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将棋ファンがなぜ藤井聡太にこれほど熱狂するのか、将棋ファン自身がわかりやすく解説してみた

――棋士とAIの対決をどう思われますか?
 将棋ソフトとの対局は大きな話題になりましたけど、将棋ソフトと対決の時代をこえて、共存という時代に入ったのかなと思います。
 プレイヤーとしては、ソフトを活用することで、自分自身成長できる可能性があると思っていますし、見ていただく方も、観戦の際の、楽しみの一つにしていただければと思います。今の時代においても、将棋界の盤上の物語は不変のものと思いますし、その価値を自分自身伝えられたらなと思います。

 上記は藤井聡太(現)二冠が初めて棋聖位を獲得したとき、記者会見で報知新聞の北野記者から「AI時代の棋士の在り方」について問われ、答えた言葉です。

 私はこのセリフを聞いたとき、泣きました。最初は不意をつかれたようにジワっときて、あとはもうボロボロです。後日ツイッターやブログを見ると、同じように涙した将棋ファンが多かったようです。

 どうかキモいと引かないでください。将棋ファンが記者会見のあのセリフに涙したのには深い理由があるのです。それはこの17歳(現在は18歳)の少年に将棋ファンが熱狂する理由とも繋がっています。

 みなさんは藤井聡太が14歳という史上最年少でデビューし、前人未到の29連勝を達成したエピソードや、17歳で棋聖位を獲得したことから、将棋ファンが彼に夢中になっていると思ってるかもしれません。

 一面においてそれは事実なのですが、私は本質的にはそれ(中学生棋士とか高校生タイトルホルダー)が理由ではないと思っています。それをこの記事ではわかりやすく解説していければと思います。

 ちなみに私は1996年の羽生善治の七冠達成時に将棋ファンになりました。歳がバレるのであまり詳しくは書きませんが、あの頃は私たちも「ミーハー」と言われましたね(遠い目……今の新規の藤井聡太ファンの気持ちがわかる)。

 あれから24年、ミーハーなりにつかず離れずという感じで将棋ファンを続けてきました。今回はその24年間を振り返るつもりで書きますので(なるべく手短に)、最後までお付き合いいただければ幸いです。

将棋はゲーム

 藤井聡太の話をするためには、どうしても将棋界の歴史を語らなくてはなりません。歴史と言っても江戸時代にさかのぼるわけじゃありません。ほんの30年ほど前の話です。

 みなさんは羽生善治さんをご存じでしょうか? 国民栄誉賞を授与された偉大な棋士です。彼が中学生でデビューしたのが1985年。このときから将棋界は大きく変わりました。

 彼の数ある名言の一つに「将棋はゲーム」というものがあります。いや、これのどこが名言なの? と思うでしょう。今、聞くと当たり前の言葉ですが、当時この言葉は大きな意味を持っていました。

 羽生登場の少し前まで将棋は「将棋道(どう)」でした。プロを目指す棋士は、師匠の家に内弟子として住み込み、雑巾がけとかをしていたわけです。まさに「修行」でした。

 朝起きてから夜寝るまで生活全般を鍛え、人間性を高めてこそ将棋も強くなれる。徒弟制度とでも言うのですかね。将棋だけでなく、日本社会全体にそんな風潮がまだ残っていました。

 が、それを「意味がない」と切って捨てたのが羽生善治なわけです(いや、わかりやすく状況を抽象化すれば、ですよ。ご本人はそんなワルいことは言ってません。聖人みたいな人なので。羽生ファンのみなさん、まだ怒らずに先に進んでください)。

 ちなみに羽生善治と同世代の棋士が、佐藤康光(現将棋連盟会長)、森内俊之十八世名人など、今40代後半の棋士たちです。ちょうど彼らが子供のとき、任天堂からファミコンが発売されました。彼らは最初のテレビゲーム世代でもあるんです。

 羽生世代は「将棋って(他のテレビゲームと同じで)ただのゲームじゃね?」と言いだしました。師匠の家で雑巾掛けとか、人間性を高めるとか、そりゃ精神修行にはなるかもしれないけど、将棋が強くなることとは関係ないよね?と(言葉はアレですけど、まあ、ズバッと言ってしまえばこんな感じ)。

 もちろん将棋道(どう)にはいいところもあります。対局相手、先輩や年長者への礼節や敬意とか、和服を着る文化などです。それは羽生さんご自身もとても大切にされています。

