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因果関係を必要以上に考えない

「バチが当たる」という考え方が苦手です。
苦手というと少し語弊があるかもしれません、なぜなら私はそれをしてしまいがちだから。
時々そういう思考に入ってしまう自分に違和感を持っていて、それに慣れてしまわないようにしているつもりです。

根拠はどこにもないのですが、人間は何かにつけて”原因”を求めたがる生き物だな、と思っています。
特に自分にとって不都合なことが起こった場合、「あのとき〜〜してしまったからかもしれない」と考えることは多いでしょう。
確かに、原因がわかれば次に同じ過ちを起こさないように予防することができるかもしれないので、少し安心します。
でも、悪いことには必ず原因が存在するのでしょうか?

明らかな原因が存在するもの。
因果関係がわからないもの。
因果関係が無いにもかかわらず相関があるもの。

この区別をつけて考えることが必要です。
冒頭の「バチが当たる」は、多くの場合因果関係が不明もしくは無いものにおいて、それを原因とみなしたい時に思う気がします。
だとすると、それを予防することの効果も不明または意味のないことになってくるし、安心の材料にはならないんですよね。

ひとつ断りを入れておきたいのは、敬うべきものを邪険に扱ってもいいとは思っていないということです。
自分の祖先や宗教的に崇拝されているものに対しては、もちろん失礼のないように向き合うべきです。
でも、自分の身の回りに何か不都合な出来事が起こったとき、それらのせいにするのはちょっと違うな、と思うんです。
逆に、信心深いから大丈夫、ということもないと思っています。

病気に関しても、原因が明らかなものと、わかっていないものがあります。
明らかなものは予防策をとった方がいいし、わからないものを考えるのは専門の人に任せた方がいいでしょう。
今世間を騒がせているウイルスは、目に見える大きさではないというだけで、身体に多大な影響を与える明らかな原因となるものです。
予防するためにできることは、もうみんな知っている通りで、面倒がらずにしっかりやるだけです。
例え感染してしまったとしても、それはそこにウイルスが存在する経路があって、防ぎきれない状態だったというだけで、「バチが当たった」わけでは決してないんですよね。

感染した人が増えていく中で、もちろん回復する人もたくさんいて、そういう人たちに対しへ偏見の眼差しを向けることがないように、と願っています。

もうコロナの話は嫌だな、なんて思いつつも、毎日その情報ばかりが入ってくるので、ついその話題になってしまいます。
明日はもっと明るい話を書きたいなと思っています、できるだけ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!