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「晴れの日も雨の日も」#12 シニアになる~卒業~

私もその立場になって初めてわかりました。シニアになるということの大変さを。所詮人間何事も我がことにならないとピンとこないということがあらためてよくわかりました。
シニアになるということには収入の問題ももちろんあります。何であろうが食っていかなければいけない(家族も含めて)。
逃れられない現実問題です。
が、たとえば退職金や年金をどうする、投資はした方がいいのかみたいな話は、他にもいっぱい情報ソースがあるのでそちらに譲るとして、ここでは、専ら「生き方」ということに絞って筆を進めていきたいと思います。

人間は1年1年、年をとる。これは子供も大人もみんな共通です。
そしてその1年1年はずっとつながっている。これもまた共通です。
59歳の最後の日と60歳の誕生日で一体何が変わるのか。その日を境に突然崖から落ちるように何かが変わる訳ではない。肉体面や精神面で急に大きな変化が起きるということはまずありません。
そういう意味では、たとえば奥様方や自営業の方々は60歳になったからといって日常がガラッと変わるという訳ではないのでしょう。
結局、シニアになることで一番影響を被るのは我々サラリーマン。漢字で書けば「組織人」です。「定年退職」という「慣れ親しんだ組織から卒業して一人の個人に戻る」ということを突き付けられる人種です。

定年退職をするということは、仮に定年延長で勤務を継続するとしても、「組織を離れる」という出口を少し先延ばししただけです。
そして、その人が組織で占めているポストの重要性とは関係なく、このことは全ての組織人にとって等しく重大事です。
たとえば部長にとっては定年退職は一大事だが、オレはヒラだから全然へっちゃらさ、などということではないのです。


何年勤めたのかは別として、
いろいろ文句もあったが、でも、それなりに愛着のある職場。
長年ともに仕事をしてきた同僚たち。
一緒に飯を食いに行ったりもした。お互い気心もある程度わかっている。
100点満点ではなかろうともそういう多分に居心地のいいところから離れるということ。
そうしてこっちの卒業と関わりなく、向こうは相変わらず日々の仕事に追われ、こっちは「昔の人」になっていく。次第に関係性も変わっていく。
これを呑み込むのはなかなか簡単ではありません。

ましてや、会社の中で一定以上立身出世を果たした人は、これまで自分をリスペクトしてきてもらったことからなかなか「さよなら」できない。
今後のことが心配だ、後進のためだと称して、「従来通り」が心地よい。いつまでも現役でありたい思いを手放せない。
そりゃそうでしょう。相手はこっちを気持ちよくさせてくれるんですから。ついこの間まで上司だった人、つい最近まで重要な取引先だった人に急には冷たくできません。で、ずるずるそっちに甘えてしまう。もう自分は卒業するんだ/卒業したんだということを直視するのはツライですからね。
でも、そうやって多少麻酔薬をうってツラサを紛らわすにしても、それは永遠にはできないのです。いずれ、それも近い将来に麻酔が冷めたり、麻酔薬そのものが使えなくなってしまう時が来ます。それなら、その現実を早く直視して呑み込んだ方が、結局この先楽になると私は思います。

また、もうひとつの困ったパターンは、いつまでも成仏できずに怨念をひきずるタイプ。オレはあんなことやった、こんなことはオレしかできない、と昔の手柄話をいつまでも自慢する。下手をすると、繰り返しその思い出を自分の中で温め直しているうちに、本人の中で事実以上に話が美化されてしまったりする。
思い出は美しすぎて
昔、八神純子の歌にそんな名曲がありました。
さらにそれが高ずると、自分が受けた処遇への不満話に発展する。オレはあんなに貢献したのになんでこんな格好で卒業しなきゃいけないんだ。何もしてないあいつがあんなにエラクなって。おかしいじゃないか。
酒を飲みながらこうなってしまうと、見ていて大変ツライ。特に現役当時好きだった先輩がこんな風になったりすると、もうホントにガッカリしてしまう。
未練やうらみ、やり残し感。そういったものをどこかで全部吐き出させてあげて、きれいさっぱり成仏させてあげることが必要なのでしょう。
お葬式でお坊さんのことを導師様と言います。本当の意味はよく知りませんが、なんとなく「亡魂に引導を渡し成仏させてあげる人」という印象があります。いつまでも魂がその辺をさまよっていては、魂にもその周りの人にも良くありません。シニアになる際にもそうした導師様が必要なのかもしれません。
カッコよく年を取る。カッコいいシニアになる。誰しも晩節を汚したくないと思っていますが、なかなか自分の姿に自分で気がつくのは難しいのです。ひょっとしたらこれこそコーチングが必要な場面なのでは???
そこのあなた、お手伝いしましょか???

と、人のことはいろいろエラそうに言えるが、おまえはどうなんだ、と言われると、実は私はギリとはいえ現役なので、あまり生々しい話はできないのですが、還暦を迎える少し前に社内の事情で上司も部下も同僚もない立場になりました。いわば現役サラリーマンでありながら、「卒業して一人になる」練習をさせて頂いたわけです。途中いろいろありましたが、結果的にはそのおかげで、自分を見つめ直したり、自分の心の窓を開いて生きていくことの重要性を改めて認識したりすることができました。一人になって誰とつながって生きていくのかという重要な問いにも気づかされました。かなりしんどかったですけどね。(^_^;)
(でも、後進たちとの交流はいまだに要注意です。油断をすると「昔の関係の引きずり」が顔を出しそうで。。。)

所属のない一人の個人に戻った時、一体「自分」は何者なのか?この答えのない難しい問いに向き合う/向き合わないはそれぞれの自由です。しかし、一人になって世間とどう関わっていくのか、誰とどんなつながりをしていくのか。定年退職と同時に無人島で暮らし始めるわけではないのです。朝目が覚めてから夜寝るまで、長い一日誰と何をして過ごすかを考えないといけません。このことには必ず直面します。たとえば一番身近でつきあう家族、ヨメハン。これだって距離感や関係性が変わります。案外そっちが一番ムズカシイと言う人も少なくないかも??これこそ万人に共通の絶対正解はなくて、それぞれ手探りで考えていくしかありませんね。。。

今日も最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました♬

                      長井克之                   nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告編(毎週土曜日投稿予定)>
#13 日常の中にオモロイを探して
#14 観察力:相手への興味・関心
#15 かっぺいものがたり
#16  2021年還暦の年を振り返って-reborn再生再出発-
#17  今年にかける想い ゆったりユルク揺ぎ無く

(続く)

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