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2023年10月現在

引っ越し前のことをもう思い出せない。
3月末までだから、たったの7ヶ月前の状況をだ。

横浜での生活中は、子供達が通っていた保育園のおかげで、十分な時間を与えられた中で仕事もそれ以外もじっくり取り組むことができていた。

現在は怒涛のごとく押し寄せてくる、僕に対しての必要があって、誰かの何かのために予定が次々と埋まっていく状況。

感動・創庫のホームページには、このnoteにしたためていることについて「いまここ」と書いてあるので、そのまんま、今の起こっていることは書いておこうと思う。


予定は埋めるんじゃなくて、勝手に埋まる

それも、自分が望むまでもなく、キレイに隙間が埋まるかのように予定が決まっていくんですよ。

こんな状況の感想って一つしかなくて、すっごく充実感がみなぎっているんです、はい。

そんな中で会社も同時に良い流れが来ていて、僕が受け取っているこの感覚がさらに流れ良く、会社で関わる人たちもこの波に乗っかってもらえるんじゃないかとまで思い始めているところです。

とにかく人に恵まれています、ウチの会社は。

所属している人たちの素晴らしさも然り。

この会社に関わり、盛り上げてくださる人たちも然り。

最近、我々を頼り、学びに来たりしてくれる人たちも然り。

同時に、こんな人たちの存在によって、我々が励まされ、やりがいをいただいているという事実。

いずれにしても、これまでの10数年分積み上げてきた証が来年、しっかりと現れることになりそうで、期待しかありません。

聖書に立った生き方


聖書を読み始めたのが、2021年10月ですから、ここまで約2年。

神道の国である日本に生まれた、日本人ではありますけど、正月の商売繁盛のご祈祷やら、子供のお宮参りなどでしか神様に向かって手を合わせるなどはしてませんでした。

まあこれって、標準的な現代日本人なんですけど、今となっては、神の存在があって、僕があって、家族がいて、いろんな人のご縁があって

とこれらをデザインしてくれた存在を信じられるようになりました。

これが劇的に大きくて、今の自分がめちゃ忙しいのに落ち着いていられるのは、ココが大きいんです。


「いまここ」はどんな感じ?と近況報告のような、だいたいこんな感じっすと書かせていただきました。

大胆に言わせていただきますけど、日本人はぜーったいに聖書を読むべきです。

ただし、宗教に入るのは、マジでダメっすよ。

キリスト教、ダメです。

異端と呼ばれているところももちろんダメ。

聖書の内容を聖書の解釈で読み解いて、理解することが大事なんです。


「神話を語らなくなった国・民族は100年で滅びる」なんてことを言われているそうです。

日本が神について語らなくなったのは、終戦直後からです。

GHQの占領政策によって、マスコミなどには神の存在を語るべからずとのおふれが出されていたそうです(プレスコード)。

2023−1945=78

今年で戦後78年ですね。

あと22年しかありません。

神の道に立ちかえるのは。

僕は『すべての人が今生あることを感謝出来る世界』を子孫に残せるよう、目一杯に生きています。 頂いたサポートはすべて、理想の世界実現に向けた活動資金として使わせていただきます。 いつもありがとうございます。