決だと思われていたことが、別の視点から見ると全然解決でないことが、この20年で露呈してきた。答えにたどり着くというより、どう問いと付き合うのか、今に寄り添いつつどう生きていくかということを考えるようにシフトした。森への関わり方も、こんな風に手触りが違ってきていると思う。でも、20年前の人が個人の悩みを抱えていなかったかというと、そうではなかった。例えば、20年間森に関わっている人に話を聞いたら、「自分は希少種を守ってきたけど、それは暮らしからの逃げだった」って言うんですよ。家で認知症の人を抱えていた。ただ、それは隠してた。当時は、そういう個人的な問題はそこ(=森の場)に持ち出すべきではないと考えられていた。だけど、今は違うんですよ。個人の問題を持ち寄るんですよ。不登校なんてまさにそうじゃないですか。だから、持ち寄る場所としての森というのはある気がする。
もも
:森は受け入れてくれる、みたいな?
勘さん:う〜ん。なんですかね。哲学カフェってまさにそんな感じがしますね。個人の抱えていることを持ち寄っていくという。今までは隠して、「私は正常な人間として正しく、安心安全である個人として弱い者を救う」という振る舞いをしていたわけですよ。ところが、「これまでのあり方が正しくもないし、立派でもないし、悩み抱えてます」というカミングアウトをし出したっていうのが、この20年の傾向かもしれない。

「下から目線」で生きる

もも:勘さんは、博士まで石のことを研究したじゃないですか。その専門性を活かしたいとか思ったりしなかったんですか。
勘さん:(研究が)嫌だったから。 最後はね、もう研究から離れたいと思ってた。論文って、何回も修正したり、行ったり来たりして、なかなか作るの大変やからさ、もういいやって。でも、途中で投げ出すのは嫌やから、とりあえずこれ(博士論文)は完成させたら、もうおしまいって思っていました。そのあと、石のことを続けてやろうっていうのは全然なかった。でもね、やっぱり役立つことはあるよね。小学生に地層学習とかを教えてるけど、そこでは確かに博士までのことが役に立っています。
さき:何で石だったんですか?
勘さん:もともと、天文をやりたかったんですよ。小学校のときの5、6年生の担任の先生が、アマチュアで天文台を作るぐらい天文好きの先生で、当時ハレー彗星が来て、そこで撮影した写真集を出していたんですよ。それで、すごい憧れて、小学生のときに天文部に入っていたんですよ。天文って地学なんですが、天文を専門でやっている大学ってほとんどなくて。どっかにないかなと思って、教育学部やと中に天文を併設しているところがあるっていう話だったんで、滋賀大学の地学研究室に入りました。そこで、天文の研究室に行こうと思ったんやけど、(研究室の)分属で地質は全く人気なかったんよ。僕以外みんな女子で、女子に「私、天文行きたい」って言われたら、もうさ、「じゃあどうぞ」ってなって、消去法で僕は地質に行くことになったんです。だからもともと石に興味はなかったです。
もも:大学院卒業後は何を?
勘さん:大学時代に紀伊國屋書店でアルバイトをしていて、ポップとかを書くのが楽しかったんです。それで、コピーライターの仕事があるのを知って、大学卒業後は、コピーライターに近いかなと思って、広告代理店でアルバイトをしてましたよ。でもそこが超ブラックの広告代理店で、「無理だ」と思って、ほんでどうしようかなと思った時に、教員の免許あるし、じゃあ塾でも受けようかなと思って塾の正社員になった。でもね、塾はもっと厳しかった。もうブラック。だから塾も持たなかったですよ。
さき:そうだったんですね。

ガレージにてお話

勘さん:すべてにおいて後ろ向きですよ。別に生きてこられてるから、それでまあいいんじゃないのって思うけど、王道を歩んでいる感じが、自分の中で全くないんですよ。王道を歩いていないから、道ばたにある些細なことに目がいくのよ。そういうまなざしを養う経験にはすごいなったなと思います。「上から目線」じゃなくて「下から目線」みたいな。
もも
:「下から目線」ってめっちゃ新しいですね。「お前、下から目線だな」って(笑)。
勘さん:いろんなところを下から見ていました。人ってこんな偉そうになるんだ、とかさ。結果として、それは役に立ったと思います。その時は辛かったけどね。塾の時、超辛かったね。もう嫌だった。で、その塾をやめて、特許事務所に転職しました。最初は派遣社員だったんですけど、 そこはそこでまたすごい世界でしたね。バーチャルな世界で、これは虚業だなって思った。そうすると、その逆張りをしたくなる、その全く逆側の世界に憧れがあるわけですよ。一次産業で、農業、林業、漁業、どれやる?みたいな感じになりました。

