見出し画像

「晴れの日も雨の日も」#61 母と娘の会話(臨時投稿)

先日会社から帰って、さあビール、と思ったら、先に風呂に入れと家人たちがのたまう。ヒツジのように従順な私は、「えー、ビール飲もうと思ったのに」などということはおくびにも見せず、風呂へと向かう。拙宅では私の返事は「yesかnoか、はい」の2者択一だと思うことにしている。

で、チャッチャとカラスの行水よろしく上がってくると、娘(第4子、27歳)と母(=我が愛妻)が何やら仲良く話をしている。
二人の間には、娘が生まれた時の母子手帳。
娘は保育士で今年は乳児を担当している。日々幼い乳児を見ているうちに、自分のその頃の話が聞きたくなったらしい。
おっぱいはよく飲んだの、とか、予防接種がどうだ、とか、生まれたこの病院は今でもあるのかしら、などなど二人でいろいろ話をしている。

二人の話はどんどん進んで、そのうち、ほかの兄弟の母子手帳も引っ張り出して、昔話に花を咲かせていた。二人ともご機嫌さんである。見るからに楽しそうだ。なんかエエ感じやんか。

二人のビールも快調に進んでいた。
私もおかげで心置きなくビールが飲めた。

なにより、母娘仲睦まじく心和むステキな風景だ。私もとっても優しい気持ちになった。
心から「家族よ、ありがとう。オレは恵まれてるなあ」と感じ入った。

せっかくいい感じのふたりの邪魔にならない程度に、私も、「そうそう、あんなことがあった」とか、少し会話に参加した。あくまで「少し」である。大きな流れを大事にすべし。つい調子に乗って流れにいらん竿をさすのは慎むべし、なのだ。

そんな話をしているとふと思い出した。
第4子が小さかったその頃、東京は足立区千住に住んでいた。下町だ。ご近所付き合いも多く、賑やかで楽しい生活だった。
その頃は車もなく、どこに行くのも自転車だった。家のローンがあって経済的な余裕がなかったせいもあるが、まだ若かったし、細君共々不自由も痛痒も感じていなかった。

さて、この第4子が0歳の時。第1子小3、第2子小1、第3子4歳。細君はまだ35歳と元気一杯。
第1子には本人用の自転車を与え、細君は自分の自転車の後ろに第2子を、前椅子に第3子を座らせ、第4子をおんぶして、必殺4人乗りをしていた。必要に迫られていたとはいえ、なかなかヤル。3人はまだしも4人乗りをしているおかあちゃんはなかなか見ない。

美人で気立ての良い私の最愛のひとはパワフルでしっかり者の肝っ玉母さんになっていくのだ。
その頃の私はどうしていたか。私は既に酔っ払いとうちゃんだった。酒を飲んでは記憶やモノをよく失くしていた。酔っぱらっての失敗失態は数えきれない。そりゃ頭が上がらんはずですなー。で、今に至る。返事は「yesか、はい」というのもすべからく必然の糸につながっているのだ。

<編集後記>
と思っていたら、6/12父の日に、細君(高級ボールペン)、長女(プレミアムビールセット)、長男夫婦(高級Tシャツ)、次女三女(高級ポロシャツ)、四女(心のこもった絵葉書)とプレゼントを頂き、楽しく夕食会を催した。特に細君からの高級ボールペンは、私のコーチングでの成功を祈念してのもので、まさに感無量。誠に誠にありがたい限りだ。よし、ガンバロウ!

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#63 青雲の志と「一隅を照らす」
#64    遠くで見守る
#65 妄想
#66 一粒万倍日-新たな門出
#67    ツナガルって? 

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?