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最後のドナウ

最後のドナウ。

これまで何十、
何百と見てきたはずだけど
昨日が1番美しかった。


ブダペストを去るまで
あと4時間。

日本からの留学、
飛行機で移動してるはずなのに
時差含めたら丸一日かかる。


日本から遥か遠く
辺境、ハンガリーの地で
私は何を思うだろうか。



寺田寅彦という
有名な物理学者がいて
彼はドイツに留学していた。

およそ2年ほどだ。


そんな彼が遺した随筆
『電車と風呂』には
帰国後のギャップに喘ぐ
寺田の存在があった。



彼の感じた些細な違和感
体に合わなくなった世界


どこか暗くどんよりとした
日本の車内と、
それを憂う寺田の姿だ。

今まで馴染んでいた空気が
急に距離の遠いものになるのは、
想像するだけで怖いものである。


ブダペストに着いてから
何度か次のことを尋ねられた。

カルチャーショック
についてである。


日本人は周りにおらず、
見知らぬ言語が飛び交い、
人種もバラバラ、見た目も違う

当然、文化も違う。


今だから言えるが
留学初日の絶望感はスゴかった
鳥籠に囚われた恐怖である。


けど、その疲労もすぐに取れた。
ハンガリーは想像よりも
日本に似ていたし、
ご飯も美味しかった。

何より、人が優しい。


住むことに関しては門外漢だが、
一年ほど暮らすには絶好の場所。



だから、
特筆した疲労は特段ない
と、いつも答える。



これ以上具体的に話すのは
実は簡単なことだと思われる。

ただあった事柄を
ツラツラと書けば良いからだ。



けれども、
この約1年の留学は、
無理に表すものでもない気がする。


どこか曖昧なまま
どこか抽象的なまま
残すべきな気がする。


というのも、それは
一冊の小説に影響を受けたからだ。

遠藤周作の『留学』
である。


舞台はパリ
筆者の遠藤が実際に見た姿。


そこには、
3種の日本人がいる。


ひとつ、
陽気に酒場で毎晩飲み明かす人

ひとつ、
完全に疲弊して殻にこもる人

ひとつ、
フランス本来の姿に向き合う人


である。


大切なのは無論、
最後に挙げた人たちだ。


彼らは言った。

「2000年の歴史を
たった2、3年で
理解しようとするのが
間違っている」



そして、
「もし本当に理解しようと
日々取り組んだのなら、
あのように楽しく
振る舞えないはずだ」


ハンガリーの歴史は
最低でも1000年はある。

ヨーロッパ全域であれば
さらにある。


「それを殊更に、無理やり言葉で表す」
なんてのは、ちょっとした冒涜かもしれない。


そう思ったのである。



「わかった」と合点がいった時、
それは貴方の目を通した姿である。

それの是非はどうでもいいが、
無理に言葉にしないという
一種の趣である。


合点がいった時、
それは大抵誤りだからだ。



終始ふわふわしたことを
書き連ね、
段々と自分自身も
わかっていない。


けど、それで良い。
曖昧なまま、不確実なまま



留学の中には
そういった味わいがあっても
良い気がするのである。



最後のドナウ。
それは一体なんであろうか。

2024.6.30
長濱

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