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AIの功罪は"指示待ち"であること

数日に一度、オンラインサロンの宣伝も兼ねて過去に投稿した有料の記事を全文公開で公開するのをやっていまして、今日がその日です。

生成AIが覇権を握りつつある中で私たちの向き合い方はどう変わっていくかということを少し感じていただけたら幸いです。

このnoteはオンラインサロンAGILE Innovationで2024年2月9日(金)に書かれた記事をもとに投稿しています。


こんばんは、ハンガリーの履修登録はなぜか先着順となるために、3時間後の登録開始時間まで緊張しっぱなしな長濱です。
#この履修で半年間の運命が決まると言っても過言じゃない
#それは過言すぎた



さて、今日は「AIの功罪は"指示待ち"であること」というテーマでお送りします。

例によって今日も、まるで講演をしているかのような語り口調で皆さんに問題提起を投げかけてみたいな、と思います。



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AIを採用する企業たち
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(ChatGPTなどの)生成AIが普及して以降、多くの職場では「どのようにAIを導入するか?」という話題が中心を占めるようになりましたでしょう。

その中でも、少数派ではありますが「AIが人間の労働を代替する」ことを考えていると。つまり、職場で数える単位がヒトだけでなくAIも追加されると云うこと。職場の同僚としてAIが迎え入れられる、という話です。


AIの導入に熱心な会社では採用活動を徐々に停止し、次第にAIへ仕事を移行するようになりつつあり、その話も決して冗談では片付けられない場面にまで変容していると言って良いでしょう。

さて、そんな中。

人間という「生き物」、ここでは生き物と呼ぶことが大切なのですが、私たちの偉かったところは何かといえば「身体を持っていること」「他者の指示を必要としないこと」です。


生き物と<計算機(コンピューター)>の大きな違いというのはここで、彼らには【自分の意思で動く】というプログラムが施されていない。まぁ、簡単に意思を持たれてしまえば人間にとって不都合ですから、そのようには決して作らないのですが...。


そして、仮に意思を持ったとしても、彼らにはそれを実行する「身体」が存在しない。つまり、彼らがどれだけ思考できたとしてもしても、その実行には外的リソースを活用しなければならない。これは一見当たり前のように見えて、かなりのデメリットを患っていると言っても良いんじゃないでしょうか。

私たち人間というのは手を動かそうと思ったら動かせます。なぜなら、手を持っていますから。先天的だったり事故で四肢を失ってしまった人を除けば、それは当然の事実です。


一方で、AIがどれだけ「ご飯を食べたい」と思っても、彼ら自身がコンセントに充電器をツッコんで、自身で電力供給をすることはありません。それは彼らが身体を持たないからです。ですから、最近の科学者はしきりに「ロボット」というものを研究したがるんです。


それは今まで単なる計算機として存在していたものが意思を持った際に、自身で行動できる環境を整えることですから。


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指示待ち人間、指示待ちAI
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さて、今日私が話したいのは「他者の指示を必要とするAI」についてです。例の如く話が逸れてしまいすみません...。


ChatGPTしかり数多くのAIサービスは勝手に動くということを断じてしません。もっといえば、することができません。


彼らは私たちの「プロンプト」、つまり指示を受けてからでしか自身の動作および演算を開始することができないのです。そんな事は百も承知の中、社会ではなぜか「AIを職場に導入して効率化しよう」という話題が頻繁に出ているようです。


ちょっと遠目から語っている私も、以前は似たようなことを云うておりましたが、思想が変わるのも「人間らしさ」だと思って流してください。


現代の資本主義の中で「労働者」および「労働」というのは最重要テーマのひとつとして常に位置付けられています。その中でも、「効率」というものはしきりに議論され、どの職場でも叫ばれている事だと推察しています。


その最中に生成AIが登場し、職場の効率をグンと上昇させるというのが社会のちょっとした答えになりつつありますが、果たしてそれは本当なのでしょうか。



生成AIが登場する前の人類というのは、もちろん機械と共に仕事をしていたのは事実ですが、基本は【ヒト】という単位の労働量で生産を続けていました。その中で、多くの職場が嫌う存在が「指示待ち人間」だと思います。


