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「晴れの日も雨の日も」#45    「ひと」を扱う

私のコーチングの学びが大詰めを迎えていることは先週投稿の通りだ。
この先、これを活かして今の勤務先にどんな価値を提供できるか。いろいろプログラムを考え、会社と協議中だ。
大枠ではこの協議は合意に至っているのだが、先日、予想外の手痛い扱いを受けた。

私がこの1年どんな思いで学び続け、どんなことを蓄積してきたのか、このプログラムにどんな想いを賭けているのか、まるで一顧だにせず、「そんなこと言うか?!」みたいな話だった。
ま、向こうにも事情や都合がある。しょうがない。

しかし、私が話をしたこの相手はしばしば「人」を「モノ」「コマ」のように扱う。これまでにも、えー、それってどういう神経なん?みたいなことが何度かある。

いや、本稿はその人への恨みつらみを書くのが目的ではない。そんな扱いは耐えられんと憤慨するのも趣旨ではない。もっといえば、本件の結論そのものについては、基本的には向こうに優先権がある。その人の言う方向に沿って折り合いをつける所存だ。そういう意味では、本題そのものとか自分のことについてはもういいのだ。

しかし、「人」というのはやはりちゃんと機微をおさえて扱わないといかん、ということを改めて身につまされたので、「転んでもタダでは起きん」精神で投稿することにした。

長い間サラリーマンをやっていれば、誰しも心外な扱いを受けるということは1度や2度はあるかもしれない。サラリーマンに限らず、家庭を守っているレディ諸姉も、たとえばママ友とのつきあいとかご近所付き合いとか、「なにそれー」ということはあるだろう。

そう、人は実は感情の動物で、なかなかデリケートな生き物なのだ。
それを理解して、そこを大事に扱える人はえらい。
人生の達人と言っていい。

逆にこういうことが分かっていない人が組織のトップとかリーダーのポジションに立つと、なかなか周りは苦労する。会社は、結果も出さないといけないし、基本的には理屈が勝つ世界だ。しかし、仕事を実際にやっているのは人だ。

人は機械ではない。部品でもない。
人には心がある。感情がある。思いがある。

そういう機微というか心の襞襞<ひだひだ>みたいなことへの関心・理解がないと人を正しく扱えないのではないか。メーカーのモノ作りでも、直接的にモノを作っているのは設備だが、その設備を上手に使って、効率を上げ・故障を減らし・歩留まりも良くなるよう、活動をしていくのは人なのだ。
そして、往々にして人はそういう機微をなかなか外には見せない。ごまかすとか嘘を言うという訳でもないのだが、自分の心の底にある本当の感情を出すということは、人前でパンツを脱ぐようなものなのだ。私も今回そんなそぶりも見せなかった。
でも、言わないから「無い」という訳ではない。むしろ言わずに抑えているものを蔑ろにされた後に残る感情・しこりこそ実にタチが悪い。

「マウントを取る」なんてのもある意味同様だ。取る方は取られた方の気持ちなんて考えていない。だからそんなことができる。
会社のエライさんもある意味似た部分があって、別にそういうことを知らなくても、表面的・一次的には業務上困らない。本質的・長期的にどうかというと別問題だが。

じゃあ、どうしたら、「心の襞襞」が見えるようになるのか。
まず一番は、人にはそういうデリケートな世界があって、それこそが人を扱う上でのキモだ、ということを認識することだろう。小説・映画や実体験でそういう神経を磨くことも有効だ。
しかし、何より大切なのは、相手の置かれている状況や立ち位置、抱えている事情に思いを巡らせ、自分がそう言われたらどう感じるだろうか、という「想像力」だろう。これは自分の方からばっかりモノを見ないという言い方もできる。

面倒といえば面倒だが、これぞ王道だろう。そんなこと疲れるなあと言うなかれ。この努力が結局自分へのご褒美となっていつか帰ってくるのだ。と私は信じている。
私はそういう「人間通」になりたいと切望している。
だって、私は人の心を扱う専門家、「コーチ」なんだから。

拙宅最寄り駅に今年もツバメがやってきた。もうしばらくするとひな達の顔が見れるかな。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#46 失敗
#47 友人の恋バナ。未満の話。
#48 人と比べない
#49 誠意
#50    コミュニケーション・クリエイター

(続く)

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