 一方で、道(どう)には悪い面もたくさんあります。

 昭和の部活を経験された方なら、多少わかっていただけるのではないでしょうか? 先輩の言うことは絶対とか、練習中には水飲むな、とか。エゲつない盤外戦術(対局以外の部分で相手にプレッシャーを与えること)も含め、将棋道の理不尽をあげだしたらキリがありません。

(恐らく)羽生さんがいちばん納得できなかったのは「終盤に粘るのは将棋道に反する」だったのではないかと思います。プロ棋士たるもの、明らかに敗勢になったら潔く認めて投了せよ、というのです(棋譜を汚す、なんて言い方で今も少し残ってます。ようはクソ粘りはプロとして往生際が悪い、という感じですかね)。

 けれど羽生さんからすれば、最後まで泥臭く粘って相手のミスを待つことのどこが悪い? なのです。だって将棋は「ただのゲーム(just a game)」なのだから、それもルールにのっとった立派な戦術です。

 これは推測なんですが、たぶん昔の人は、将棋をただのボードゲームじゃなくて、漢(おとこ)同士が全人格をかけてやりあう真剣勝負、みたいなイメージでとらえてたんじゃないかと。ここは私もよくわからないので、周りに将棋好きの年配の方がいたら訊いてみてください。

 一つはっきり言えるのは、昔の棋士は将棋を「ゲーム」やらと一緒にするな、と思っていたことです。それに対して「いや、ただのゲームでしょ。人間性とか、将棋とは関係ないよね?」と言ったのが羽生世代ということです。

 ちなみに、そういった発言(将棋はただのゲーム)に反発する上の世代に、羽生さんは相当いやがらせもされたようです。それをすべて実力で跳ね返し、黙らせてきたのが羽生善治という天才棋士でもあります。

 将棋はあくまで盤上のゲーム。そう考える羽生世代はめっぽう強かった。飲む打つ買うだの、勝負師特有の無頼派な生き方に背を向け、「ゲーム」が強くなることだけを考え、自らを鍛え続けたからです(このあたりのストイックさはゲーミングハウスで朝から晩まで練習をする現代のeスポーツ選手に通じるものがあります)。

 結果、彼らは旧世代を一掃しました。その象徴が羽生善治です。25歳のとき、将棋界にある7つのタイトルをたった一人で独占しました。これは永遠に語り継がれるであろう偉業です。

 ただ私は、羽生善治の最大の功績は、7冠達成よりも、将棋界の古い体質を一掃したことにあると思っています。羽生さんと同世代の棋士である先崎さんもこう語っています。

 当時(昭和)の将棋界は荒っぽい世界で、将棋のプロになるのは、裏街道に行くみたいな感覚が世の中にあった。古い将棋界に対して盤上で変えてみせたのが、七冠王よりも国民栄誉賞よりも彼の人生において偉大なことだと私は確信しますね。

 棋界は強者こそ正しい、という価値観です。弱い棋士が何を言っても説得力がありません。だから羽生さんは戦って戦って勝ち続け、自分の主張の正しさを証明してきました。当時まだ二十歳そこそこの若者にとって、それがどれだけ孤独な戦いだったか、今にして思えばわかります。

 いずれにせよ、理不尽でアンフェアな部分も残っていた古い将棋道が、羽生善治の登場によって、「フェアで純粋なボードゲーム」になったということをここでは覚えておいてください。

人間とコンピューター・対立の時代

 ここからパソコンやインターネットが普及しだします。棋譜を誰もが簡単に手に入れられるようになったり、ネット対戦で遠方の棋士同士が対戦できるようになったりとか、いろいろ語りたい話はあるのですが、それはこの際すっとばして、将棋ソフトPonanza(ポナンザ)の話にいきます。

 コンピュータの将棋ソフトは最初は弱かったんですけど、ソフト開発者のたゆまない努力とPCの性能向上で徐々に強くなっていきました。

 で、そこから棋士とソフトは「対立の時代」を迎えます。将棋ソフトvs人間の棋士の対戦が行われるようになります。それが電王戦です。

 最強の将棋ソフトvs選ばれし棋士たち、みたいな感じで、ドワンゴだったかな、ネット会社がスポンサーについて定期的に開催されました。

 最初は人間と五分と五分だったのが、徐々に人間が劣勢になり、ついに名人が負けるに至りました。そしてポナンザの作者は将棋ソフト開発からの撤退を宣言します(もうソフトの勝ちは明らかだし、これ以上、将棋ソフトの開発をやってもね……みたいな感じでしょうか)。