言葉の通り、
誰かの指示がないことには
中々自ら動けない人たちです。


彼らが忌み嫌われる理由は決して「仕事が遅いから」とか「仕事でミスばかりするから」という話ではありません。大抵の上司などが嫌がっている理由は「常に指示を出している時間などない」という事なのではないか、と(あくまで)私は思うわけですね。


もちろん、職場に勤めた事などございませんから間違っていたら申し訳ないのですが、遠くから見たとしても毎回指示を求められるのは、まぁ鬱陶しいのは想像に難くありません。


さて、そこで生成AIです。

彼らは誰かの指示がなければ動くことのできない種です。あえて、ここでは生物と云わず種と言いますが。


そんな彼らに指示を下せるのは誰でしょう。他のAIですか。いいえ、違います。私たち人間という単一の種だけです。

とすれば、生成AIによって効率が仮に上がったとしても大量にAIを雇用するというような話の流れは少々強引なように思うのですね。



というのも、生成AIをひとり雇うためには判断を下せる人間というのは側に居る必要がありますが、人間の個体数というのは限られていますから、1人で数台も操れるケースなどまぁ極めて稀なわけです。

もっといえば、書類を作成する際に私たちは毎度「資料の意図」だとか「求めている形式」を教えるわけですが、それもまぁぶっちゃけ手間な訳ですよね。


人間というのは極めて優れた<機械>で、こういった反復かつ独自の判断を加えて修正できる生き物というのは地球上で我々のみだと思います。


もっとも、生成AIがアシスタント、副操縦士として機能する可能性は大いにあります。ただ、それも善悪、事実の良し悪しを判断できる「判断主」が必要であり、そこを担える生物は人間にとどまり、その人間の中でもAIに惑わされる存在は当てはまりません。


すると、気づけば生成AIの普及と共に、なぜか人間の必要数も増える、というおかしな話になっても決して不思議ではないはずです。


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身体と精神の優劣
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では、ここに先ほども少し触れた「ロボット」などの存在が台頭すれば技術革命は起きるだろう、という意見に耳を傾けてみましょう。

人間という生き物が優れていた理由は、ソフトウェアである脳みそとハードウェアである身体をひとつの過程で生成できることです。生まれてくるときに脳みそだけ分離して生まれてくる人などほとんどおりませんから、これは明らかに人間の優れた部分と云えますね。



さて、ロボットが人間と同様の動きも可能になれば、別個ではありますが脳みそと身体が揃ったと考えることもまぁ出来る訳です。そうすればやはり人間と同じ振る舞いをできるじゃないか、と考える人も居る訳ですね。

ただ、そういった主義主張の見過ごしている点は何かといえば、判断できるという能力がない限り身体の機能性は極めて低い、ということです。言い換えるならば、意思と身体を比較した際にその優先度合いは遥かに【意思】が重要なのが現状だと云うことです。


私たちは随分とこの「意思」、つまり精神とか無意識とか超然的なものの凄みというものを軽視しているのです。この世に存在しないものは皆「科学的じゃない」とバカにしたりする。


それは労働者として人間の単位を扱うようになり、まるで人間が機械であるかのように考えうる余地が生まれてきてしまったからに他なりません。

肉体の方が優先されると云うならば、なぜあなたは神社へ行ってお祈りをするのですか。神様を祀っている神社の建物ではなく、神様本人へ向けて願いを唱えるのですか。自身は肉体を持っているにも関わらず、肉体のない神様や先祖に深々とおじぎをする。


少しおかしな話じゃありませんか。


私たちの見ている世界は物質が優先されているようで、その根源は精神からきている、ということを忘れちゃいかんのです。


そういった意味で、AIの難しいところはその「意思」というものの再現が極めて不可能に近いものであることで、これはちゃんと頭から離しちゃいけません。「君の悲しみは幾つだ」と聞かれても誰もそれを数字や数式では言えないでしょう。



精神とか意思とか、判断する際の根源的な部分の技術的難しさを軽視した先にあるのは単なる地獄のようにこの頃思うのですね。


そろそろ時間が迫っていますから、
また次にでもお話ししましょう。

では、また明日
長濱(2024.2.9)




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