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「晴れの日も雨の日も」 #129 doingとbeing (年頭抱負補足)

只管打坐(しかんだざ)という禅語がある。
「只管」はただひたすらに、であり、「打坐」は座禅をすることを指す。余念を交えずただひたすら座禅をすることを意味し、「なりきる」ことだと言ってもいい。

実にムズカシイ。
やってる尻から「どや、ええ感じやろ〜」とか「なんや、オレも全然あかんな〜」などと自己評価の言葉が次から次へと脳裏に浮かぶ。
特に前者が多い。エエ気になってるのに近い。誠に要注意だ。

「ただひたすら」やっていれば、そんな雑念余念は浮かばない。
61年間の人生を振り返ってみると、何度かそういう「いい感じ」の時があった。そんな時の自分は、夢中になっており、ただひたすら目の前のことに向かっていた。大げさに言えば、全身全霊で対象に向きあっているという感じ?やっている最中に出来栄えなんか考えもしてないし、人の評価も気にしていない。「やる」ことに集中していて、やっている自分がスゴイとかスゴくないとか、そういう要らざる考えが湧いてこない。人が評価しているのかどうかも関係なかった。

今振り返ると、そういう時に少し成長の階段を上がったような気がする。

人は誰しも、というか特に私は、承認欲求がある。自分のことを認めて欲しいと思う。ましてや、自分が何かいいことに気付いたり、いいことをしたと自分で思っている時は特にそうだ。

でも、認めてほしくてやっているうちは、まだまだホンマモンとはいえないのではないか。
自分のエンジンが人から認めてもらうことではなく、ただやりたいから、ただ好きだから、ただオモロイから、という時に本当のパワーが開放されるのだと思う。

自己評価という無用のまとっているものを放下著、捨てきった時に、大空を自由に飛ぶことのできる翼が手に入るのだと思う。それはあるがまま、ということにもつながる。

フォロー中のポッドキャスト「独立後のリアル」で#133「金曜討論 自責と他責と承認欲求 この三角関係を解き明かす!?」という回があった。

深い内容なので、簡単には要約できないが、自己評価や他人の称賛を求める気持ちに話題が及び、いろいろ考えさせられた。


コーチングではdoingとbeingということを言う。
目標に向かって何をdoingするか、ということも大事だが、今の自分の状態beingはどうなのか、どうなりたいのか、ということもとっても大事だ。
あるいは、beingの方が上位概念で、doingはそのための手段と言えるのではないかと思ったりしている。

beingはまず本当の自分を見つめることから始まる。それは「あるがまま」でもある。
これが元来私は得意ではない。
コーチングの学びを進めるおかげで、あるがままを受け入れようという方向に向き始めた。「出来ている」ではない。少しづつそちらに進み始めたにすぎない。

doingについては、只管打坐、ただひたすらやる。beingについてはあるがまま。この二つのレベルがあがった時、私の人間はさらにアップグレードしているのだと思う。

そうして「気力充実も力まず。今ここにあることに感謝して心の窓を開いて慎ましやかに生きていく」ということがbeingになるようにしたい。2023年さらには今後の一生のテーマである。

一直線に伸びる雲。雲の階段を駆け上がって飛躍を遂げたい。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
コーチングのご相談などご連絡等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com
(グチ、やり場のない思いやイライラ、悩みなどもお気軽にどうぞ。
 しっかり受け止めます。皆様の「心のゴミ箱」としてご利用ください。)

<予告>
#130 人生ゲーム
#131 おでん屋のこと
#132 私にとっての「書く」

(続く)


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