 ようは人間はコンピューターに敗北したのです。ここで将棋ファンは問われることになります。機械より弱い人間の対戦を見て何が楽しいの?と。チェスも、将棋も、囲碁も、プロなんていることに意味あるの?と。

 羽生世代によって将棋はゲームと定義されました。もう前時代の「棋士同士の全人格を賭けた真剣勝負」みたいな価値観は薄れていたので、単純にどっちが強いのかだけを問われてしまったところはあります。

 今から冷静に振り返れば、人間とバイクで「どっちが速いのか?」を比べるようなものだとわかるんですが、棋界の頂点に立つ名人が機械に負けたわけですから当時はショックを受けました。

 現在、世界最強の将棋AIはグーグルのAlphaZero(アルファゼロ)です。アルファゼロがどこまで進化しているのか、もはや想像もつきませんが、すでに「先手必勝」の結論に到達しているかもしれません。であれば、AIにとって将棋は、振り駒で先後が決まった段階で勝敗が決する退屈なゲームです。

 ここで羽生善治はまた名言を残します。

 勝ち負けにはもちろんこだわるんですが、大切なのは過程です。結果だけならジャンケンでいい。

 究極まで進化したAIにとって、将棋は先攻か後攻か決まった段階で勝ち負けが決まるジャンケン。人間同士が将棋をやる意味は「過程」にあるのだと羽生さんは言います。

 コンピューターとソフトの普及によって、人が将棋を指す意味はなんなのか? ファンは何に価値を見出せばいいのか? が改めて問われるようになったのです。

三浦事件

 そして2016から17年にかけて、将棋界を揺るがす大事件が起こります。それが三浦事件です。Wikipediaから概要を引用します。

将棋ソフト不正使用疑惑騒動
将棋棋士の三浦弘行がスマートフォンを利用してコンピュータ将棋ソフトを公式戦対局中に不正に使用したのではないか」という疑惑を発端として2016年から2017年に起きた一連の騒動である。一部の棋士による疑惑の告発、日本将棋連盟による三浦の出場停止処分とそれに伴う竜王戦挑戦者変更、第三者委員会の調査による疑惑の解消と三浦の名誉回復、連盟理事5名の引責辞任・解任、これを契機とするルール改定が騒動の主たる内容である。

 ようは棋士の三浦弘行さんがスマホで将棋ソフトを使って対戦中に「カンニング」をしているのではないか? と疑惑をかけられ、竜王戦の挑戦者の権利をはく奪された一連の騒動を指します。

 ちなみに、そのときの竜王が渡辺明三冠でした。なお、第三者委員会の検証で三浦さんが「シロ(無実)」と判定されたことは、この場で明記しておきます。

 が、当時、棋士たちは三浦擁護派、三浦批判派、中立派に分かれ、大騒動に発展しました。ファンも同じようにそれぞれ応援する棋士の側に立ち、ネットもドロ沼だった記憶があります。結果、連盟の理事や会長も辞任。双方に遺恨を残して事件は終息します。

 このとき、将棋界はいったん地に堕ちたのです。

 あれほどライバル視していた、いや見下してすらいた将棋ソフトを、今はプロたちが「カンニング」に使う・使わないでモメるのかと。将棋ファンを辞めないまでもうんざりした人は多かったはずです。

 私の中には電王戦以上のモヤモヤが残りました。第三者委員会の検証で三浦さんはシロとなりましたが、一連の騒動には嫌気がさしました(一説では将棋連盟は謝罪金として5000万円を三浦さんに払ってカタを付けたとか)。

 当時の状況を、現将棋連盟の理事・脇さんはこう語っています。

 トップ棋士の不正疑惑の処理をめぐって日本将棋連盟の対応に批判が集まり、同年2月、会長以下、5人の理事が辞任または解任となった。
 その後、連盟の専務理事となった脇謙二(60)は「棋士たちがバラバラになってしまった」と振り返る。同4月には時の名人が初めて将棋ソフトに敗北。棋士の多くが「存在意義がなくなるのでは」と不安を漏らしていた。(東京新聞より)

