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社長会議と取締役会議と怒る元トレーニー

相変わらず通勤している会社も多いようで、その会社の方々は本当に大変だし辛いと思う。弊社もIT会社にしては対応が遅いと感じていたが、それでも緊急事態宣言が出た時にはすでにリモートだった。

そんななか(当然だが)月に1回の社長会議が迫ってきた。コレの準備が辛い。しかも、特に今回が辛いのは取締役との会議と連続するからだ。もともとは取締役会議は参加してなかったが、ミッションの変更(追加?)に伴い参加することに。「社長会議と違う脳味噌を使うので、良い負荷だぜ」と言い聞かせて、考えをまとめる。実際、脳味噌的にはしんどいわけではない。

しんどいのはお題ではなく、資料の構成・デザインについて、上司と考え方が合わないことだ。「社長・取締役の想像力を舐めすぎでは?」と思うくらい、親切な、説明過多な仕上がりを求める。理由は「伝わらないから」という。「いや、文字多すぎて読む気にならねえよ」と言いたい。

そんな上司はこの会議を乗り切りたいだけに見えてしまう。事実、「この量じゃ時間が余るなぁ」という発言をする。「ん?時間を使うことが目的なのか?」。逃げ切ったら賞金100万円的な、この考え方は理解に苦しむが、もし本当に逃げ切りたいなら、逆に資料は説明を入れすぎず「シンプル」に表現する方が良いと思っている。なぜなら、考える余白を残す方が、社長・取締役の想像で勝手に都合の良い様に補完されると思うからだ。

なぜこの上司にこんなに腹が立つのかと考えると、「他人の想像力を舐めるほどに」その人自身に想像力がないからだと気付いた。

そんな感じで資料作成をしながらも、もう一つ気になることが。

元トレーニー(2年目)が僕・営業・新卒の上司の、4人での会議中に怒りを露わにした。その怒りは、その時の事象で引き起こされたものというよりは、これまでの蓄積の結果のようだった。正直、「逆ギレ」に見えてしまった。

「怒り」のタイミングは難しい。

確かに、その営業の「これまでの行い」をみていると、怒りが溜まるのは理解できる。ただ、その怒りを発散するタイミングが「その新卒が自身のミスを指摘された」タイミングだったため、その営業には響いていなかった。

これは自分にもよくあるし、今後も起こりうるなと。「怒り」という意思表示は大事だ。自分の一つだけ嫌なところを直せるとしたら「感情のままに表現できない」という点がある。子供の頃は感情剥き出しだったのに、いつの間にか痛点がバカになってしまったのか、特に「怒り」が表に出てこない。「怒り」を上手にコントロール(抑えるだけじゃなく表現することも)できることって、実は人生を豊かにする条件な気がする。


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