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「晴れの日も雨の日も」 #110 二つの始まり

1週間前の11月1日は大安の一粒万倍日で、何かを始めるのに好適の日だった。始めるというのは新しいことに限らない、ということを拙note#108「靴」で書いた。Let’s challengeという言葉でその記事を締めくくった。

私も2つのことを始めることにした。
ひとつは「終わりの始まり」だ。
これじゃダメなんやけどなー、と言いながらずるずる続けていることがあった。それにケリを付けることにした。

やめたいのにやめられないこと。
やらなければならないのにできないこと。

#74「セミの抜け殻大先生」では、そこには「断固たる決意」が必要だと書いた。「全ては心から始まる」と言ってもいい。
頭ではやめなければと考えていても、心の底の底でやめる気になっていない。だから、結局やめられない。それは、「やめなければ」という頭の働きがいわば表面的で、いわゆる「わかった気になっている」というのに近い。

これこそコーチングが必要な場面だ。

このままずるずる続けていてどんな未来が待っているのか。
やめることでどんなことを手に入れたいのか。
本当になりたい自分はどんなふうなのか。
自分は今の自分を、意識的に選択できているのか。

例えばそういった問いをなげかけ、掘り下げて考えることが必要だと思う。今の自分の状態に変化を起こしたいという思いがどのぐらい強くあるのか、なのだ。

続けていると間違いなくマイナスが生じる、というケースはまだ踏ん切りを付けやすい。始末が悪いのは、続けていることの害はそう大きいわけではないが、何も生まず、発展性がない、というケースだ。
ついずるずる行きやすい。
そうしたことを潔く手放して、自分の限られたエネルギーを本来向けるべき方に集中させることが望まれる。
こんなことやっててもなー、とか、こんなんじゃあかんなー、と薄ぼんやり思っている状態から抜け出すには、その薄ぼんやりとした霧を取り払わなければならない。そのためには、きちんと自分と向き合う必要があるのだと思う。


金は使わないと入ってこない、という説がある。
同様に、
終わらせないと始まらない。
手放さないと得られない。
ということもしばしば聞く。
手放すことはとても大事で、コーチングは有効なアプローチだ。
手放して「余白」を作りたい。
コップに水が満ち溢れている状態では、それ以上水の入れようが無いのだ。断捨離という言い方をしてもいいかもしれない。未練がましくいつまでもしがみついているのはあまり上手な生き方では無いのだろう。


もうひとつの「始まり」はビジネスの展開についてだ。
独立起業して3ヶ月、コーチングの仕事をしていく上での下地づくりを進めてきた。ここからは次のステージにあがることを意識して取り組みたい。いわば、開いた突破口を点から面に拡大するイメージだ。

もちろん相手がある話なので、相手の様子をよく見ることが先決だ。加えてこれまで積み上げてきた実績や信頼をもう少し大きな場で展開することを志向していきたい。
これまで同様、コーチングの技量や私の人間そのもののバージョンアップには努めていく。相手との信頼関係をより太く揺るぎないものにしていくのは必須だ。そうして私のノックで少し開けて頂いたドアをさらに大きく開けるイメージの活動を新たに加えたい。

大安一粒万倍日の11月1日を振り出しとしたこの二つの始まりについて、大安天赦日である昨日、関西きっての名刹春日大社に参詣し、神様に決心をご報告してきた。

一粒万倍日については#67「一粒万倍日〜新たな門出」などで何度か触れてきた。こんなことを知ったのはSNSに触れてからだから、まだせいぜい1年半だ。
誰が決めたのか、どれだけ効用があるのか知らないが、こういう日を意識することで、背中を押してもらったり、普段は重い腰を上げやすくなる。
なるほど、昔の人が暦に意味をもたせたのはこういうことか、と思ったりしている。

春日大社参道の鹿 何の写真かわからんなー

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com

<予告>
#111 人生が二度あれば
#112 フリーランスになっての日々
#113 共にある

(続く)


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