 藤井聡太デビュー

 まさにその三浦騒動と前後してプロデビューしたのが藤井聡太でした。

 史上五人目の中学生棋士、しかも14歳2か月という最年少。将棋界において「中学生棋士」は大きな意味を持ちます。中学生でデビューした棋士は、その後全員が名人になるなど、偉大な実績を残しているからです。まさに「選ばれし者」の証しなんです。

 ちなみに、わずか13歳で三段リーグ(奨励会)に入り、一期で抜けるというのは、とんでもないことです。これは詰将棋解答選手権に小6で優勝と並び、藤井聡太を語る上で外せないエピソードの一つです。

 奨励会は別名「鬼の棲家(すみか)」と呼ばれるプロ養成機関です。奨励会の話を始めたら、さらに長文になるのでここではあまり語りませんが、最年少で入ってきた棋士は徹底的に他の棋士にマークされるんです。絶対にこんなガキを(自分より先に)プロにしてたまるか、とみなが潰しにかかる。「あいつを上に上げたくないから、僕とやらせてください」と幹事に頼む奨励会員もいるとか。

 そんなプロ予備軍のドロドロした嫉妬と敵意が渦巻く場所が奨励会で、お互いをたたえ合うような爽やかさとは無縁の場所です。ある棋士は「三段リーグは自分のあらゆる感情のピークを知れる場所」と言ったそうですが、これほど奨励会を的確に表した言葉はないでしょう。

 ところが、その鬼の棲家をあっさり一期で抜け、プロ(四段)になってしまった。藤井聡太が話題作りのために作られた天才ではなく、マジもんの化け物である所以です。ちなみに同時期に奨励会に在籍し、プロデビュー前の藤井少年の様子を、現在女性として初めてプロ棋士をめざす西山朋佳三段はこう語っています。

西山 奨励会自体がピリピリしているので変わらないと思ったんですけど、違いました。私が入ったときは藤井(聡太現七段)三段がいて。彼は(四段に)上がるオーラが全開で、有力な昇段候補のひとりだと見ていました。(文春オンラインより)

 周りはよってたかってガキを叩きのめそうとしているのに、当の13歳の少年は、一期で奨励会を抜けるオーラ全開って……。見た目は人畜無害なアルパカみたいだけど、強気と自信の塊みたいな少年です。

 その後、藤井聡太はプロデビューから29連勝を飾りましたが、もちろん彼がスマホで「カンニング」をしているなどと疑う者は誰もいません。14歳の中学生ですからね(三浦騒動後にできたルールで電子機器の所持チェックも行わるようになっていました)。

 で、ここが重要なポイントなんですが、将棋ファンが感動したのは、最年少でプロデビューとか29連勝ではなく、この少年の将棋への純粋な姿勢だったんです。

 当時、将棋ファンは三浦事件ですべてに辟易していました。勝つためにソフトをカンニングに使うだとか(何度も言いますが、三浦さんは無実です)、それを棋士たちが集団で告発し、敵味方に分かれて派閥抗争をするだとか。ファン同士の罵り合いにも疲れ果てていた。

 藤井聡太がプロデビューしたときも、ツイッターでは「今さら将棋みたいなオワコンやってどうすんの?」とか「そんなに頭がいいなら将棋じゃなくて別のことをすれば?」とか言ってた。将棋ファン自身が、ですよ!

 自分の大好きな将棋って何だったのかな? と私も思っていました。勝って金を儲けるための手段? 結局、金がすべて? そんなどん底の時期に現れたのが藤井聡太だったのです。

 将棋ファンには忘れられないシーンがあります。29連勝ブームが終わった後、叡王戦本戦トーナメント1回戦。藤井少年はA級棋士の深浦康市九段と対戦し、圧倒的に有利な状況にもかかわらず、相手の粘りにあって、自分のミスで負けてしまいます。

藤井は▲6八玉に△5八金と打たれて、お茶をひとくち飲むと天を見上げた。秒を59まで読まれて▲5八同銀を着手すると、脇息を抱えるようにうずくまってしまう。プロになってこれほど優勢な将棋を逆転負けしたのは、初めてといっていいだろう。(崩れ落ちた中学生棋士 深浦康市九段ー藤井聡太四段:第3期 叡王戦本戦観戦記より)

