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097:知的(ではない)好奇心

・自分は大学では商学部にいたので、商いについてはその頃一通り机上で学んだつもりだ。
・サークル活動やそのほかでも何度かイベントを開いたり運営したりしたことがあったので、広報に関わる部分もよく思案した。

・そして社会人となってからは営業という立場であるので、知識や遊びとしてしか蓄積していなかったものを実際に活用することも多くなった。
・特に今は広告・販売促進に携わる領域にいるため、顧客から見た時にプロでいられるよう「売上を上げるためには」みたいなところに紐づく「マーケティング」だの「ブランディング」だのの知識は今でも学び続け、実行に移している。

・ただ、そういった領域にはもう飽き飽きとしているので、わざわざ大学に行ったのだからもっと実学的ではないものを学べば良かったな、と振り返ることもある。

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・商学部を選んだ理由は、高校生の頃なんとなく社長になりてぇ〜〜〜と思ったからである。

・大学選びにおいてその選び方は、ある意味正解ではあるだろう。
・とは思いつつも、大学という時間が無限にあるモラトリアム期間の中、せっかくその道のプロたる教授に教えを乞うことができる環境があったのにも関わらず、社会人になったら誰でもが学べることをあの頃はわざわざ学んでいたのだな…という虚しさに最近襲われる。

・本を読むことが好きだったので、文学部という道も考えた。海外のおとぎ話や神話が好きだったので英文学でも良かったし、ピンポイントだが曽根崎心中という人形浄瑠璃の話が好きだったので日本の近世文学を学んでも良かった。(ちなみに高尚な趣味があったのではなく、昔ジャンプSQ.という集英社の月刊誌で、漫画家の河下水希先生が曽根崎心中を読み切りでコミカライズしていた、というひどくオタク的なところでその存在を知った。)
・昔から精神病を患っていたので病院には足繁く通っており、その存在に救われたこともなきしにもあらずではあるので薬学部を志すか、と思ったこともあった。
・高校の頃の科目は倫理が好きだったので、哲学を学ぶのも良かった。

・どれも安直だが、いろんな選択肢はあったはずだ。

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・ここ数年でようやく「社会において絶対的に必要に駆られることの無いような知識欲」を満たす心地良さに気づいた。
・さすがに全分野においてそうだとは言えないが、例えば西洋美術を少し齧って美術館に赴いたり、その地が昔どうであったかを調べた上で散歩したりするなどの行動が自分にとってはとても楽しいと感じる。
仕事でタイに行った時は、図書館でタイに関する歴史本などを読み漁った。

・ただそのような楽しさを見出す時、自分はいつも浅いな、と思う。
・もっと専門的に深く学びたいことが、世の中にはたくさん転がっている。今後それが役に立つシーンがなかったとしても、もっと深く知りたいことが山積みとなってしまった。

・そうやって学ぶということが叶いやすかったのは大学だっただろうな、と思っている。
・拡散的好奇心を何となく満たすことはできなくもないかもしれないが、特殊的好奇心を満たすのは「自分で調べる」だけでは中々難しい。

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・まぁ大学の講義などサボるためにあるものだと思っていたので遊び呆けていたし、別に商いに関しても浅いところで終わっているだろう。
・大学を奨学金で通っていたが故に、(将来の)自分の金なのだから講義を受けるも受けないも自由だとその頃は考えていた。
・今振り返ると貴重な環境を無駄にしたのかもな、と少し思っている。

・と、うだうだ綴ったりはしたが大学生活自体に後悔は微塵もない。最高の大学生活ではあった。
・その頃ローカルでつけていた自分の備忘録を見てみると、「今日も最高を叩き出してしまった」などといかにもアホみたいな文面が残されている。

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