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#1 転職

転職して4ヶ月。新しい学校で何とか1学期を乗り切ることができた。色々な方が「1学期どうだった?」と声をかけてくださり、僕はその優しさに応えたかったのだけれど、この問いかけに対して何と答えればよいのかが分からないというか、しっくりくる言葉を見つけることができずに結局、「楽しくやらせてもらってます」みたいなことしか言えずにいた。


先日、大阪市に勤めておられる(おられた)先生方との飲み会があり、話を聞きながら自分の学びの足跡を振り返っていた。そこで思い出されたシーンはどれも小教研の社会科部での学びばかりだった。退勤後に別の小学校に集まり、指導案や理論を睨みながらあーだこーだと話したり、僕の授業に対してズバッと意見をもらったりした時間が、自分の教員としての足腰を鍛え、教師としてのアイデンティティを形成することにつながっていたのだと気づいた。大阪市に勤めていた頃は自信をもって「社会科専門にやっています」と言うことができた。今はどうか。社会科部所属というアイデンティティの基礎を失った上に、1年生担任で社会科の授業すらしていないのだ。それを自覚した時に、自分は何をしているのだろうか、ここにいていいのだろうかという自問を繰り返し、苦しくもなった。それくらいにまで、僕にとっては社会科部の存在が大きかったのだと、気づいた瞬間だった。


僕は転職に淡い期待を抱いていた。転職すれば何かが変わるだろう、教師として成長できるに違いないと。その期待は半分正解で、半分間違いだよと当時の自分に伝えたい。もちろん環境については申し分ない。やりたいことができる環境が整っている。あとはその環境の中で自分がやりたいことを実行できるかどうか、創り出せるかどうかにかかっている。つまり、この環境を生かせるかどうかは自分次第ということだ。今までのように教育委員会や研究部から仕事やプロジェクトは振ってこない。いかにクリエイティブに価値を生み出せるかが試される。日々の学級経営、授業プラスアルファの価値をどのようにして生み出していけるかどうか。


もう後戻りすることはできないし、自分の選択を正解にするのは自分次第。自分には何が求められていて、何ができるのか。1学期末に少し見えてきたものがある。まずは生活科の学習。武庫川女子大学の藤本勇ニ先生にばん走してもらいながら探究的な学びとなるカリキュラムデザインを進め、実施している。また、校内研修の進め方について主幹の先生と話をしていた時にも、生き生きしている自分がいることに気づいた。この2つについては今後、力を発揮したいと思う。


2学期どうなるかは分からないが、この夏は変形労働時間制の恩恵を受け、英気を養いたい。

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