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「晴れの日も雨の日も」#49 「ワタシ」と「組織」

昨日紹介したポッドキャスト「サニーデーフライデー」で、主催者の田村さんがバックパッカーのYUさんと楽しいおしゃべりを展開された。

バックパッカーは「個」を大事にする人が多いといのことだ。何となく想像できる。群れない、組織に属さない、そんな印象がある。
これが呼び水となって、私の思考は「個」と「組織」のあり方に及んだ。

自分と組織の関係性・距離感をどう考えるか、というのは、正解は無いくせに、なかなかデリケートで、しかも、自分の生き方や幸せに直結する難題だ。
また同時に、企業側にとっても、社員のアウトプットや業績に大きく影響する重大問題だ。

最近ではエンゲージメントという聞きなれないカタカナ言葉が流行っている。社員が会社に対して抱く愛着や貢献心を指す(“愛社精神”とか“帰属意識”で十分だと思うが)。
たとえば昔は、運動会や遠足会、花見などの行事があった。職場を離れて「人間対人間」の円滑なコミュニケーションを図る事に加え、社員の帰属意識を高める事が狙いだ。

一方、昨今では、若者気質の変化、飲み会離れ、という動きが不可逆的に進展している。さらにコロナ禍によるリモートの普及が追い打ちをかけた。
どんどん「個」重視の傾向が強まり、「全体」とか「組織」への帰属という色彩は薄まる一方のようだ。
多様性の受容という方向に社会全体が向かい、いろんな働き方の選択可能性が高まってきたこともそれを後押ししているだろう。

結果、転職ムードが広がったり、家庭や趣味、地域社会など会社以外のどこかに自分の居場所を見出す動きも広がっているようだ。もしくはバックパッカーのようにどこにも帰属しなくても全く平気な、本当に自立したスタイルの人もいる。

それはそれでいいのだが、一般的に言って、「帰属」の問題は「個を大事にする」ということと同じくらい大事なような気が私はしてならない。
どこかに帰属しているという確かな感じがないと、何か自分が根無し草になったような、ふわふわと頼りない感じがしそうな気がするのだ。
そう考える時に、自分の人生のひとつの重要な場面である「働く場」において、「帰属」なんかいらねえや、と簡単に捨てちゃってダイジョーブ?と思ってしまう。

人は一人では生きていけない。誰かとつながりたい。今は便利な時代で、スマホ1台あればだれとでもつながれる。だからそういう「帰属」なんてなくても大丈夫、という見方もある。

しかし、たとえば私は、物心ついてからずっと「○○の長井です」だった。その「○○」は学校、クラブ、会社、あるいは部署名などの帰属先を指す。で、どうせ「○○の」と言うのなら、その○○は自分の愛する、もしくはその一員であることにプライドを持てる存在であってほしい。だから私も○○の価値が高まるように自らも努め、貢献したいと思った。

それは○○のため、というよりは、結果的にそれが私自身のハッピーにつながるからだ。こういう考え方は古いのかもしれない。若い世代に押し付ける気は無い。
ただ、自分が大事にしているものを同じように大事にしてくれる人や組織・集団と出会うことはとっても幸せだ。また、そのためには、自分も相手(人の場合も組織・集団の場合も)の価値観を理解しそれに沿うようにしていくこともある程度必要だろう。

「個」と「組織」の距離感・関係性を解くカギは案外そんなところにあるのではないかという気が私はしている。
「個より組織が断然優先」という昭和文化もどうかと思うが、「組織」は「個」の自由な活動を制約束縛する敵対的なものだと位置付けて、「個」か「組織」かの二者択一を迫る考え方もまたどうなのか。
両者の間、もしくはその融合等により自分なりの第3の答えを探せないものかしら、などと思うのである。
共存共栄、というと昭和感があって眉をひそめられそうだが、この言葉のいいとこどりをしながら「組織」も「個」も活かせる、そんな道を各々が探せると幸せだろうなと思う。

ちなみにコーチはこういうことを扱う専門家だ。困っている人がおられれば、是非力になりたいと思う。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#50 友人の恋バナ。未満の話。
#51 人と比べない
#52 誠意
#53 コミュニケーション・クリエイター
#54 どないやねん

(続く)

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