 自らの敗北を悟りながら、震える手で差し出した5八銀。ショックのあまり、脇息にもたれかかる姿は痛々しくすらありました。

 普通、プロの棋士はこんなに感情をさらけ出しません。相手に心を読まれて不利になるからです(勝負ごとはポーカーフェイスが基本)。ですが、まだ14歳の少年は大人の勝負師になりきれず、感情がそのまま表に出てしまった。

 私は普段のプロ棋戦ではお目にかかれない斬新な絵に困惑しました。これは竜王戦の挑戦者決定戦ではないし、もちろん名人戦でもない。歴史の浅い叡王戦の、しかも一回戦。29連勝中、あれほど取り囲んでいたカメラマンや記者はほとんどいず、一部の将棋ファンだけが見ていた戦いです。なのに14歳の少年は今にも泣きそうなほど落ち込み、ベテランの深浦九段が逆に戸惑うほど。

 ネット越しにその光景を見ているうちに、私は形容しがたい感情に胸が締め付けられました(29連勝よりもはるかに心が揺れました)。14歳の少年の「勝ちたい」という想いが痛いほど伝わってきたからです。

「将棋はオワコン」「今さら将棋なんてやってどうすんの?」「もっと稼げることをやれば?」……将棋ファン自身が嫌いになりかけていた将棋に、私の半分も生きていない少年が人生のすべてを賭けて向き合っている。そう思うと、どうしようもなく胸が詰まりました。叡王戦の打ちのめされた姿で、藤井聡太に心を奪われた将棋ファンは多かったと聞きます。

 これでもうおわかりいただけるかと思います。自分が純粋に将棋を好きだったときの気持ちを思い出させてくれる――それが将棋ファンが藤井聡太に熱中する最大の理由です。

 中学生棋士とか、デビューから29連勝とか、高校生タイトルホルダーとかじゃないんです。長年、将棋ファンに心から「将棋を好き」と言うのをためらわせてきた将棋ソフトと三浦騒動。そんな大人たちのモヤモヤを吹き飛ばしてくれた〝14歳の純粋な闘う魂〟に将棋ファンは、ただ将棋を好きだった頃の自分を思い出したのです。

 ちなみに当時の状況を、現将棋連盟の理事・脇さんはこう語っています。

 しかし、スターの登場が空気を一変させた。将棋を知らない人も、あどけない「藤井君」の活躍に目を細めた。対局時の昼食メニューや幼少期に遊んだおもちゃに注目が集まり、各地の将棋教室は満員に。「内輪もめはやめようと棋士が一つにまとまった。まさに救世主が現れた感覚だった」と脇は実感を込める。(東京新聞より)

 三浦事件で敵味方に分かれ、激しく対立した棋士たちを団結させたのは、藤井聡太の将棋にかける「純粋さ」だったと私は今でも信じています。棋士たちも思ったはずです。「俺たちもガキのときは、ただ強いやつに勝ちたくて将棋をやってたよなぁ…」と。なのに今は盤上以外のことで、ソフトでカンニングしただの、してないだの、何やってんだろうなと。

 聡太君の母親は、息子がプロ棋士になることに、最初はあまり賛成していなかったと聞きます。お母さんの気持ちはわかります。ちょうど将棋ソフトの強さが話題になっていた頃です。

 将来的にプロ棋士なんて職業はなくなるのではないか? 稼げないし、食べていけないのではないか? そんな不安定な世界に息子を進ませていいのか。親だったら当然の心配です(でもお母さん、〝間違った道〟に進む人間に、これだけ大勢の人が声援を送ってくれるわけないですよ!)

 ある取材のとき、聡太少年は隣にいた母親に「お母さんは(将棋)ソフト、嫌いでしょ?」と言ったそうです。この聡明な少年は、親の不安をすべて見抜いていたんですね。

 けれど、彼はプロ棋士になることに疑問なんてまったく抱かなかった。稼げるとか、お金持ちになるとか、たぶん考えたこともない。「最強の棋士になる」という、少年ジャンプの主人公みたいな一点の曇りもない澄んだ瞳で、自分の信じた道に進もうとする。それはもうすがすがしいほどです。「棋聖」という称号がこれほどふさわしい棋士がかつていたでしょうか?