2009年時の勘さん

さき:そこからどうして森に来たんですか?
勘さん:特許事務所で働いている時に、青森で「奇跡のリンゴ」を作っている木村秋則さんという人が大阪にたまたま来てて、会ったことがあるんです。まだブレイク直前の木村秋則さんで、話を聞いたらすごかった。無農薬でリンゴ作るって、当時としてはあり得ないことをしていた人なんですけど、その話を聞いて、「やっぱりこれからは土を触る人生がいいんじゃないか」って思いました。
もも
:土を触る人生がいいと思ったのは、何歳くらいですか?
勘さん:35歳くらいかな。そこから農業をやろうと思って、湖北町で農業の研修を受けることになったんですけど、農業は、楽だったかと言ったらそうでもなかったんですよ。農業ってやっぱり力仕事やし、一緒に働いている同僚の人たちって、昼間になったらパチンコの話しかしないんです。
もも:やってることは、確かに土触っているけどね。
勘さん:いや、作業はほぼ機械だから、実際に手で触ることなんてほとんどなくて。だからそれはもう、完全にビジネスとしての農業。そういう研修を受けながら、土日休みに、家の近くの森のボランティアに関わることになって。そのボランティアがきっかけで、たまたまその森で働くことになったんです。だからもともと森に関わることがしたかったわけでもない。僕はたまたまこういう仕事をしていますけど、それはご縁でしかなくて。自分の努力とかもさ、多少はあるかもしれないけど、 過去を振り返った時に、タイミングとご縁ですよね。ほんと、時の縁と人の縁と、時の運と人の運だと思います。

これからのこと

もも:勘さんは、森に対する情熱はあるんですか?
勘さん:ないですよ。
もも:めっちゃ言い切るやん(笑)。
勘さん:この仕事についたのもご縁だから、そういう意味で言うと、情熱はないのよ。自分がどうしてもこうしたいなっていうのはないから。逆に言うと、人の情熱っていうものに対してふんふんって頷けられるんですよ。自分の情熱が強いと、人の思いとかが相容れない場合にすごい反発しちゃうじゃないですか。僕はその自分の正しさっていうのは疑ってるから、割と人の正しさも、「あー、そういうのもあるのかもな」って思えるかもしれない。この前、毎年「桜守講座」に来ていただいている講師の松井章泰さんも言っていたけど、熱がある人はいいんだけど、まわりを火傷させちゃう。そうするとまわりの人は離れていくんですよね。だから、「平熱でいかに語れるか」が大事なのかもしれません。
さき
:勘さんは、これからどういう風に森と関わっていきたいですか?
勘さん:森への熱い情熱はないかもしれないけれど、森でいろいろやっていきたいという思いはありますね。哲学カフェも、メープルもアロマも。でもね、僕が単独でやっているよりも、今日の伊吹さんとかさ、誰かと一緒にやるってことが多くて。僕が単独でやるっていうのはほとんどないんですよね。 でも、そういう、関わりしろというか、いろんな人が森に興味を持ってくれたらええかなと思っていて。それで僕が伴走支援というか、一緒にやれることがあればって思っています。僕自身が森で何かしたいっていうのは、意外とないんですよね。
さき:森で人を繋ぎたい、みたいな?
勘さん:そうやね、森で人を繋ぎたいとか、正直なところだと、僕も森で誰かと繋がりたいっていう感じですかね。人とどう繋がるか、ということかもしれないですね。人が繋がるツールとか、きっかけとしての森の存在、みたいなことには確かに興味があります。

2020年、山門湿原にて。

編集後記
記念すべき最初のインタビューは、練習も兼ねて、ながはま森林マッチングセンターの橋本勘さんにお願いしました。録音を聞き直すと、いつも通り、会話のほとんどが雑談で、記事をまとめるのに一苦労しました(苦笑)。けれども、本当はそういった雑談にこそ、その人のおもろい部分や本音が詰まっているのかもしれません。
次は、今回の記事にも登場した伊吹志津香さんにお話を伺います!次回もよろしくお願いします✨

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