8月7日(月)

朝起きてジョギング、英単語の暗記。朝食は、イッコウがキワさんと作ったハムエッグ。黄身が見事に潰れているが、自分のものだけはキレイにできたものを食べてご満悦でよかった。自分で料理を手伝うようになって、だいぶ色々なものを食べるようになって来た。

ここのところ、テレビで広島の原子爆弾の特集をいくつか見た。バービーのキノコ雲騒動を考えるに、アメリカ人や他国の人間には象徴的であるがために、何かとキャッチーに使われる、いわゆる「モチーフ」化してしまっているのかもしれない。

原子爆弾で亡くなった死者数は今でも明らかになっていない。

以下、「国際平和拠点ひろしま構想」のサイトで読んだ内容を紹介したい。

原子爆弾「リトルボーイ」は広島市の中心地「島病院」の上空600メートルで爆発する。

爆発点の温度は、爆発と同時に「数百万度」となり、空中に火球が発生したとされる。その火球の大きさは、0.2秒後に直径400mに達したという。頭上に200メートルの距離に直径400メートルの火球が出現したのだ。想像を絶する光景だ。

この火球から発せられた熱線は、爆発から約3秒間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達した。

ちなみに、3,000~4,000度は地中のマントルの下部(より中心に近いところ)の温度に匹敵する。地表面近いマグマでも800~1200度と言われているので、マグマよりはるかに高い温度だ。

爆心地から、約1.2km以内で熱線の直射を受けた人は、ほとんどの人が亡くなった。また、約3.5km離れたところにいた人でさえ、素肌の部分は火傷を負ったそうだ。

爆風による被害も凄まじい。爆発の瞬間、爆発点は超高圧状態となり、周辺の空気が一気に膨張し、爆風となって街を襲う。

人々は、爆風により吹き飛ばされ、即死、負傷、また、倒壊した建物の下敷きになって圧死した。

建造物は、爆心地から半径2kmまでの地域のほぼ全ての木造家屋が倒壊、鉄筋コンクリート造の建物も、崩壊を免れた場合でも、窓や内部もことごとく吹き飛ばされたのだ。被害は市内の全域におよび、90%以上の建物が破壊、焼失、または「消失」したそうだ。消え去ったのだ。

「街は終日燃え続け、爆心地から半径2㎞以内の地域はことごとく焼失、倒壊した建物の下敷きになって、生きながら焼かれ。亡くなった人も数知れません。」

一瞬にも満たないような、刹那の閃光で、大量の命が「消失」した。

戦争には、自国の利益拡大ための帝国主義的側面という大局観と、憎しみの連鎖という当事者の感情的側面がある。戦争を止めるのは、この複合的で絡み合った事情をなんとか無力化しないといけないから、一筋縄にはいかない。

しかし、大量虐殺はちがう。ホロコーストはどうして起きたのか、核爆弾はどうして使われたのか。大量虐殺は、大抵の場合一人の傲慢が起こすのだ。

日本に原子爆弾を落とすことを強引に推し進めたのは、グローヴス少将と言われている。

昼頃、大分に帰省するお土産を「一夜城 Yoroizuka Farm」に買いに行く。久しぶりに一夜城の入り口の石垣の巨石を見つめ。石垣山の上には、青くまっすぐと空に伸びる杉と、飛行機雲。蝉の音と、ここにも残る戦の歴史に少しだけしんみりする。

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