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070:小学生前半|人生#002

・前回


・小学校低学年の頃は自我があまりなかった。

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・校庭に藤棚があり、春にはクマバチが大量発生する小学校に入学した。
・僕が通っていた幼稚園の人たちの多くは校区がそこそこ離れていたからか別の小学校に行ったみたいで、卒園時にはいろいろな人とお別れをし入学時には大半の人と初めましてをした。
・初めての登校は5つ離れたその頃小学6年生だった兄と一緒だった気がするが、あまり覚えていない。

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・入学したばかりの頃、縦割班での取り組みということで小学6年生の先輩とペアを組んで遠足をした。
・ペアの人は兄の友人で僕が園児だった頃から可愛がってもらっていたので、特に新鮮味のある会話は発生しなかった。

・この時の思い出は、顔に大けがをしたことくらい。
・ペアの小学6年生と手をつないで歩いていたら、何かに躓いて倒れた。
・手をつないでいたので手を前につくという動作がとっさにできず(今考えたら逆の手は何をしていたのだと思うが)、手をつないでいた小学6年生も驚いたのか僕が転ぶ瞬間に手を離したので、顔から思い切りコンクリートに向かって倒れた。
・頬がコンクリートで抉れた。

・痛かった気はするが、なぜか泣かなかったのだけは覚えている。痛みで泣くことは小さな頃から少なかった。
・現在の僕には右頬にだけえくぼがあり、これをチャームポイントだと褒めてくれる人もいるのだが、実はこの時についた傷の跡である。
・あまり気にしていないが、一生残る傷跡となった。

・そんな出来事があったはずだが、遠足先の大きな公園では楽しく遊んだ。
・小学校での生活に現実味を感じていなかった。常に夢の中にいる感覚だったので、怪我などはどうでも良いと思っていた気がする。

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・小学2年生の頃、担任の先生が途中で変わった。
・詳細は知らないが初めてクラスを担任するというその先生は、暴れる生徒に対し暴力をふるったとかで問題になり、2学期に入る頃には担任を辞めさせられていた。
・優しい先生だったことを覚えている。彼も元気のある生徒に対しどう接したら良いのかわからなかったのだろう。
・先生という職業は大変なのだな、と他人事のように思っていた。

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・小学3年生になって、転校した。
・転校前の学校での記憶がほぼない。
・家では休日のお昼ごろにやっていた「大好き!五つ子」というドラマを観ていた気がするが、それがこの頃の記憶だったかどうかは定かではない。

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・小学校での生活に興味がなかったのは、このころ過ごしていた人生の中では習い事であるピアノにかかわる時間が大半を占めていたからだと思う。
・自分は指揮者になる未来が確定しているとして、そのための生活をずっとしていた。
・常に何かのコンクールに出るとか、指が回るようになるための教本だとかの練習をしていた。毎日最低1時間はピアノに触れていた。

・自分の人生の本質は小学校にはなく、ピアノにかかわっている時だけが本来の人生であると思っていた。

・ただ、そのような生活をしていたような気がする、というだけでそちら方面の記憶も実はあまり残っていない。
・舞台に出る直前だとか、舞台から見える観客の景色だとかの一部の情景だけは思い出せるが、どんな場所で何の曲を弾いていたかとかまでは覚えていない。
・ピアノ教室の送り迎えの車の中で親が流していた、バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」とビートルズの「イエロー・サブマリン」だけが不思議と頭の中に居座り続けている。

***

・小学3年生の頃、父の転勤に伴って僕の家族はそれまで住んでいた柳川市から北九州市へ居住地を移すこととなり、僕も転校した。
・見送りに来てくれた友人がいたことと、引っ越す日が曇り空だったことだけ覚えている。
・転校前の小学校の最終登校日とか、どうやって引っ越し先まで移動したかとか、新しい家にどのように家具を配置しただとかはなぜか全く覚えていない。

・僕にはピアノがあったから、それ以外の事象はすべておまけだった。

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・どうやら周りの人とは少しだけ違う生活を送っているような気がして、僕はこの世界の主人公なのだとずっと思っていた。


・次回

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