「晴れの日も雨の日も」#21 五感+1をフル動員して生きる 今年にかける想いその2
「日常の中にオモロイを探して」
拙note#13、#14のテーマです。身の回りのことに五感を研ぎ澄ませて生きていこう、きっと楽しい人生が目の前に広がっているよ、というお話です。
そのためにまず五感をちゃんと使いたい。たとえば
視覚:目に見えるものの中に美しいものはありませんか?
空の色、移り行く街路樹の色、ふと駅で見かけた美しい人、
ステキな絵画(ちょっと私には高尚過ぎる趣味ですが)。
そんなものを見過ごさずに大事にして生きていきたい。
聴覚:耳に聞こえるもの。小鳥のさえずり、my favorite song、気の合う人
との心地よい会話。私は音フェチなのか、好きな人のことは顔より
声の方がよく記憶に残ります。これまで何度か登場した初恋の人
なども、顔を見なくなったその後々までずっとその声が何度も
頭の中でリフレインされていました。さすがにこの年になると普段
鳴っていることはないですが、立ち止まって思い出そうとすると
ちゃんと蘇ってきます。ちょっとオカシイ?
触覚:指や肌で触れた感覚。温かいものや柔らかいもの、ざらざらして
いないものがいいですよね。寒い日の温かい布団は離れがたいです。
でも一番温かくて柔らかくて手触りがいいのは実はひと肌。
コロナ禍で人と触れ合いにくくなりました。人恋しさ。やっぱり
人は誰かと繋がって生きていきたい。そして誰とつながるかが重要。
嗅覚:いい匂いは「快」を運んできてくれる。コーヒーの香りでリラックス
する人もいるでしょう。一方いやな臭い、クサイ臭いは我々に
アラームを発してくれます。身体への危険の可能性がある、退避せよ
と教えてくれる。
そういえば、30歳前半の頃、「三重クの長井」と揶揄されていた事が
ありました。私自身は、自分らしさを存分に発揮して会社や職場に
貢献していると勝手に思っていましたが、その表現の仕方について
「クサイ・クドイ・クセあり」の「三重ク」と評されたのです。
これはなかなか言い得て妙で、端的に当時の私を表していました。
そして「それでいい」という肯定感や自信を持って聞いていました。
この中の「クサイ」は芝居がかっているとか演出過大であるとか、
大袈裟だという事を指します。当時私は半分ぐらいわざとそうして
おり、最大効果を得るためにはその方がいいと考えていました。
しかし、嗅覚という言葉から考えた場合、「クサイ」とはまさに
「鼻につく」ということであり、上記の通り待避アラームなのだと
いうことにようやく最近気がつきました。「三重ク」と呼ばれて
喜んでいた自分が恥ずかしい。。バカですねえ。。
味覚:最後に残った味覚。この味覚だけは他の四覚と少し違うのでは?
四覚は「生きる」と直結しています。目が見えなければ、耳が聞こえ
なければ、手や指がなければ、鼻が効かず危険物へのアラームが働か
なければ、生きていくのに苦労を伴います。
ところがこの味覚についてはどうでしょう。
生命維持という観点で食物の摂取はもちろん必須ですが、変な話、
味オンチでも生命を長らえさせることはできます。
例えば動物はどうでしょう。牛や馬は草を食べる。犬や猫は元々は
肉食系。それぞれ、草食/肉食の区別はあり、それに従って餌を選択
しています。でもそれは味覚から?。犬や猫が「この肉は美味い」
とか「まずい」とか感じているのかしら?最近では昔のように残飯や
魚の骨を与えることは珍しくなりました。ドッグフード・キャット
フードを与える際に「ウチの猫はわがままでこれしか食べなくて」
なんてこともあるのでしょうが、それは飼い主の人間サマがわざわざ
そうさせているだけなのでは?そう考えると、単に生きていく上で
必要な栄養を摂取するというだけではなく、味わって食べるという
のは人間の特権、人間の人間たる所以のように思えてきます。
すなわち、味覚は他の四覚と異なり、ヒトの人生に彩りを与えて
くれるものということができるのではないでしょうか。最初の四覚に
ついてはヒトも動物もその機能・必要性に大差ありませんが、最後の
味覚はヒトならではのもの、という気がするのです。
こうした五感を大事にして生きる。人間らしく自分らしく生きていくためにこれは必須ですが、実は、この五感のほかにもう一つ大事なものがあるような気がします。それは「心」が持っている力です。
五感で感じ取ったことは最終的に心で快・不快等の処理をされます。
心が豊かであれば、ステキなものを適切に、もしくは、もっとグレードアップして自分の中に残すことができます。
そして心を豊かにするために有効なもののひとつが「美しい言葉」だと思います。これもヒトならではの力です。
「美しい言葉」を心にとめ、「心の力」を上げることが、いろんなものをより良く取り込んだり身につけたりすることにつながります。
本の中にも人との会話の中にも学びはあります。「美しい言葉」に囲まれて暮らしていきたいと思います。
また、心で感じるということに関連していわゆる第六感があります。これは一般的には危機察知みたいなイメージが強いですが、それに限らず、必ずしも五感の機能を経ずに、直接心で感じ取るということもあるように思います。
人間は五感で得た情報について考えたり何かの作用を加えようとします。例えば感じ取ったことを他人に伝えるためには言語化しなければならない。別々の器官から得た情報を連携させて、立体的に総合的に対象を理解しようとすることもよくあります。
ところがこうして「考える」ことによって、心で直接感じ取るという働きはトレードオフのように弱くなりはしないのでしょうか。
再び動物と比較した場合、考える力の弱い動物の方が第六感が優れていると思われます。地震を察知してネズミが逃げ出すなんていうのはよく言われる話です。
本当にvividに生きていく上では五感をフルオープンにするだけでは不十分で、「心で直接感じ取る」ということも大事なような気がします。自分の心の動きや状態を意識し、「考える」ことを大事にしながらも、頭でっかちになって自由な心の動きを束縛したり制約を与えたりということが起きていないか十分注意しながら生きていきたいと思います。
さて、凡々たるながいコーチにこんなことができるのでしょうか???今年は年頭から大変なことを掲げてしまったようです。。。
追:今年も子供たちが集まってくれて賑やかで心温まる正月を迎えることが
できました。連日の大宴会で、缶ビール24本カートン約2箱に加え、
空いた酒ビンも多数。いつもは親子4人で住んでいるのですが、
一人帰ってくるだけで空気が一変、さらにもう一人加わって6人に
なるとさらに新しい(昔懐かしい)世界に。人が集まる場というのは
その相互作用があって、実に微妙でおもしろいものです。
今日も最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました♬
長井克之 nagairb21@jcom.zaq.ne.jp
<予告>
#22 成長について
#23 聞くということ
#24 チャンスの女神
#25 いつまでも少年の心で(誕生日前夜)
#26 男らしいって知ってるかい?
(続く)
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