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映画『光復』プレミア公開レポート

『商業映画ばかり作っていると、好きだった映画作りが嫌いになる自分に気づいて…』(映画『光復』パンフレットより)

深川栄洋監督

PFFアワード2年連続入賞で華々しく商業映画界にデビューし数々のヒット映画を世に送り出した深川栄洋監督の最新作『光復』がプレミア公開された。

<ストーリー>
いわゆるロスジェネ世代の主人公大島圭子(宮澤美保)は、両親の介護のため15年前に東京から実家の長野に帰り、父を看取り、アルツハイマーに冒されて意思疎通の取れない母の介護をし、生活保護を受けながら暮らしている。
ある日、高校時代の恋人だった横山賢治(永栄正顕)に再会し、賢治の手を借りながら母の介護をすることになるところから彼女の人生が転がり落ちてゆく。

「ながのフィルムコミッション」の全面協力を得るとともに、キャストの約8割が長野県出身者、または在住者という映画が、長野で公開を行うという至極まっとうなプレミアに監督の意地とピュアさを感じた僕は、機会を得てその目撃者となりに長野に向かった。

プレミアの会場は長野相生座・ロキシー

長野相生座・ロキシー

非常に歴史のある映画館らしく、雰囲気も最高でお世話になった地元の人に、いの一番に見てほしいという制作陣(といってもスタッフは5人しかいないらしい…)のホスピタリティが感じられて、とても良いチョイスだと感じた。

ちょっと話は遠くなるが、僕はここのところ『映画とは何か?』という疑問に対する自分なりの答えをずっと探し続けている。
劇場公開されば映画なのか?
では劇場で中継されるコンサートは映画なのか?
もちろんこれまでの映画史の中で素晴らしいコンサート映画もある。
テレビで見る動画は映画ではないのか?
ってことは今、僕がサブスクで観る『七人の侍』は映画ではないのか?
ま、これが本来の見方でないことは重々承知している。

そんな答えの一つを探るため長野に行って、この深川監督がプロとして、そして自ら『スタンダードフィルム合同会社』という事業体まで作って制作配給する自主映画第1作(元々自主映画出身の監督なので、初の自主映画と言えない所が広報展開的にはまだるっこしいwww)を観たかった。
また主演の宮澤美保は旧知の仲なのでこのレポートが客観性を持ったものでないことは付記しておこう。

上映後のトークショーで深川監督は「僕は痛覚が弱いので、ついついやりがちになる。でも今回の映画で大島圭子を演じる宮澤にやりすぎたなと思うところはない」と答えている。
が、本編では彼女をこれでもかとばかりに不幸のどん底に追い込む。
この映画に金を払って映画館に観に来てもらって、一体客に何を与えているのだ?と、今の商業映画のセオリーに完全に背を向けた映像が展開される。
しかし、パンフレットの中で主演の宮澤は「役者は過酷なシーンが大好物」と答えている。
実生活で宮澤は深川監督の妻でもある。
つまり、この映画は妻を巻き込んだ監督の自傷行為と言えると思う。

宮澤美保

これでもかと追い込む監督
それに答える主演女優
宮澤の体当たりの演技は、僕のような映画素人が想像するすべての苦難を乗り越えてゆく。脱ぐ、髪を切る、汚れる…
これでもかと追い込まれる大島圭子を、あの『櫻の園』(1990)『苺の破片』(2005)に出ていた宮澤美保が全く違う顔で演じている。
また制作にも一から携わっているという。

この記事はこれから『光復』を観る方にお勧めするために書いているので、ネタバレには一切触れないが、ぜひ覚悟を持って貴方の救済をこの映画に求めてほしい。「映画とはこういうものなのだ」という深川監督の決意を浴びることになるだろう。

パンフレットの惹句にはこうある
『暗闇に見えた光は 夢か 現か 幻か』

鑑賞後、監督に話を伺う機会があったので、映画終盤の重要な救済に係わる翻訳について「あれ、ホントは並列のはずなのに酷くないですか?」と聞いたら「分かってたんですけど、実態は無いんですよ」と、あの弱気そうな顔で言われた。
確信犯だったのか…
実態は無いんかい!
どうやら答えは幻のようです…

映画とは何か?の一つの答えを教えて頂いた。
それはあまりにも突き詰めた答えで
グレーゾーンを探りたい僕にとっては
釈迦の説法のようにまぶしい光でした。

公開情報はこちら
ご興味を持たれた方は是非ご覧あれ。