盤上の物語

 そして、話は冒頭に戻ります。史上最年少の17歳で棋聖位を獲得。記者会見で「AI時代の棋士の在り方(存在価値)」について問われた藤井聡太棋聖はこう答えます。

「AIの時代においても、将棋界の盤上の物語は不変で、自分自身そういった価値を届けられればと思っています」

 私はこれを聞いた瞬間、涙がこぼれました。ずっと探し求めていた答えを言ってもらえた気がしたからです。記者会見の言葉には、他のプロ棋士たちも心を揺さぶられたはずです。彼らは将棋ソフトの台頭で「自分たちの存在意義がなくなるのでは?」と動揺していた。

 答えの出せない問いに、17歳の少年が「人間同士が生み出す盤上の物語は、ファンに見てもらう価値のあるもので、僕もそういったものを提供できる人間になりたい」と言い切ったのです(ポナンザ作者の山本さんが、あの記者会見のセリフに何を感じたのか聞いてみたいなぁ。天彦名人の投了で終局したはずのPonanza(ポナンザ)との戦いに、こんな素敵な結末が待っていたなんて誰が予想した?)

 ちなみに質問をした北野記者は以前、別の取材で同じ質問をして、藤井聡太からこのセリフを引き出しているそうです。でも、あの場であえて同じ質問をした。

 北野記者は、あのセリフは全将棋ファンや棋士に届けるべき言葉だと思ったのでしょう。これが将棋ソフトや三浦事件への答えなんだと(賢い藤井少年は北野記者の意図を察し、あえて同じことを答えたと言われています)。

 余談ですが、某掲示板では、トッププロ棋士は序中盤であえて「最善手」を外して指している、という噂が根強くあります。今はどの棋士もソフトで研究しているので、最善手を指し続ける限り、相手の研究で対応されてしまう。

 だから自分が不利な状況(評価値が悪く)になっても、あえて二番手、三番手の手を指し、状況を複雑化させ、研究手順から外そうとしていると。わざと悪手を指す――噂が事実ならコンピュータではなく、人間同士の戦いだからこそ生まれる高度な心理戦です。これもまた「盤上の物語」の一つでしょう。

 話を戻します。なぜたった17年間しか生きていない少年がこの答え(盤上の物語には価値がある)にたどり着けたのでしょうか? それは彼の濃密すぎる、将棋だけに人生を捧げた17年間が言わせたのです。

 聞くところによると、藤井聡太は小学校6年間、学校の外で友達と将棋以外の遊びをしたことがないそうです。鬼ごっこも、かくれんぼも、(たぶん)女の子とイチャイチャしたこともない。

 テレビもほとんど見たことがないから、芸能人はタモリしか知らない。AKBのメンバーも、乃木坂のメンバーも誰も言えない。17年間の人生のすべてを将棋だけに捧げてきた。

 学校の友達に遊びに誘われて、遠慮がちに断る小さな男の子の姿が目に浮かびます。「あいつ、付き合い悪ぃなー」「将棋のプロめざしてんだってさー」「将棋のプロ? なんだそれw?」と言われたりしたかも。でも、そんな周囲の雑音は彼の「将棋を好き」というまっすぐな気持ちに、みじんも影響を与えなかった。

 以前テレビのコメンテーターが「あの少年は美しいんだよなぁ」と言ってました。恐らく見た目や容姿のことじゃなく、その美しさの本質は、自分が好きだと信じることに打ち込むひたむきさにあると私は思ってます。

 藤井聡太の偉業の一つに詰将棋解答選手権五連覇があります。四連覇のとき、インタビューでこう答えています。

優勝決定後、取材に応じた藤井六段は「今年も素晴らしい作品(問題)に出会えてうれしい」と笑顔で感想を語った。(デイリースポーツonlineより)

「作品」という言葉に(問題)と注釈を付けたのは記者です。彼は詰将棋のことをあくまで「作品」と呼びます。問題でも、設問でもなく「作品」です。数学者が数式に美を感じるように、プログラマーがソースコードを「美しい」と評するように、この少年は詰将棋というパズルを、小説や音楽のような作者の意図が込められた一つの「芸術」だと言うのです。

 ……こうして羽生世代によって「ただのゲーム」と定義された将棋は、30年の時を経て、令和の今、17歳の少年によって「人間同士が盤上で綴る一遍の物語」となったのです。

 イチ将棋ファンの戯言に長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。これからも私は将棋ファンでありつづけ、この少年の活躍を、将棋界の未来を見守り続けたいと思っています。

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